北の丸公園 2014-01-10
*一週間もあれば、われわれの主人公(ゴヤ)は(ローマに)なれてしまったであろう
「ローマは広く浅い人間の町ですから、かれらは互いに仮面をはがし合い、絶えずいがみ合っているのです。……
人々はわたしに、盛んに教皇と国務長官たる枢機卿の悪口を言い、かれらのおかげで、教皇領内にドイツ人やスペイン人が八万人も溢れてしまったと歎いていた。……
わたしを驚かしたことは、その日が土曜であったのに、みんなが肉をたべていることであった。しかしローマでは、そんな驚きも一週間しかつづかなかった。世界のカトリック都市のなかで、ローマほど気兼ねしないところはない。……
・・・
ローマが極道者の大先輩であるカザノヴァの観察し、描き出したようなものであったとすれば一週間もあれば、われわれの主人公はなれてしまったであろう。」
ともあれ、ゴヤはローマで自活しえたであろう
「ともあれ、数万人にものぼる同国人たるスペイン人のコロニイがあったこと、しかも大使フロリダブランカ伯爵が宮廷でフランシスコ・バイユーと知り合いであったことを考えれば、青年が自活しえたということは、充分に考えられることである。
また同じ頃にラファエル・メングスもがローマへ一時的に帰っていたこともあり、もしマドリードでバイユーを通じて紹介されたことがあったとしたら、と仮定をしてみれば、ここでも自活は可能であったろうとの推測は立つものと考えられる。
おそらく青年は、郷里であるスペインの風物を描いて、それで自活をしていたものであったろう。そうして、ロシアの大使イヴァン・シューワロフ氏と知り合ったといった噂も、そういったところから出て来たものであったろう。・・・」
1770年末、パルマ公領のアカデミイのコンクールに出品
「とにもかくにも、青年のローマ滞在時の、信憑性ある記録はたった一つしかないのである。
それは、彼が(またしても!)コンクールに応募したときのものである。一七七〇年の年末に、彼はパルマ公領のアカデミイのコンクールに出品をしている。」
パルマ公領:
イタリアのど真中に、スペインとフランスのごちゃまぜのような、妙なものがあった
「大体のところ、このパルマ公領なるものは、イタリアはボローニア地方のど真中に、ぽつんと飛び地のようにして存在していた、いわばブルボン家領であって、スペインの領地ともフランスの領地とも、どちらとも言いかねるような、なんとも曖味なものである。かたちの上では、統治者であるドン・フェリーベ公は、スペインのブルボン家に属するということになってはいたのであるが、彼は実のところではフランスのルイ一五世の娘であるルイズ・エリザベートの女婿なのである。だから、ブルボン家の私領と考えた方が妥当というものであろう。
細君であるエリザベート(・・・)公爵夫人は、カザノヴァのつたえるところによると、「ヴェルサイユの宮廷の縮小版」をつくろうと試みていたものであった。イタリアのど真中に、スペインとフランスのごちゃまぜのような、妙なものがあったわけである。カザノヴァはまた、道を歩く人々が、フランス語かスペイン語しか喋らず、まるでイタリアとは思えなかった、ともつたえている。」
パルマ公領の美術アカデミイを支配していたものは、マドリードと同じくラファエル・メングス
「・・・スペイン・ブルボン家の飛び地的天領とでも理解したらよいものであろうか。・・・
しかも、このかたちの上ではスペイン領ということになっていたパルマ公領の統治者が、フランス啓蒙派の哲学者コンディヤックによって導かれ育てられた人であるとなると、啓蒙派の書物をもっていることさえが、異端審問所の命令で御禁制ということになっていたスペイン本国と相対比して、われわれの当惑はいっそう高まることになる。
一般的な生活上の風習、教着等においてはきわめてフランス的であって、しかもなお、芸術上の好みにおいては、きわめてスペイン的、というよりは今様のマドリード的であったのであるから、いっそう事はややこしくなる。
つまり、このパルマ公領の美術アカデミイを支配していたものは、マドリードと同じくラファエル・メングスであり、ヴィンケルマン理論であった。この公爵の宮廷画家はフランスのリヨン出身の人で、メングスの弟子であった。・・・」
性懲りもなく応募をして、失敗をする
「性懲りもなく応募をして、失敗をする。」
ゴヤはまだ自らの才能に蓋をしておかねばならない
「自己の内部に、まだ無意識のままで、どす黒く、黒々と存在し、蟠踞している自己自らの才能を、彼は自ら否認をしなければならないのである。それをおさえつけて、いかなる出口もないほどに蓋をしてしまわなければならないのである。扼殺をしてしまわなければならない。
そこに二つの逆立ちをしたテーゼが成立するであろう。
人は、早く自らの資質を発見し、育て、磨きをかけることによって発展し、自らを見出す。
人は、自らの資質を発見せず、逆におさえつけて蓋をし、もっぱら時代の好尚にあわせるように出来るだけ努力をする。」」
にもかかわらず、地中深くから資質を爆発的に噴出させるときもある
「にもかかわらず、あたかも火山が爆発をするかのようにして、地中深くから資質を爆発的に噴出させる。」
ゴヤ作「イエズス会修道士の追放令の発布とその布告の実施」
「マドリードにおける「イエズス会修道士の追放令の発布とその布告の実施」についての、概略の状況を述べたときに、いまカッコのなかにしるしたと同題名の二枚の作品がゴヤにあったことを、私はあまり強調をしなかった。というのは、これらの二枚の作はともに現在では行衛不明となっているからであり、強調しようにもしようがなかったからである。」
時代の風向きが変って来ていた
「しかし、政治をとり行う側としては、この事件は一日も早く民衆に忘れ去ってもらいたい、後暗いところのある事件であったのであるから、それらのことを画布に記録などしてもらいたくはなかったであろう。ゴヤは、「躊躇することなくその時代のテーマを描いた」。
それは、実は劃期的なことであったのである。
時代の風向きが変って来ていた。
青年に、おそらく政治の側が何を考え、何を画策してこういう強硬手段をとったものであったかといったことは、一切わかっていなかったであろう。
わかっていてもいなくても、そんなことはどうでもいいことである。問題は、むしろ時代と称されるもの自体の方にある。時代と称される、人間が相集って醸成する、ある時期の人間の顔ともいうべきものが、誰をつかまえて自らの肖像を描かせるかに問題があるであろう。」"
しかし、ゴヤは待たなければならない
「しかし、ゴヤは待たなければならない。彼は二五歳である。」
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