予想通りというか、退屈な内容になってしまった。・・・が、始めた以上は、終わりまでやることにする。
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1337(建武4)年
足利尊氏の新田義貞攻撃。大軍2万を編成、金ヶ崎城攻撃と守護斯波高経支援へと向かわせる。先導は高師泰・今川頼貞・小笠原貞宗・塩冶高貞・仁木頼章ら。諸国から集結した幕府方の軍は城下を埋め尽くす。幕府方の軍勢には、島津頼久率いる薩摩の国人本田資兼・莫袮重貞ら、村上信貞に従軍して信濃・越後と転戦し北陸道を西上した市河親宗・経助ら、塩冶高貞と共に敦賀入りした出雲の国人諏訪部信恵ら。城は完全に孤立。
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包囲網。
①斯波高経:北陸道の軍勢5千余、蕪木(甲楽城)。
②仁木頼章:丹波・美作軍勢1千余、近江塩津。
③今川頼貞:但馬・若狭軍勢700、小浜。
④荒河詮頼:丹後軍勢800余、疋田。
⑤細川頼春:四国軍勢2万余、東近江。
⑥高師泰:美濃・尾張・遠江軍勢6千余、荒血中山(愛地中山)。
⑦小笠原貞宗:信濃軍勢5千余、今庄新道。
⑧塩冶高貞:出雲軍勢3千余・兵船500艘、敦賀湾。
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朝倉氏、初めて越前に入国。
但馬朝倉庄の代官朝倉広景(初代越前朝倉氏)、越前に入国し斯波高経に従う。「太平記」で、新田義貞率いる南朝軍と足羽七城攻防戦で、北朝方越前守護職斯波高経を支える重臣として描かれる黒丸入道覚性が朝倉広景と言われる。その後、朝倉氏は勢力を伸ばし、拠点を黒丸から北の庄、そして一乗谷に移して行く。
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1351(観応2)年
斯波高経、将軍義詮から離れ、京都を出て八幡(京都府八幡市)の直義の陣に加わる。
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千葉氏9代千葉貞胤(61)、京都において病没。嫡男・一胤、家督相続。
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1370年
エドワード黒太子宰相ジョン・チャンドス、ポワトゥー北端ショーヴィニの戦いで戦死。
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1380年
カルロ・ゼーノ(45)率いる艦隊、ヴェネツィアに帰着。キオッジャ包囲網なる。
(ヴェネツィアのジェノヴァ攻撃)
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1394(応永1)年
一休禅師、誕生。
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1468(応仁2)年
元日夜半、細川勝元のゲリラ部隊、西軍本陣(西陣)を攻撃。士気を鼓舞する程度。
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1486(文明18)年
諸国守護家の動揺。
前出雲守護代尼子経久、守護代塩冶掃部介を滅ぼし守護京極から富田城を奪回。
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1492年
夜、多数の人質がキリスト教軍に引き渡され、キリスト教部隊がグラナダに突入。
翌2日、アルハンブラ宮殿開城(レコンキスタ終了)。イスラム・ナスル朝ボアブディル降伏、開城、入場式。
ムーア人と平和条約締結。
ムーア人は、信仰・服装・教育の自由を約束され、独自の法廷を持ち、追加課税を免除。⇒結局、同化政策は失敗。1525年末の総追放令となる。しかし、ムスリムは反乱し、1568~1570の第2次グラナダ戦争となる。
コロンブス、国王の行列に加わり入城。艦隊3隻をコロンブスに与える指示が出るが、コロンブスが多くの要求を出したため全てが水泡に帰する。アラゴン王国経理官ドン・ルイス・サンタヘルの支持。イサベル女王はフェルナンド王の同意も得てコロンブスの航海を行うことに決めた。女王の急使がコロンブスを追いかけ、ピノス・プエンテの村で追いつく。
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1515年
ルイ12世(53)、没(位1498~)。25日、ヴァロワ王家(アングレーム朝)フランソワ1世(20)、即位(位~1547)。ブロワ城のフランソワ1世の翼面、着工(ルネサンス様式)。
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1536(天文5)年
日吉丸(豊臣秀吉)、誕生(公卿補任、太閤素性記、甫庵太閤記による)。
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1537年
パリ、スコットランド王ジェームズ5世、マドレーヌ (フランソワ1世長女)と結婚。フランソワ1世、マリー・ド・ブルボンを推薦するが、ジェームズ5世はリヨン郊外で水浴中のマドレーヌ(アンリ2世妹)を見初め結婚相手変更。マドレーヌの小姓が詩人ピエール・ド・ロンサール。マドレーヌは、1537年7月7日(スコットランド帰国の数ヶ月後)、結核により没。(1538年6月12日ジェームズ5世、ギーズ公娘マリー・ド・ロレーヌと再婚。1542年12月8日マリー、メアリー・スチュアートを出産(1542~1587))。
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1538(天文7)年
島津貴久、薩摩統一。
島津貴久、加世田城の戦いに勝利(前年大晦日に夜襲、1月1日未明落城)。薩摩を統一。戦国大名島津家の基礎を固める。
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1546(天文15)年
最上義光、出羽に誕生(異説1550年)。
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1550(天文19)年
津軽為信、陸奥に誕生(異説1月5日)。
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1551(天文20)年
神谷宗湛、筑前に誕生。
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1553年
神聖ローマ皇帝・スペイン王カール5世、メッツ攻略断念、包囲解除。譲位決意。
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1556(弘治2)年
芥川城で火災。松永久秀や義興の陣所などが焼ける。11日、久秀、芥川城引き上げ。
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1563(永禄6)年
松永久秀、多聞山城で茶会。客は興福寺成福院・曲直瀬道三・松屋久政・堺宗可・竹内秀勝。
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1564(永禄7)年
北條氏康、江戸衆太田・恒岡両氏に離反した太田康資の家臣を葛西城に入れるよう命ず。
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1565(永禄8)年
イエズス会宣教師ビレラとフロイス、幕府を訪れて将軍義輝に新年を祝う。
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1566(永禄9)年
尼子義久、老臣宇山久信父子を富田城中に殺害。尼子軍動揺す。
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to be continued to 1570 onwards
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