2010年10月17日日曜日

東京 北の丸公園 北白川宮能久親王の銅像

北の丸公園の中、工芸館(旧近衛師団司令部--「記事はコチラ」)の脇に、北白川宮能久親王という人の銅像があります。
人となりは、下の説明板及びWikiをご参照下さい。
また、悲劇の皇族と云われるそうで、その訳はこちらのWikiをご参照下さい。
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皇族に生まれた人でどこかの家督を相続するという機会のない人は、僧籍に入るというケースが多いです。
そのための受け皿が「XXX(院)門跡」とかじゃないんでしょうか。
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また、後の足利義昭なども、兄(義輝)が将軍を継いだため、俗世間に居ると、どんな権力抗争に巻き込まれるか分からないので、僧籍に送りこまれています。
多分、皇族の人の場合も、無用な権力抗争を防ぐという目的もあったんでしょう。
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この北白川宮さんの場合、こともあろうに明治維新の混乱期に上野寛永寺の貫主、日光輪王寺の門跡にあったということで、上野では彰義隊に、戊辰戦争では奥羽越列藩同盟の盟主に担がれます。
そして、同盟軍の敗北。
輪王寺宮は、京都で謹慎の身となります。
この時、ご本人は20歳ですから、訳も分からずに無理やり担がれた、というような状況ではなかったかと推測します。
それだけに、この時の本人の失意と再生への意欲、新政府側の追及の程度、皇族側の擁護体制の理屈と実際、など非常に興味があります。





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「★東京インデックス」をご参照下さい
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