2017年6月27日火曜日
音楽が音楽であるのは、それを音楽と受けとる耳があるからだ。 相倉久人 (鷲田清一『朝日新聞』折々のことば2017-06-23)
音楽が音楽であるのは、それを音楽と受けとる耳があるからだ。
相倉久人
「聴く耳さえあれば、波の音や街の雑踏も立派に音楽として成立する」と、音楽評論家は言う。
音楽は、奏でる人、聞こえる音と、それに耳を傾ける人の共同作業としてある。
このことは、深い悲しみの中に沈む人の語りについても言える。
言葉は、聴く人の、祈るようにして待つ耳があってはじめて、ぽろりとこぼれ落ちる。
「FMfan」(2000年第21号)のCD評から。
(鷲田清一『朝日新聞』折々のことば2017-06-23)
『朝日新聞』折々のことば2017-06-23
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