2025年11月28日金曜日

大杉栄とその時代年表(692) 1906(明治39)年11月14日~20日 (漱石)「十一月十七日(土).....夕方、初めて森田草平の下宿(本郷区丸山福山町四番地伊藤はる方)を訪ね、夜、柳町・菊坂通りを経て、真砂町で真砂亭(西洋料理。本郷区真砂町、現・文京区本郷一丁目)に寄る。切通しを経て、不忍池のほとりに出る。.....不忍池を一周、弥生町から東京帝国大学裏門の前に出て、第一高等学校と東京帝国大学の間を通り、森川町で別れる。」(荒正人)


大杉栄とその時代年表(691) 1906(明治39)年11月11日~13日 更に新年の原稿を依頼するため、竹越与三郎に代って文芸附録担当者の正宗忠夫(28歳)が出かけた。 正宗は前々年明治37年11月の「新小説」に処女作「寂莫」を発表して以後数篇の短篇小説を書き、作家としても少しずつ認められかかっていたが、決定的な作品を書くに到っていなかった。正宗はぶっきらぼうな物言いをする男であり、漱石もまた歯に衣を着せぬ男であったから、不愛想な対話が1時間ばかり続いた。その結果、一篇の評論を漱石は書いた。それは「作物の批評」と題した批評方法論で、20枚ほどのものであった。 より続く

1906(明治39)年

11月14日

ペイン商会製糖場設立(台湾彰北)。資本金4万円。1910年開業。

11月14日

大日本製糖株式会社成立。日本精製糖・日本精糖両会社を合併。資本金1,200万円。12月に台湾工場設立許可。1907年8月、大里製糖所買収。

11月15日

営口水道電気株式会社設立。

11月15日

日本、奉天総領事館新民府分館・長春分館開館。

11月15日

世界最大の戦艦薩摩進水。

建造当時は世界最大の戦艦であったが、この年、イギリスでドレッドノート(弩級艦)が竣工したため、竣工前に旧式艦(準弩級戦艦)となってしまった。 しかし、日本が独自設計の戦艦を建造する事が、西欧列強にとっては驚異的であった。

初の国産戦艦である本艦の主砲と中間砲には問題があり、発射速度が低かった。しかし、その後逐次改良・整備が進められ、晩年には弩級戦艦にも匹敵する砲戦能力に達したと言われる。(Wikipediaより)

11月15日

東京に税関設立。

11月15日

元ミナス・ジェライス州知事ペナ、ブラジル大統領就任(~1909年)。

11月中旬

啄木、『雲は天才である』を書き直す。

11月16日

久津見蕨村、『無政府主義』刊行。

11月16日

(漱石)

「十一月十六日(金)、曇。瀧田哲太郎(樗陰)宛手紙で、『読売新聞』からの依頼を熟考の未、断る。(但し、十一月二十日(火)の『読売新聞』紙上では、漱石の執筆を社告として掲載する。国民新聞社・報知新聞社からも話がある)

十一月十七日(土)、曇。明治大学は休講である。夕方、初めて森田草平の下宿(本郷区丸山福山町四番地伊藤はる方)を訪ね、夜、柳町・菊坂通りを経て、真砂町で真砂亭(西洋料理。本郷区真砂町、現・文京区本郷一丁目)に寄る。切通しを経て、不忍池のほとりに出る。森田草平から、十一歳の時死別した父親森田亀松のことを聞かされる。不忍池を一周、弥生町から東京帝国大学裏門の前に出て、第一高等学校と東京帝国大学の間を通り、森川町で別れる。野上豊一郎宛染出に俳句一句添える。

十一月十七日(土)から十九日(月)の間、竹越与三郎(三叉)来て、『読売新聞』の「特別寄稿」の件について再考を求める。

十一月十八日(日)、森田草平宛手紙に、前日の告白思い出し「夢の世界を逍遥した様な氣がする。」沼津に就職することはやめない方が良い、上京中の校長に逢って見るとよい、俳書堂で編集者(月給四十円)を探しているが、あまり確実なものでないと書く。」(荒正人、前掲書)

11月17日

大東製糖株式会社創立(台湾)。1907年4月、台湾製糖に合併。

11月17日

本田宗一郎、誕生。

11月17日

啄木妻節子節子、出産を控えて実家に入る。

19日、啄木、小説「葬列」を書き始める。22日夜半、57枚脱稿。

11月18日

露、トロツキー(27)、シベリアへの終身流刑と市民権の剥奪の判決

11月19日

ポーランド社会党分裂。

11月20日

清国、日本の各居留地における吸咽取締り実行を駐清公使に要請。

11月20日

韓国王族の義兵将閔宗植、公州塔山で日本軍に捕らわれる。

11月20日

寺内陸相、西園寺首相と阪谷蔵相の予算方針に不満で、辞任して倒閣を考える(桂太郎宛寺内正毅書状)。

西園寺首相は、陸軍に影響力を持つ桂前首相(大将)、陸軍の実力者の元老山県有朋元帥、財政通の元老井上馨や松方正義の調停を得て、阪谷蔵相・寺内陸相・斎藤海相との妥協を探り乗り切る(桂太郎宛西園寺公望書状、11月25日、12月3日、1907年3月3日、11月9日、12月9、13日)。

11月20日

(漱石)

「十一月二十日(火)、『読売新聞』に、読売新聞日就社として、夏目漱石が特別寄書家になり、今後、創作・批評発表と予告される。

十一月二十二日(木)、木曜会。高浜虚子ら、大いに諭ずる。」(荒正人、前掲書)"


つづく

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