2010年9月4日土曜日

明治6年(1873)7月28日~31日 「地租改正令」公布 西郷の使節暴殺・開戦論  [一葉1歳]

明治6年(1873)7月28日
・「地租改正令」公布
田畑貢納制廃止。地券調査。地価3/100金納地租。
封建的土地所有解体・近代的土地制度発足。
*
「今般地租改正に付、旧来田畑貢納の法は悉く皆相廃し、更に地券調査相済次第、土地の代価に随ひ百分の三を以て地租と可相定旨被仰出候条、改正の旨趣、別紙条例の通相心得へし。
且従前官庁並郡村入費等、地所に課し取立来候分は総て地価に賦課致すへく、尤も其金高は本税金の三分の一より超過すへからす候。此旨布告候事。

地租改正条令 (別紙) 
第一章 今般地租改正の儀は不容易事業に付、実際に於て半履審按の上調査可致、尤も土地より緩急難易の差別有之、各地方共一時改正出来難きは勿論に付、必しも成功の速なるを要せす、詳蜜整理の見据相立候上は大蔵省へ申立、允許を得るの後旧税法相廃し、新法施行致し候儀相心得へく候事。
但し一管 内悉皆整理無之候共、一郡一区調査済の部分より施行致し不苦候事。 

第二章 地租改正施行相成候上は、土地の原価に随ひ賦税致し候に付、以後縦令豊熟の年と雖も増税不申付は勿論、違作の年柄有之候とも減租の儀一切不相成候事。 

第六章 従前地租の儀は、自ら物品の税家屋の税等混淆致し居候に付、改正に当ては判然区分し地租は則地価の百分の一にも可相定の処、未た物品等の諸税目興らさるにより、先つ以て地価の百分の三を税額に相定候得共、向後、茶、煙草、材木其他の物品税追々発行相成、歳入相増、其収入の額二百万円以上に至り候節は地租改正相成候土地に限り、其地租に右新税の増額を割合、地租は終に百分の一に相成候迄漸次減少可致候事。 

右之通相定候条、猶詳細の儀は大蔵省より可相達事。 
明治六年七月二十八日                                                                          」(「法令全書」)。
*
*
7月29日
・西郷隆盛、「使節(西郷)派遣 → 暴殺 → 開戦」論書簡を板垣に送る
西郷が強硬派板垣の説得工作。
西郷は、板垣の朝鮮派兵論を批判し、派兵するならロシア兵が「度々暴挙」している樺太が「朝鮮よりは先」と論じる。
8月3日、三条に手紙を送り、朝鮮へ使節として自分を派遣するよう要請。
*
(改行を施す)
「先日は遠方まで御来訪成し下され、厚く御礼申上げ候。
扨(サテ)朝鮮の一条副島氏も帰着相成り候て、御決議相成り侯や。
若しいまだ御評議これなく候わば、何日には押して参朝致すべき旨御達し相成り侯わば、病を侵し罷り出で候様仕るべく候間、御含み下されたく願い奉り候。

弥(イヨイヨ)御評決相成り侯わば、兵隊を先に御遣わし相成り候儀は、如何に御座候や。
兵隊を御繰り込み相成り侯わば、必ず彼方よりは引き揚げ候様申し立て候には相違これなく、其の節は此方より引き取らざる旨答え候わば、此より兵端を開き候わん。左候わば初めよりの御趣意とは大いに相変じ、戦いを醸成候場に相当り申すべきやと愚考仕り候間、

断然使節を先に差し立てられ侯方御宜敷はこれある間敷や。
左候えば決って彼より暴挙の事は差し見え候に付、討つべきの名も慥(タシ)かに相立ち候事と存じ奉り候。
兵隊を先に繰り込み候訳に相成り候わば、樺太の如きは、最早魯(ロシア)より兵隊を以て保護を備え、度々暴挙も之れ有り侯事ゆえ、朝鮮よりは先に保護の兵を御繰り込み相成るべくと相考え申し候間、旁(カタガタ)往き先の処故障出来候わん。

夫よりは公然と使節を差し向けられ候わば、暴殺は致すべき儀と相察せられ候に付、何宰私を御遣わし下され侯処、伏して願い奉り侯。
副島君の如き立派の使節は出来申さず供えども、死する位の事は相調い申すべきかと存じ奉り候間、宜敷希奉り侯。
此旨略義ながら書中を以て御意を得奉り侯、頓首」
*
板垣の出兵論に反対(「兵隊を先に御遣わし相成り候儀は、如何に御座候や」)。
①日本が派兵すれば朝鮮は撤兵を要求する、日本がこれを拒否すれば開戦のきっかけとなり、最初の「趣意」に反し、また「往き先の処故障出来」し今後の両国関係に障碍を生み出す。

②居留民保護のための出兵であれば、既に樺太ではロシアが「度々暴挙」しているから、「朝鮮よりは先」に樺太に派兵するのが順序である。換言すれば、樺太に派兵していない以上、朝鮮に出兵する訳にはいかない。

しかし、後段で、朝鮮側が使節に「暴挙」「暴殺」を加えるのは必至であろうから開戦の名義が生まれるはずだとの新見解を提示し、「副島君の如き立派の使節は出来申さず供えども、死する位の事は相調い申すべきか」と決意を表明し、使節就任希望に板垣の助力を求める。
これまで、西郷が征韓即行論者と見做されてきた最大の論拠は、この書簡に展開されている使節暴殺が必然的に開戦を導くという考えである。
*
論旨の矛盾:
派兵して「兵端を闘」くのは初めよりの「趣意」に背反し、「往き先」の「故障」を生じるので反対としつつ、同時に使節暴穀による開戦企図(名義づくり)に言及している。
西郷の混乱か真意を故意に隠しているか?
*
7月29日
・京都裁判所、府知事名代を呼出し、贖罪金8円を命令。
8月2日、府知事、京都裁判所に対して不当であり贖罪金は納付しないと回答。
3日、京都裁判所、裁可による判決であり申し開きの余地なしと回答。
5日、京都裁判所、府参事槇村正直名代に贖罪金命令。槇村は、裁判は了解しない、太政官へ伺い中として丹波へ旅行に出かける。
*
*
「一葉インデックス」をご参照下さい
*
*

0 件のコメント: