2010年9月25日土曜日

昭和16年(1941)7月19日~24日 関特演 「いづれも冬仕度なれば南洋に行くにはあらず蒙古か西伯利亜に送らるゝならん」(荷風「断腸亭日乗」) ルーズベルト、野村大使に石油禁輸の可能性を警告

昭和16年(1941)7月19日
・国民政府、国共調整緊急会議開催
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・米海軍第1任務部隊、アイスランドに向かうすべての艦船を保護する事となる。
(7月17日、アメリカ軍はアイスランドを占領)
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・BBC勝利の「V」放送、占領下ヨーロッパにおけるレジスタンスを宣言。
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・スターリン、国防相就任。 
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7月21日
・山下奉文中将、満州防衛軍司令官として東京発、牡丹江へ赴任。
高級参謀片倉衷大佐、副長馬奈木敬信少将、参謀総長鈴木宗作中将。
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・第3次近衛内閣初の大本営政府連絡会議。陸海軍両統帥部が注文をつける。
①7月2日御前会議決定に基づく内外諸施策を速やかに完遂し、特に目下進行中の対仏印進駐を既定方針通り的確に遂行すること。
②発足進行中の対南方及び北方戦備は渋滞遅延を許さず、強力確実に実行すること。
③日米国交調整は既定方針を堅持し、特に三国枢軸精神に背馳しないこと。
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永野軍令部総長の発言。
米ニ対シテハ今ハ戦勝ノ算アルモ、時ヲ追ウテ此ノ公算ハ少ナクナル
明年後半期ハ最早歯カ立チカネル。其後ハ益々悪クナル。
米ハ恐ラク軍備ノ整フ迄ハ問題ヲ引ヅリ、之ヲ整頓スルナラン。
従ツテ時ヲ経レハ帝国ハ不利トナル
戦ハスシテ済メハ之ニコシタ事ハナシ。然シ到底衝突ハ避クへカラストセハ、時ヲ経ルト共ニ不利トナルト云フ事ヲ承知セラレ度。
尚比島ヲ占領スレハ海軍ハ戦争カヤリヤスクナル。
南洋ノ防備ハ大丈夫相当ヤレルト思フ」。
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・文部省、「臣民の道」刊行。戦時下の国民道徳解説。
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・病気のハル長官に代り米国務次官ウェルズ、野村大使代理の若杉公使に、
「情報によれば日本は最近仏印を占領する模様であるが、かくては従来の会談は無用となる」
と警告。
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・ドイツ空軍、モスクワ初空襲。
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・フランス、ヴィシー政府ダルラン副総理、加藤外松駐仏大使に対し日本軍の南部仏印進駐承認要求を受諾。日仏議定書が成立。
23日、細目協定成立。
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7月23日
・野村大使から豊田外相宛ての電報。
「当方面の対日空気急変の原因は南進にあり。しかして南進はやがてシソガポール・蘭印に進む第一歩なりと認むるにあり」と伝える(野村吉三郎「米国に使して」)。
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・休養中のハル、電話でウェルズ次官に、日米交渉の中止を日本に伝えるよう命じる。
日本広東総領事の現地陸軍から出た、進駐に関する14日付本省宛電報が、19日「マジック」により解読され、新内閣の方針に変化なしと判断。
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・米国務次官ウェルズ、野村大使とも会談、重大申入れ。
「従来米国は能ふ限りの忍耐を以て日本と会談して来たが、今となつては最早会談の基調は失はれるに至った」(近衛著)。
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・野村駐米大使、本国へ「至急新内閣の対米方針を御内示相成度」と請訓。
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・ルーズベルト大統領、中国空軍再建への援助を承認。 
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7月24日
・「七月廿四日。・・・下谷外神田辺の民家には昨今出征兵士宿泊す。
いづれも冬仕度なれば南洋に行くにはあらず蒙古か西伯利亜に送らるゝならんと云
三十代の者のみにして其中には一度戦地へ送られ帰還後除隊せられたるものもありと云ふ。
市中は物資食糧の欠乏甚しき折からこの度多数の召集に人心頗恟々たるが如し。」(荷風「断腸亭日乗」改行を施す)。
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この頃、尾崎秀実は、三井の船舶部次長織田信太郎から、この頃の部隊移動の情報を入手し、これをゾルゲに伝える。
織田の情報:
「わたしたちの聞いているところでは、北よりも南に向かっている部隊の方が多いということです」
「北へ二十五万、南へ三十五万が送られて、内地に四十万が残っています」。
また、宮城は、満州へ移動する部隊の大半は未経験の兵士と予備兵で構成されており、ソ連と本気で戦うとしたら殆ど役立ちそうにない、とゾルゲに伝える。
