大正12(1923)年
9月1日 朝鮮人虐殺⑭
【横浜証言集】Ⅰ横浜市南部地域の朝鮮人虐殺証言
(6)寿尋常小学校の作文集(「大震災遭難記」)
四年男子5 其夜〔一日〕大なる事件がおこりました。それはいふまでもなく、朝鮮人さわぎでした。此のよるは口でこそえらいことをいっても内心はびくびくでした。
四年女子3 2時頃〔一日夜中〕になりましたらおとこの人が今朝鮮人が女子どもをさらったりするから女子どもはやうじんなさいといったのでおつかなくてたまりませんでした。
五年女子 〔一日〕倒れ掛かった我が家には入れず、バラックの中でうずくまった。「朝鮮人」と何人かの叫び声に目を覚ました。急いで母と一緒に彼岸へ行って見たが目に入ったのは哀れな避難者の群れであった。万歳の声に彼岸を見れば、これ如何に大きな朝鮮人の死体、自分も思わず万歳と呼んだ。
六年男子1 〔家がつぶれ、石川小の上の山→相澤〕〔一日〕そのうちに鮮人が来るというので男の人達は皆、棒を持って警衛するようになりましたので、僕はすこし安心をしました。其の時向こうで鮮人が二、三人殺されました。それっきり鮮人も来なかったので安心して寝ました。
学年不明男子6 通りかかった巡査が公園は水で一杯だから山へ逃げた方がいいといったので、近所の人と扇橋を渡って長者橋をまっすぐ車橋にかかった。車橋が人々が逃げるのでこんざつをしています。此所をむりに渡って見るとかあさんや弟やおばあさんがつぶされているのとどうする事も出来たかった。かあさんや弟は巡査にひっはり出された。それから其夜中ごろになると朝鮮人さわぎになった。僕は夜が早く明ければよいと思っていた。其中に夜がだんだん明けてきたのでほっと息をつきました。すると僕の前で朝鮮人が一人皆にたけやりで殺されました。それから親類の人にげんまいと白米のおむすびをもらいました。〔・・・〕其の昼頃朝鮮人が井戸に毒を入れたというのでこれでは飲料水も飲めなくなったというので舎田へ親類中の者といってしばらく舎田にいました。
高等科二年女子2 〔1日夜〕「朝鮮人が襲来して来ましたから気をつけて下さい」とどなる声にびっくりして私達は飛び起きた。すると父は朝鮮人なんかきたって「大丈夫だよ こんな多さん人が居るから なんでもありやあしないからさわがないで寝て居いで」と云はれても安心して寝ることが出来ず、なほさら早く夜があげればよいと思った。又山の所で「朝鮮人を二人捕へましたから安心して下さい」といった人の声を聞くと私達も幾分安心して寝むることが出来た。
(7)磯子尋常小学校の作文集(「震災に関する児童の感想」)
五年女子2 九月一日 そこから根岸橋までくると朝鮮人が幾人ともなく死んで流れてるました それはひさんのやうでした
(11)南吉田第二尋常小学校の作文集(「震災記念綴方帖」)
六年男子35 〔一日〕 日はだんだんに暮れて行く 男や女のどなってさがしてゐる声が方々に聞こえる。時々朝鮮人さわぎやゆり返しが来るのでおちついて居られない。しばらくして下の方を見ると横浜中は盛にもえてゐる。時々朝鮮人だと言ふと、皆竹槍を持って用心する。・・・三日頃焼跡へ行くと、あちらにもこちらにも真黒になった人がころがつてゐる。まるで生じごくへ行ったやうだ。
六年男子36 〔一日夜〕其時「朝鮮人 朝鮮人 朝鮮人」 トイフ声や、「殺してしまへ」「焼ころせ」などと言ふ声が聞こへた、僕は恐ろしさにぶるぶるふるへながらさ様々の事」で一夜を明かした 〔二日〕下へおりて来て見るとあっちこっちには真黒になった死体がごろりごろと見へる。
六年女子23 一日の夜朝鮮人さはぎでした 地震にたすかつた私は朝鮮人にまけてはならないとをもった 夜家の人は原にぢんどつて手に手に皆竹をもっている 私の家ではねようとをもってもねつかれません すると春ちゃんはつかれてすやすやとねてしまった をばさんはお母さんと小供といふものはむじやきなものだとはなしていると人々のさはぐこへがした すると朝鮮人がてつぽうをうつを音かしました 私たちははやく夜があければいいとをもつていた だんだんしづかになつてきたのて戸のすきまからをもてをみると夜があけてきた まもなく兄さんがかえつてきた 私はよく朝原へきて見ると朝鮮人が二三人ころされていた お昼頃牛込の〇〇むかえにきてくれた
【横浜証言集】2 横浜中部地域の朝鮮人虐殺証言
(2)横浜公園、横浜港方面
①フェリス女学院本科六年「横浜公園は火に囲まれた夜、北方で朝鮮人がここへ襲来するかもと聞いた」
〔一日模浜公園へ避難〕公園の中は既に一杯の人だった。水道管が破裂したと見え、通路は一尺余りも出水して居た。大きな木の根元に少し許りの空地を見いだした私達は、やっと其処に落ちつく事ができた。周囲には知らぬ人許り。川向ふの不老町の方から盛んに黒けむりが昇り始めた。と見る間に市役所の横手からもめらめらと火の手が上る。段々拡かって西からもえてきた火は東と一所になって更に北へと延びて行く。風は益々劇しくなった。殆ど旋風の様四方八方へ吹きまくった。段々火事は大きくなる。遂に公園の周囲は火と黒煙で囲まれた。火の粉が雨のように降り注ぐ。真黒のもえ殻が飛んで来る。その間も引き切りなしに大地は動いて居る。到々空気は熟して呼吸が苦しくなった。私はもう駄目だと思った。
夜になった。「今、北方で朝鮮人が乱暴し始めました。此方へ襲来するやも知れませんから気をつけて下さい」誰かがふれ回った。私達の心はこの知らせに極度に暗くなった。
【横浜証言集】4 鶴見地域(橘樹郡)の朝鮮人虐殺証言
①横浜市震災誌「歩兵銃50挺を青年会員に貸与」
朝鮮人襲来の噂あり。浅野中学校〔鶴見町〕に三八式歩兵銃50挺あり、九月一日朝鮮人襲来の噂ありし際、同地青年会員に氏名を控へて貸与。(「横浜市震災誌」)
つづく
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