2010年10月24日日曜日

東京 銀座・築地散歩(4) 京橋の親柱 江戸歌舞伎発祥の地碑 京橋大根河岸青物市場跡碑 煉瓦銀座の碑

日本橋を出て東海道を京都へ向かう際に最初の渡る橋であることから京橋と名付けられたという。
創架は慶長8年。
明治8年に木造から石造となり、更に明治34年に鉄橋となった。
大正11年には、石、コンクリート、一部金属作りとなり、翌年の大震災で被害を受けるが、これを修復。
しかし、昭和34年、京橋川が埋め立てられ、橋は撤去されることとなる。
尚、親柱は、明治8年のものと大正11年のものが残されている。
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京橋の親柱(南詰西側)



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江戸歌舞伎発祥の地碑(北詰西側)
中村座の始祖猿若勘三郎は中村勘兵衛の次男で、京都で大蔵流狂言をよくした。
歌舞伎に転じ、「猿若」を始め、天下に謳われ、猿若と名乗る。
元和8年江戸に下り、寛永元年、中橋南側に猿若座を創建。
寛永9年に禰宜町(日本橋堀留町)に、慶安4年に堺町(人形町)に移転、ここで中村座と改称。
更に天保12年、淺草猿若町に移転。
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京橋大根河岸青物市場跡碑(北詰西側)
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(北詰東側)
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大正11年の親柱(南詰東側)
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煉瓦銀座の碑
明治5年の銀座・築地一帯の大火後、煉瓦造りの街作りが進められる。
新橋~京橋の大通りの土地を買い上げ、日本最初の15間(27m)道路とし、両側に煉瓦造り連屋2階建ての建築を建設し、これを払い下げた。
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「★東京インデックス」 をご参照下さい
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