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■「関特演」の緊急召集の実態と規模
海軍次官沢本頼雄中将の日記。
7月5日に参謀本部要貞と懇談し、陸軍側の方針を聞く。
「7-13動員、7-20運輸始、8月中旬終了、兵数は現在の三〇万より七〇~八〇万となり、徴用船九〇万頓を要す(十六師団体制)、・・・対蘇戦決意せば更に8D(*師団)を増し、在満一〇〇万兵となる(24D体制)」
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「関特演」は、演習・対ソ連示威行動ではなく、第一軍装(一装)を支給した戦うための動員。
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瀬島龍三の戦後の証言、「北方戦備」(未刊行)には、ソビエト軍に対する武力行使の場合の作戦構想が明確に書かれている。
「武力行使は、極東ソ連軍の戦力半減し、在満鮮十六箇師団(新に増派せる二師団を加えた)を以て攻勢の初動を切り、後続四箇師団を逐次加入し、約二十師団基幹を以て第一年度の作戦を遂行し得る場合であること。但し大本営としては総予備として更に約五箇師団を準備し、之を満洲に推進する如く腹案す」
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結果的には、予想に反して、ソ連がヨーロッパ戦線に相当する強力な新兵力でソ満国境を固めたため、武力行使の第一要件たる「極東ソ連軍の半減」が成立せず、陸軍は積極攻勢を断念。
しかも、南仏印進駐によりアメリカが強硬政策を採用し、北進方針は崩壊する。
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・この日着の野村駐米大使の電報。
米国では、従来の日米会談は東京側に「トピードー」(破壌)されるであろう、
また日本は、同盟国に対して、日米国交調整の試みは南進準備完了迄の謀略と説明している、との説が支配的となっている。(近衛書)
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この日午前
・ルーズベルト大統領は、義勇協力委員会の人々を引見した際、もし米国が対日石油輸出禁止をしていたならば、すでに日本は蘭印を占領し戦争となっていただろうと演説。*
午後の閣議、
・ルーズベルト大統領は、無制限国家非常事態宣言に基づき在米日本資産凍結を決定(26日発効
英・蘭印もこれに続き、前年締結された日蘭民間石油協定は破棄)。
但し、米政府は、これによって日米貿易を許可制の下におくとするが、直ちに全面禁輸を意図したのではなく、大統領は「資産凍結が全面禁輸をもたらさないことを、国務および海軍省の官僚に再度確約した」という(日本政府の出方を見守ることとする)。
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・米国のラジオニュース放送、日本の軍艦がカムラン湾沖に現れ、日本軍輸送船が海南島から南下しつつあると報道。
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この日、
・ルーズベルト大統領、野村吉三郎駐米大使に南部仏印進駐の中止を勧告。仏印中立化を提案。
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ルーズヴェルトは、
仏印進駐中止及び撤兵を前提とし、各国(日米英蘭支)が仏印中立を共同保障し、自由・公平に仏印物資を入手する「仏印中立化」提案を行なう。
また同時に、
日本軍が南部仏印に進駐すれば、米国国内の対日石油禁輸輿論を宥和することは国難になるであろうと述べる。
日本がもし軍事拠点確保の実力行動を続行すれば、アメリカは対抗措置をとらざるを得ないとの警告。日本はこれを無視し28日上陸開始
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同日付豊田宛野村電。
「従来輿論ハ日本ニ対シ石油ヲ禁輸スベシト強ク主張セシニ拘ラズ、自分ハ之ヲ太平洋平和維持ノ為ニ不可ナリト言ウテ説得シ来リシガ、今ヤ其ノ論拠ヲ失ウニ至レリ、ト述べテ石油ノ禁輸アルベキヲ仄カシ
・・・今ハ既ニ時期遅レタルノ感アリ、事前国務省卜打合セヲ為セシニ非ザルガト前置キシ、
若シ夫レ仏印ヨリ撤兵セラレ、各国其ノ中立(瑞西ノ如ク)ヲ保障シ、各国自由ニ公平ニ仏印ノ物資ヲ入手シ得ルガ如キ方法アリトセバ、自分ハ尽力ヲ惜マズト語り、且日本ノ物資入手ニハ自分モ極メテ同情ヲ持ツ」と述べる。
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同席のウェルズ国務次官記述。
大統領は、
米英側は仏印に脅威を与えていないのだから、日本の仏印進駐はそこを基地として更なる南進を意図したものと考えるほかない、
もし日本が石油獲得のために英蘭と戦争すれば、英国援助を国是とす米国にとっても重大な事態とならざるを得ない
と警告。
しかし仏印が中立化されれば、現地政府がドゴール政権化しないことを保証すると言う。
また日本の政策はドイツの圧力によるものであろうが(米側の思いこみで、野村も強く否定)、日本政府は理解していないが、ナチスは世界征服を意図しており、将来日本と米国の海軍は共同してヒトラーと戦わねばならなくなるとさえ述べる。
野村は中立化提案に心を打たれた様子だったが、日本側には面子の問題があり、真に偉大な政治家でなければ政策の転換をなし得ないだろうが、ただちに本国に報告すると述べる
辞去する野村に楽観的な気配は感ぜられなかったという。
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