永井荷風インデックス
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大逆事件への処し方 徳富蘆花 石川啄木 永井荷風 森鷗外 夏目漱石
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「七月廿五日。くもりて蒸暑し。・・・日軍の為す所は欧州の戦乱に乗じたる火事場泥棒に異らず。・・・」(永井荷風「断腸亭日乗」昭和16年7月25日条)
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「九月十二日。晴。朝の中より華氏八十八九度のあつさなり。」(永井荷風「断腸亭日乗」昭和11年9月12日条)
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永井荷風「断腸亭日乗」の大正十二年(1) 関東大震災の年
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永井荷風「断腸亭日乗」の大正十二年(2) 関東大震災の年
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永井荷風「断腸亭日乗」の大正十二年(3) 関東大震災の年
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昭和14年(1939)年9月14日永井荷風「断腸亭日乗」「戦争の禍害を示すものにあらず寧その利益を語るものなるべし。」
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昭和16年(1941)年7月13日~18日 第二次近衛内閣総辞職 松岡外相更迭 「初より計画したる八百長なるが如し」(「断腸亭日乗」)
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9月22日は中秋 「十五夜に雲なきは稀なり」(永井荷風「偏奇館漫録」)
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昭和16年(1941)7月19日~24日 関特演 「いづれも冬仕度なれば南洋に行くにはあらず蒙古か西伯利亜に送らるゝならん」(荷風「断腸亭日乗」) ルーズベルト、野村大使に石油禁輸の可能性を警告
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昭和15年9月27日 日独伊三国軍事同盟締結。「・・・自ら辞を低くし腰を屈して侵略不仁の国と盟約をなす国家の恥辱之より大なるは無し・・・」(荷風「断腸亭日乗」)
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昭和15年(1940)年10月18日 「門外の木の間に何やら赤ききれの閃くを見る。女の腰巻かと見るにさにあらず、これ鄰家の墺國人ナチスの旗と日の丸の旗とを其門に立てたるなり。」(永井荷風「断腸亭日乗」)
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永井荷風略年譜(「断腸亭日乗」起筆まで) (1)
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東京 三ノ輪 浄閑寺(投込寺) 永井荷風の詩碑 花又花酔の川柳の碑 新吉原総霊塔 遊女「若紫」の墓
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東京 安藤坂 牛天神 中島歌子歌碑 一葉が通った萩の舎跡 荷風が生まれ育った土地
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東京 伝通院(でんずういん) 永井荷風育生地 富坂 東京都戦没者霊苑 礫川公園 春日局の像
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昭和15年(1940)11月25日 「八紘一宇などいふ言葉はどこを押せばでるものならむ。お臍が茶をわかすはなしなり。」(永井荷風「断腸亭日乗)
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昭和15年(1940)12月31日 「花下一杯の酒に陶然として駄句の一ツも吟ずる餘裕あらば是人間の世の至楽なるべし。」(「断腸亭日乗」)
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東京 九段周辺の永井荷風旧居跡(1) 冬青木坂の旧居跡
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東京 九段周辺の永井荷風旧居跡(2) 九段南(旧麹町)の旧居跡
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東京 永井荷風の満11歳の頃の通学路 半蔵門~一ツ橋
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昭和16年(1941)1月1日 「人の命あるかぎり自由は滅びざるなり。」(永井荷風「断腸亭日乗」)
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昭和16年(1941)1月25日 「政府はこの窮状にも係はらず獨逸の手先となり米國と砲火を交へむとす。笑ふべく亦憂ふべきなり」(永井荷風「断腸亭日乗」)。
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昭和16年(1941)1月28日 「支那は思ふように行かぬ故、今度は馬来人を征服せむとする心ならんか。」(永井荷風「断腸亭日乗」)
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昭和16年(1941)2月4日 「彼国(朝鮮)の王は東京に幽閉せられて再び其國にかへるの機会なく、其國民は祖先傳來の言語歌謡を禁止せらる。」(永井荷風「断腸亭日乗」)
