2009年1月10日土曜日

「元日」物語(6)

「黙翁年表」の元日の出来事をピックアップ。
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1901(明治34)年
慶應義塾大学で「19世紀・20世紀の送迎会」開催。福澤諭吉は病気のため欠席
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福澤諭吉「痩せ我慢の説」(「時事新報」)。徳富蘇峰と論争。
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川上音二郎・貞奴一行、神奈川丸で神戸港着。
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「労働世界」第69号英文欄、高野が天津から北京に移動し商店を開くとの短信。15日、「労働世界」第70号英文欄、高野が現在ドイツ軍におり、用務のため一時帰国し馬関(下関)にいるとの消息あり。
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イギリス領オーストラリア6植民地、オーストラリア連邦結成。自治権承認。初の内閣首班はエドマンド・バートン。当初より、ジョン・C・ワトソン率いる労働党が政策決定に強い影響力を持つ。
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1903(明治36)年
山路愛山「独立評論」創刊。
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長野県諏訪郡の有力製糸業者、職工争奪防止を目的として諏訪製糸同盟会を結成。男女工の登録制度を実施。
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英国王エドワード7世、デリーで行われた式典でインド皇帝として即位。
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1904(明治37)年
木下尚江「火の柱」(「毎日新聞」連載、~3月20日)。キリスト教社会主義の立場から非戦論を唱える主人公を描く。
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近衞篤麿(42)、没。
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林董駐英公使、訓令により英外相に日露開戦の際の財政上の援助を要請。英は起債保証は不可能と回答。
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ウルグアイ、バッジェ大統領の政策を不満とする保守派ブランコ党反乱。~9月24日。8ヶ月後鎮圧。後、国内の統一ほぼ達成。労働立法制定・基盤産業国有化進む。
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1905(明治38)年
旅順陥落。
 午前7時30分頃、第9師団右翼第6旅団(一戸兵衛少将)第35連隊第3大隊(増田惟二少佐)第10中隊、盤龍山堡塁前面の虎頭山に進出、望台攻撃。同時刻、第11師団第22旅団第43連隊第2大隊(松田三郎少佐)第5中隊も望台北側散兵壕に進み攻撃開始。両連隊の突撃は頂上前で撃退される。午前11時20分、両連隊は兵力を増強して再度攻撃。これも突破できず。午後2時30分、28センチ砲による砲撃。午後3時頃、再々度攻撃。ロシア兵は退却。午後3時30分、望台を占領。午後4時30分頃、第1師団司令部より第3軍司令部に、水師営南方の前哨点にロシア軍降伏使節(守備隊軍司令官ステッセル将軍の降伏書簡届ける)現れるの報が届く。
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朝鮮、京釜鉄道草梁・永登浦間開業。釜山~京城間の連絡成る。
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非常特別税法改正公布。即日施行。第2次非常特別税。地租・営業税・所得税・酒税・砂糖消費税・登録税・取引所税・狩猟免許税・鉱業税・売薬営業税・印紙税及び各種輸入税増徴。小切手印紙税・砂金採取地税や、汽車・電車・汽船の乗客に通行税、織物消費税、繭・米・籾に輸入税、相続税法(4月1日施行)など創設。塩専売法開始(6月1日施行)。これにり7,412万8千円余りを得る(内、地租25.3%、塩専売21.9%、印紙収入14.9%)。
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臨時軍事費予算7億円追加公布。一時借入金・国庫債券・公庫の総額を4億5,500万円以内とする。
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鳥取市、「因伯時報」主筆波羅生(原戌吉)、政府の社会主義弾圧を批判。
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与謝野晶子(27)・山川登美子・増田雅子、「恋衣」(本郷書院)発行。登美子は夫の死により明治37新詩社に返り咲く。評判が良く、2月に再版、10月に3版。
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啄木、詩「心の声」(「明星」巳年第1号)。特別定価40銭。
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尾上松之助一座、マキノ省三の西陣・千本座で興行。
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伊、ベルギー人のアンリ・ウーデンコーフェン、世界で初めて菜食主義者組織結成。
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1906(明治39)年
小村寿太郎、清国より帰国。
