2010年9月19日日曜日

昭和16年(1941)7月13日~18日 第2次近衛内閣総辞職 松岡外相更迭 「初より計画したる八百長なるが如し」(「断腸亭日乗」)

昭和16年(1941)7月13日
・国民政府空軍再建のための米軍事使節団第1陣が中国に到着
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・同日、松岡外相、スメターニン駐日ソ連大使に、日ソ中立条約は独ソ戦には適用しないと言明。 
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7月14日
・松岡外相の意見を容れた日本側第2次案が出来上る。
午後8時、近衛は、松岡の腹心斎藤顧問に対し、この第2次案とオーラル・ステートメント拒否訓電の同時発信を指示する。
しかし、午後11時、拒否訓電のみが発信される。
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同日、加藤外松駐仏大使、ダルラン仏ヴィシー政府主席に日本軍の南部仏印進駐承認を要求。
21日、仏ヴィシー政府はこれを承認。
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7月15日
・この頃、永野軍令部総長や及川海相は、既に決定している仏印進駐は戦争のリスクが大きいから再考しようと動揺を示す(「沢本日記」7月15日)、
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同日、寺崎アメリカ局長は、松岡外相に内密に第2次案をアメリカに送る(これは、野村大使が米側に提示せず)。
松岡は、坂本欧亜局長に命じ、既にこれをドイツに内報させている。
この日、松岡欠席の閣議後、陸海内3相と協議し松岡罷免を決定
更迭はハルのオーラルステートメントに強要されたように見えるので総辞職がよい、となるが、最終決定は16日に再度検討して決めることとする。
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・この日付け荷風「断腸亭日乗」(改行を施す)
「七月十五日。暮方よりまた雨。本年の税金暴騰して一囘分の金高四百四拾五圓七拾五錢となる。一年分にて金壱千七百八拾参圓となるわけなり。
戦禍いよいよ驚くぺし。
街頭の廣告に經国イタリヤ婦人朝日など新しき雑誌の名見ゆ。洋紙節約のため新刊雑誌は出ぬ筈なるに奇怪千萬と謂ふ可し。
政黨も解散せられたる筈なるにこれ亦東方會建國會日本大衆黨其他いろいろありて辻ゝに勝手次第の立札を出せり。
この頃共榮圏といひ彿教圏といふが如く圏の字大に流行せり。今迄見馴れぬ漢字を使ひたがるは如何なる心にや。笑ふべきなり。」
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同日、米国務省極東部長ハミルトンと日本課長バランタイン、野村に何部仏印進駐に関し真相を質す。
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7月16日
第2次近衛内閣総辞職。松岡外相更迭のための小細工
近衛首相、内務・陸・準3相に企画院総裁が加わり目白別邸で密議、総辞職に意見が一致し、午後6時半、臨時閣議で辞表を取纏る。病欠の松岡外相には富田書記官長が出向き辞表を受取る。午後8時50分葉山で辞表奉呈。
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'・鉄道省は3等寝台車を廃止し、食堂車の削減を決定
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'・徳田秋声「西の旅」、風俗が時節柄よろしからずとして発禁
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「七月十六日。陰。数日來市中に野菜果實なく、豆腐もまた品切にて、市民難澁する由。
銀座通千疋屋の店頭にはわづかに桃を並べしのみ。 
牛肉既になしこの次は何がなくなるにや。」(荷風「断腸亭日乗」)
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同日
・ドイツ独中央軍、スモレンスク(モスクワ200マイル)に到達。
~27日、スモレンスクの戦い
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7月17日
・第2次近衛内閣総辞職に伴う後任推薦の重臣会議。
木戸内大臣は近衛への大命再降下の決意を固めている。
広田弘毅が軍政的内閣を力説し、若槻礼次郎が近衛に消極的である他は、全員が近衛を推し、広田も木戸の説得で近衛に同意し、全員一致のかたちで近衛再推薦が決まる。
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同日
・ドイツ東部占領地省、設立。アルフレート・ローゼンベルク東方占領地区大臣に任命。
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・ジョー・ディマジオの連続試合ヒットが、57試合目のインディアンズ戦で終る。
56試合連続ヒットの記録。 
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7月18日
・第3次近衛内閣。
夕刻組閣完了、夜8時50分新任式、9時45分初閣議。
外相のみ松岡(対米強硬派)から海軍大将豊田貞次郎(元海軍次官、第2次近衛内閣商工相)に代わる。
対米強硬派を排除し、日米国交調整を促進する意図。
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外相豐田貞次郎、内相田邊治通、蔵相小倉正恒、陸相東條英機、海相及川古志郎、法相近衞文麿(兼)、文相橋田邦彦、農林相井野碩哉、商工相左近司政三、逓信相村田省藏、鉄相村田省藏(兼)、拓務相豐田貞次郎(兼)、厚生相小泉親彦、国務相平沼騏一郎、柳川平助、鈴木貞一。
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この日、


・横浜港からサンフランシスコ航路最終船(日本郵船の浅間丸)が出港。
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荷風「断腸亭日乗」
「七月十七日。くもりで風甚冷なり。晩間池之端に飯して浅草に行く。連日の雨と冷気とに世間ひっそりとして何の活氣もなし。新聞に近衛内閣総辞職の記事出でたれど誰一人その噂するものもなし。」

「七月十八日。今朝の新聞紙に近衛一人残りて他の閣僚更迭するに過ぎる由見ゆ。初より計画したる八百長なるが如し
そは兎も角以後軍部の専横益甚しく世間一層暗鬱に陥るなるべし。・・・
・・・模倣ナチス政治の如きは老後の今日余の身には甚しく痛痒を感ぜしむることなし。
米は悪しく砂糖は少けれど罪なくして配所の月を見ると思へばあきらめはつくべし。
世には冤罪に陥り投獄せられしもの尠からず。殊に火災保険の事に関し放火犯の疑を受けて入獄するものあるは屡聞るところなり。・・・」

「七月二十日。晩間雨の小降りとなりし隙を窺ひ芝口の金兵衛に至り夕飯を喫す。歌川氏に逢ふ。汽車の荷物輻湊甚しきため、西瓜の産地より西瓜を東京に送るることを禁じたれば、今年は水菓子類凡て品切のもの多くなるぺしと云。」
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7月18日
・仏、占領地区のファシスト分子により結成の「反ボルシェヴィズム・フランス義勇軍」、2万人集会。ヴェル・ディヴ競技場。
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同日、
・米国の閣議、日本に対する制裁を検討。結論出ず。
全面禁輸に踏み切れば、日本の蘭印占領を促し、米国の対日参戦を招くおそれがあるとして躊躇。
大西洋で援英物資輸送船舶の護送に専念したい米海軍は、対日貿易禁止に反対。
また、外相の交代(松岡から豊田)にも、多少の希望をつなぐ。
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同日、
・イギリス、チェコのベネシュ亡命政府を正式に承認。
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同日、
・ソ連・チェコ亡命政権、戦争協力協定調印。
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