2010年9月19日日曜日

9月22日は中秋 「十五夜に雲なきは稀なり」(永井荷風「偏奇館漫録」)

荷風「断腸亭日乗」を読んでいると、荷風散人は、ほぼ毎日天候気象を記し、かなりの頻度で夜空に浮かぶ月の情景を描写しているのがわかる。
月には荷風散人、特に惹かれるところがあったと思われる。
それは、「月佳し」という簡潔なものが多いけれど、絶妙の雰囲気を醸し出している。
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月の描写で最も有名なのは、何と言っても昭和20年3月9日夜、東京大空襲で自宅「偏奇館」が焼亡した際のものだろう。
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昭和20年3月9日の「断腸亭日乗」 荷風67歳
(改行を施す)
「三月九日。天気快晴、夜半空襲あり、翌暁四時わが偏奇館焼亡す、火は初(ハジメ)長垂坂中程より起り西北の風にあふられ忽市兵衛町二丁目表通りに延焼す、
余は枕元の窓火光を受けてあかるくなり鄰人の叫ぶ声のたゞならぬに驚き日誌及草稿を入れたる手革包を提げて庭に出たり、
谷町辺にも火の手の上るを見る、又遠く北方の空にも火光の反映するあり、火粉は烈風に舞ひ紛々として庭上に落つ、
余は四方を顧望し到底禍を免るゝこと能はざるべきを思ひ、早くも立迷ふ烟の中を表通に走出で、木戸氏が三田聖坂の邸に行かむと角の交番にて我善坊より飯倉に出る道の通行し得べきや否やを問ふに、仙石山神谷町辺焼けつゝあれば行くこと難かるべしと言ふ、
道を転じて永坂に到らむとするも途中火ありて行きがたき様子なり、
時に七八歳なる女の子老人の手を引き道に迷へるを見、余はその人々を導き住友邸の傍より道源寺坂を下り谷町電車通に出で溜池の方へと逃してやりぬ。
余は山谷町の横町より霊南坂上に出で西班牙(スペイン)公使館側の空地に憩ふ、
下弦の繊月(センゲツ)凄然として愛宕山の方に昇るを見る
荷物を背負ひて逃来る人々の中には平生顔を見知りたる近鄰の人も多く打まぢりたり、
・・・                                     」           
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火の手の大きさに偏奇館をあきらめ、「日乗」その他の草稿をカバンに詰めて、避難する。
途中、老人の手を引く女の子を導いてやった後、スペイン公使館脇でようやく一息ついて、ここで「繊月凄然」を見るのである。
徹底した観察者、というところでしょうか。
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「繊月凄然」(荷風67歳)からは、定家19歳の「明月蒼然」を連想させる。
荷風散人も定家「明月記」を意識されていたんでしょう。
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治承4年(1180)9月19日の定家(19)「明月記」
月光蒼然。
定家は、青侍等を連れて、六条院の辺りに遊歩する。
大流星か、新星爆発かとも思える天象を見る。
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「九月十五日。甲子。
夜ニ入リ、明月蒼然
故郷寂トシテ車馬ノ声ヲ聞カズ。
歩ミ縦容トシテ六条院ノ辺リニ遊ブ。
夜漸ク半バナラントス。
天中光ル物アリ。其ノ勢、鞠ノ程カ。
其ノ色燃火ノ如シ。
忽然トシテ躍ルガ如ク、坤ヨリ艮ニ赴クニ似タリ。須臾ニシテ破裂シ、炉火ヲ打チ破ルガ如シ。
火空中ニ散ジ了ソヌ。若シクハ是レ大流星カ。
驚奇ス。大夫忠信・青侍等卜相共ニ之ヲ見ル。」
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実際この頃、大流星や星と星とが重なって異常な光りを発する事件が起きていたようです。
「月、鎮星(土星)ト度ヲ同クス」(玉葉)、
「太白(金星)、哭星ヲ犯ス」(「同」)、
「大小星相聞フ」(「山愧記」)。
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さて、今週の9月22日は、旧暦8月15日で中秋(十五夜)
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昭和15年は、9月16日が中秋であったようです。
あいにくこの日は、月が見えず、荷風散人、がっかりしたようです。
この日の「断腸亭日乗」には大正15年(昭和元年)からの中秋の状況を列記しています。
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(改行を施す)
「九月十六日。朝の中より小雨ふりては歇む。蝉の聲漸く少く虫の音晝も盛なり。
夜は遂に月を見ず。
去年中秋の夜には杏花君に招がれて共に築地の藍亭に飲みたりし事、其後杏花君とは相逢ふの機會なかりしことなど思出しぬ。
前年の日記をくりかへし見るに
昭和十四年中秋 九月念三    月色明ならず    藍亭にて見る
〃〃十三年中秋 十月八日    月色清奇       百花園淺草公園に見る
〃〃十二年中秋 九月念三    始め晴後に雨    吉原仲之町茶屋に見る
〃〃十一年中秋 九月三十日 微雲籠月        玉の井の里に見る
〃〃十  年中秋 九月十三日 暗雲蔽月       獨り家に在り
〃〃九  年中秋 九月念三    月色清澄       杏花子の邸宴集
〃〃八  年中秋 十月八日    月色清澄       銀座に観る
〃〃七  年中秋 九月十五日 後に雨         銀座に在り
昭和六  年中秋 九月念六   雨無月        幾代閉店
〃〃五  年中秋 十月六日    始晴後雨       風邪不見月
〃〃四  年中秋 九月十七日 月色清奇       幾代亭に見る
〃〃三  年中秋 九月念八    後に雨        幾代亭に見る
〃〃二  年中秋 九月十一日 徹宵月明       神楽坂に見る
大正十五年中秋 九月念二    微雨無月       帝劇魯國歌劇
〔欄外朱筆〕中秋無月                                   」
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何故か、明月「打率」は低い。
やはり、「十五夜に雲なきは稀なり」(永井荷風「偏奇館漫録」)か。
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さて、今年の中秋は如何か?
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「偏奇館漫録」(大正9年、荷風40歳)の他の記述には、
「・・・
宰相に清廉なるは少し
志士に疎暴ならざるは少し、
・・・
長寿にして恥少きは稀なり」
とある。
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