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3月10日(奉天入場日)を陸軍記念日、5月27日(日本海海戦日)を海軍記念日と決定。
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足尾銅山で日本鉱山労働組合結成。
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英、外国人法発効。移民希望者は入国許可前に経済状態・心身健康状態に関する厳しい尋問を受ける。露や中欧からの貧しい移民希望者に大きな打撃。
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ヘルムート・フォン・モルトケ、独参謀総長就任。
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1907(明治40)年
福田英子「世界婦人」創刊。半月刊。石川三四郎の助力。婦人問題とともに谷中村問題も取上げる。主な執筆者:安部磯雄・石川三四郎・小野吉勝(有香)・遠藤友四郎・神川松子・堺利彦・幸徳秋水・長加部寅吉・高畠素之・深尾韶・赤羽一(巌穴)・白柳秀湖・内山愚道・大石誠之助・久津見蕨村・西川文子など。二葉亭四迷・小山内薫(1度)も。「新紀元」に袂は分れたキリスト教社会主義者が唯物論社会主義者に再提携し、英子が内村攻撃の急先鋒の幸徳らと接近、また、英子と石川との内縁関係など、内村を刺激。
この頃、英子を巡る婦人たち:堺為子・幸徳千代子・菅野須賀子・菅谷いわ子・西川文子・熊谷千代三夫人・上司小剣夫人・竹内余所次郎夫人ら。
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1908(明治41)年
「日本平民新聞」、群馬の築比地伸助「革命の歌」など3篇の社会主義の歌応募作発表。
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幸徳秋水「病間放語」(「高知新聞」)。倒幕運動・自由民権運動の伝統を述べ、「革命は過去のものなり、歴史のものなりと思はば、これは大なるあやまりなり。文明の日本、戦勝の日本、樺太を占領し、朝鮮を保護するの日本、三井と岩崎の日本においても、革命はたしかに活ける問題なり。」と提起。続いて、中国革命の成功を語る。
また、「文芸上における陶庵公と早稲田伯」(「中央公論」新年号)掲載。明治39年2月17日の文芸協会発会式(坪内・島村が大隈を会頭にいだく)、明治40年6月17日西園寺(号「陶庵」)が文士30名を招待して会を開くことを批判(二葉亭・漱石は欠席)。
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漱石(41)、「坑夫」(1月1日~4月6日)、「夢十夜」(7月25日~8月)、続けて「三四郎」(9月1日~12月29日)、「それから」(明治42年6月27日~10月14日)、「門」(明治43年3月1日~6月12日)のいわゆる「前期三部作」を連載。
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蒲原有明「有明集」。
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高浜虚子「鶏頭」。漱石の序を付し、「風流懺法」「斑鳩物語」などを含む。
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1909(明治42)年
北原白秋ら、「スバル」創刊(森鴎外命名、発行名義人啄木)。「明星」終刊後、平出修が出資。最初の編集同人、平野万里、吉井勇、石川啄木、木下杢太郎。客員与謝野鉄幹・晶子。発行所住所は平出修法律事務所。啄木(小説)「赤痢」、鷗外(戯曲)「プルムウラ」。~1913年12月、60冊。
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森田草平「煤煙」(「東京朝日新聞」~5月16日、1910年2月~1913年11月、4巻刊)。事前に漱石から父定二郎へ、草平は事件により中学教師の職を失い、もの書き以外に生きる道がなく、事件を題材に小説を書く許可を求める手紙。母光沢が断りに出かけるが、漱石に押し切られる。新聞は12月1日より小説掲載予告を派手に宣伝。12月中旬、明子は信州から帰郷し草平を訪問、不在のため絶縁の手紙を託す。小説の反響は大きく、草平はスキャンダルを売り物に有名作家となる。小説中の明子の手紙は、約束に反し半分程が手を加えられており、やがて明子は「煤煙」に対する意見や自己の内面を表白する作品を公開し始める。
この年、明子は曙町の実家に戻り、神田美土代町日本禅学堂で中原南天禅老師について参禅、神田正則英語学校で唯一の女生徒として英語を学ぶ。年末には、禅の友人木村政子との交遊から、西宮海清寺で臘八接心を受け、再び見性を許され「全明」の大姉号を受ける。
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山路愛山「足利尊氏」。
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米、映画特許会社設立。仏の2社を含む9社の映画製作会社に特許許可。
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英、1908年8月1日に可決の老齢年金法、発効。 
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1910(明治43)年
千駄ヶ谷平民社、正月の屠蘇気分も手伝い、大晦日に来た宮下太吉を交え、幸徳・管野・新村ら、空缶の投擲試験。但し、秋水は気乗り薄く、須賀子も病み上がりで元気なし。午後3時、まとまった相談もできず宮下は退去。入れ違いに古河力作が来訪。宮下は、甲府の山本久七万宅に2泊し、3日午後6時、明科に帰る。
〇古河力作:
 明治17年6月14日福井県遠敷郡雲浜村生まれ。明治36年秋、園芸見習いのため上京、下滝野川の康楽円印東熊児方で草花栽培に従事。1908年7月頃より平民社に出入り、1909年10月、天皇暗殺への加担を請われ、日頃の大言壮語の手前もあり賛同の意を表す。
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上田敏「うづまき」(「国民新聞」~3月2日、6月刊)。
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島崎藤村「家」前編(「読売」~5月4日、後編、原題「犠牲」(「中央公論」1911年1月~4月)、1911年11月刊)。
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「スバル」第2年1号発行。発行名義人は啄木から江南文三に代わる。
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種痘法(1909年4月14日公布)、施行。新生児の種痘義務化など。
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ニューヨークのメトロポリタン歌劇場、テノール歌手エンリコ・カルーゾーを起用しオペラを初めてラジオ放送。
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1911(明治44)年
朝鮮、業務総監部、安明根の逮捕を機に朝鮮黄海道一帯の民族主義者の一斉大検挙(安岳事件・105人事件)。
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政府、「逆徒判決証拠説明書」を在外大使館に送付。英訳を国内英字新聞掲載。
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田村とし「あきらめ」(「大阪朝日新聞」~3月21日)。7月刊。前年「1万号記念文芸募集」で1等当選作。
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1910年11月12日交付の漁業組合令、施行。1910年3月25日に改正された地租条令、施行。地価税率改正。1910年3月26日交付の電気測定法、施行。1910年4月6日に改正された営業税法、施行。税率増加。漁業組合令、施行。
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1912(大正元)年
中華民国南京臨時政府成立。南京。大総統孫文。副総統黎元洪、陸軍部長黄興、教育総長蔡元培、秘書長胡漢民。革命派は5人のみ。
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中華民国、太陽暦の採用決定(1911年12月31日)。この日を中華民国元年1月1日とする。
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日本陸軍500人以上、漢口警備の陸戦隊と交代のため漢口に到着。
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安田善次郎、保善社(安田財閥中枢の持株会社)を設立。本社東京。資本金1千万円。代表社員安田善次郎・安田善三郎。
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漱石(45)、「彼岸過迄」。~4月29日。小説執筆を再開。
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黒田清輝(45)、大晦日の夜に鎌倉に行き、乱橋の貸別荘昔人庵で新年を迎え、滞在。6日小坪に、8日、再び小坪に行き、山路の夕景を写生。翌日も小坪に行き、図を修正。17日一旦帰京
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啄木(26)、「暮の三十日から三十八度の上にのぼる熱は、今日も同様だつた。」「明治四十五年がストライキの中に来たという事は、私の興味を惹かないわけには行かなかった。・・・国民が団結すれば勝ということ、多数は力なりということを知ってくるのは、オオルド・ニッポンの眼からは、無論危険極まることと見えるに違いない」(「日記」)。
 
19日、「去年のうちは死ぬ事ばかり考へてゐたつけが、此頃は何とかして生きなければならぬと思ふ。」(「日記」)。21日、森田草平に窮状を訴える手紙を書き金策を依頼。22日、森田草平、夏目漱石夫人鏡子からの見舞金10円と征露丸を持参。23日、母カツ、近所の開業医(宮内省侍医)三浦省軒の代診の診察により、結核と判明。江馬修の厚意により訪れた医師柿本庄六の診察結果も同じ。喀血が続き重体。25日以後、三浦省軒の診察を受ける。26日、東京朝日新聞学芸部長杉村広太郎(楚人冠)から、社内有志による義金企ての通知来る。29日、佐藤北江、社内有志17名の見舞金34円40銭と新年宴会酒肴料3円を届けに来宅。30日、夕方俥に乗って神楽坂の相馬屋まで原稿用紙を買いに行き、帰りに本屋でクロポトキン「ロシアの文学その理想と現実」を購入。
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東京市電ストライキ。前年明治44年8月、東京鉄道会社は東京市に買収。運転手・車掌らの解散慰労手当て分配が少なく労働者6千が増額を要求してストライキ。2日、増額獲得。15日、片山潜ら指導者逮捕。
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1913(大正2)年
石川三四郎、「西洋社会運動史」刊行。
一戸直蔵、「現代之科学」創刊。月刊科学啓蒙誌。 
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1914(大正3)年
鉄道院線、ロシア東清鉄道と朝鮮総督府鉄道・満鉄・大阪商船・ロシア義勇艦隊航路を介して貨物連絡運輸を開始。
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与謝野晶子、詩歌集「夏より秋へ」(金尾文淵堂)。
