2010年10月3日日曜日

東京 銀座・築地散歩(1) 勝鬨橋 佃大橋 南町奉行所跡 「有楽町で逢いましょう」歌碑 関東大震災十周年記念碑 数寄屋橋跡碑

10月2日(土)、銀座・築地を散歩しました。
未満宗治さんという方が作られた散歩コースを、偶然にご本人から戴きまして、殆どこのコースに従いました。
言うまでもなく銀座・築地は、震災、空襲、スクラップ&ビルドの極端な地域ですので、ご紹介出来るのは、看板やら石碑やらビジュアル的には面白くないものが多いです。
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下の写真は、この散歩の最後で、銀座~築地を抜けて、
勝鬨橋から佃大橋方面を見たもの、と
佃大橋から勝鬨橋を見たものです。
川は隅田川(殆ど河口)


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さて、散歩の集合地はJR有楽町駅中央口。
ご同行は、いつものシマさん、ヤマさんは都合つかず不参加で、タロウさんが遠路参加。
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ここ有楽町駅中央口には南町奉行所跡
江戸町奉行所は、寺社、勘定と並んで徳川幕府の三奉行の一つ。職掌は、江戸府内の行政、司法、警察。勤番は定員2名で南北奉行所に別れ、月番で交代に勤務。
南町奉行所は安永4年(1775)、常磐橋門から移転し幕末まで置かれていた。
平成17年発掘調査で、大岡越前守忠相の御座敷を示す荷札が出土したそうである。


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有楽町マリオンの前、「有楽町で逢いましょう」の歌碑。
作詞佐伯孝夫、作曲吉田正)、昭和32年(1957)にフランク永井が歌う。
「フランク永井」を「トランク重い」とギャグった漫才ネタがあったような・・・・。
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関東大震災十周年記念碑
北村西望作 西村さんは「長崎平和の鐘の作者) 昭和8年の設置
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数寄屋橋跡碑 数寄屋橋公園の中
「数寄屋橋 ここに ありき 菊田一夫」
もとは江戸城外濠を跨ぐ外曲輪見付。
名前は、織田有楽斎のお数寄屋屋敷があったからと云われるそうである。
昭和27~29年、ラジオドラマ、菊田一夫作「君の名は」の舞台となった。
よく言われる話ですが、このドラマの放送時間には銭湯がカラになったとか。
それと、「真知子巻き」。ドラマの女性主人公、氏家真知子していたスカーフ(防空頭巾かな?)の巻き方が流行したとか・・・。
昭和33年、外濠が埋め立てられ、橋も撤去された。
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「★東京インデックス」をご参照下さい

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