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永井荷風年譜(1) 明治12年(1879)12月3日 荷風誕生 家族、生家のこと
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昭和16年(1941)2月24日 「怨嗟の聲かくの如き・・・。軍人執政の世もいよいよ末近くになりぬ。」(永井荷風「断腸亭日乗」)
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昭和16年(1941)3月3日 「新體制の腐敗早くも帝都の裏面にまで瀰漫せしなり。痛快なりと謂ふべし。」(永井荷風「断腸亭日乗」)
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永井荷風年譜(2) 明治13年(1880)1歳~明治25年(1892)満13歳
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永井荷風年譜(3) 明治26年(1893)14歳~明治27年(1894)15歳 寺内寿一らによるイジメにあう 初恋とペンネーム(創作の初め)
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永井荷風年譜(4) 明治28年(1895)満16歳~明治29年(1896)満17歳 中学校を病気留年 亡友井上唖々との出会い
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昭和16年(1941)3月24日 「本国は北賊排虎(ヒトラ)の為に滅され、印度洋上の領土は倭寇の襲ふところならんとす。」(永井荷風「断腸亭日乗」)
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永井荷風年譜(5) 明治30年(1897)満18歳 初めて吉原に遊ぶ 第一高等学校受験失敗 家族と上海で暮らす
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昭和16年(1941)4月4日 「新橋橋上のビラにもう一押だ我慢しろ南進だ南進だとあり。車夫の喧嘩の如し。」(永井荷風「断腸亭日乗」)
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昭和16年(1941)4月26日 「世情混沌五里霧中に在るが如し。」(永井荷風「断腸亭日乗」)
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永井荷風年譜(6) 明治31年(1898)満18歳~明治32年(1899)満20歳 広津柳浪の門に入門 落語家の弟子になる 懸賞小説入選
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永井荷風年譜(7) 明治33年(1900)満21歳~明治34年(1901)満22歳 小説修業の傍ら歌舞伎座立作者福地桜痴に入門 暁星学校夜学でフランス語を学び始める
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永井荷風年譜(8) 明治35年(1902)満23歳~明治36年(1903)満24歳 「地獄の花」「夢の女」出版 アメリカに渡る
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永井荷風年譜(9) 明治37年(1904)満25歳~明治38年(195)満26歳 「如何なる点からしても戦争と云ふ事に幾分の趣味も有する事ができない」 娼婦イデスとの耽溺生活
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昭和16年(1941)5月8日 「戦争此のかた若き女の他處へ移住することを禁ぜられたり。」(永井荷風「断腸亭日乗」)
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永井荷風年譜(10) 明治39年(1906)満27歳~明治40年(1907)満28歳 「余は娼家の奴僕となるも何の恥る處かあらん」 遂にフランスに渡る
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昭和16年(1941)5月31日 「慾纂怪といふ化物・・・その吠る聲コーアコーアと聞ゆることもありセイセンと響くこともあり・・・。」(永井荷風「断腸亭日乗」)
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明治16年(1941)6月1日 「わが思想とわが藝術も願くばこの佛蘭西あじさゐの如くなれかし。」(永井荷風「断腸亭日乗」)
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昭和16年(1941)6月14日 「勧銀の営業振りは全く高利貸に異らざるものなし」(永井荷風「断腸亭日乗」)
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昭和16年(1941)6月15日 「今日以後余の思ふところは寸毫も憚り恐るゝ事なく之を筆にして後世史家の資料に供すべし。」(永井荷風「断腸亭日乗」)
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昭和16年(1941)6月20日 「米国よ、速かに起つてこの狂暴なる民族に改悛の機会を與へしめよ。」(永井荷風「断腸亭日乗」)
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川本三郎『荷風と東京 「断腸亭日乗」私註』を読む(1) 「はじめに」ほか
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