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英保護領の北ナイジェリアと南ナイジェリア、合併統一。ルガード初代北部ナイジェリア保護領高等弁務官、新総督に就任。
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1915(大正4)年
袁世凱、帝位につく。
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長崎~上海間に電信海底線開通。日華間和文電報の取扱開始。5月、佐世保~青島間開通。
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「U25」、イギリス戦艦「フォーミダブル」撃沈。
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1916(大正5)年
袁世凱、皇帝即位を正式発表。洪憲元年とする。
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雲南都督府成立。「護国軍政府討袁檄文」
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漱石(49)、「点頭録」(~1月21日まで)
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佐々木惣一「立憲非立憲」(「大阪朝日」連載~19日、18回)。
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スパルタクス団結成。ローザ・ルクセンブルク、カール・リープクネヒトら。戦争の内乱への転化、革命目指す。
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1917(大正6)年
田川大吉郎「人道上より見たる日本と英国の政変」(「第三帝国」第80号)、発禁。天皇は元老のいいなりと、元老の政権私議を批判。新聞紙法違反として田川を5ヶ月禁錮・罰金100円、石田を2ヶ月の禁錮・罰金90円に処す。弾圧にも屈せず石田らは「第三帝国」を守り続け第1次大戦後に到る。
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大田實中尉、従七位叙勲。
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与謝野晶子(39)、評論集「我等何を求むるか」刊行(天弦堂書房)。
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1918(大正7)年 
退役陸軍少佐石光真清(関東都督府陸軍部嘱託)、僧侶安倍道瞑と共に満州里出発。チタ~アレクセーエフ経由、15日、ブラゴウェシチェンスク(露満国境アムール川岸)着。
 当時のブラゴウェシチェンスクには中国人7千、日本人350(2/3が娼婦・酌婦)、ギリシャ人150、他イタリア・フランス・トルコ人。反革命勢力のコルチャークはオムスク、トボリスク方面、ホルバト(ハルビンの日本軍が密かに支援)は沿海州、セミョーノフはチタ方面にある。アムール州ではブラゴウェシチェンスクのみがボルシェヴィキ武装部隊の中で孤立。
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台湾銀行バタビア支店開設。
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満州における国庫金取扱事務、横浜正金銀行から朝鮮銀行へ移管。
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警視庁、オートバイ交通専務巡査を配置(赤バイ。36年に白バイへ変更)。
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大杉栄・伊藤野枝ら、「文明批判」創刊。連続発禁となり2月2号で廃刊。
大杉の戦闘開始宣言。
「あの事件で最も喜んだのは敵だった。そして正直な奴等や不正直な奴等は、或は無意識的に或は意識的に、少なくとも其の結果に於て散に利用された。肉体的に殺されなかった僕を、こんどは精神的に殺して了おうとした。愚鈍な奴等だ。卑怯な奴等だ。しかしよく聞け、憎まれ児は世にはびこる。どこまでもはびこって見せる。死んでもはびこって見せる」。
21日より久板卯之助を、23日より和田久太郎を自宅に同居させる(2月4日、和田は堺利彦に退社を命じられる)。
「大杉栄カ同年末ヨリ再ヒ活動ヲ開始スルヤ同人ノ行動ニ共鳴シ同七年一月二十三日ヨリ大杉方ノ食客トナリ而カモ堺其ノ他ノ同志二之ヲ秘シ置キシヲ堺二於チ感知シ堺ハ同二月四日和田ニ対シ退社ヲ命シタリ」(「「特別要観察人状勢一班」)。
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紡績、第8次操短実施。
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ロシア、人民委員会会議、「失業と飢餓」を作り出す「資本主義的破壊者」は労働者として鉱山に送る布告。
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ロシア、レーニン、グルジア人セルゲイ・オルジョニキーゼをウクライナ担当特別人民委員に任命。
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イギリス外務次官セシル、珍田駐英大使に日本軍主力とイギリス・アメリカ3ヶ国でウラジオストク派兵提議。珍田大使は日本へ急電。ウラジオへの他国の進出は日本が最も懸念する事柄。
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to be continued

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