東京 北の丸公園 2012-09-13
*昭和17年(1942)
9月16日
・九月十六日。晴。晩間金兵衛に飯す。佃茂の主人日本橋寶來屋の煮豆壜詰を手に入れたりとて一壜を贈らる。東京にて今まで名物といはるゝものを作りし老舗大方店を鎖しぬ。蔵前の鮒佐、並木の濱金、築地の佃茂その他猶多かるぺし。
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9月17日
九月十七日。くもりて風涼し。谷口怙寂子來書。
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9月18日
九月十八日。微雨。腹痛。終日家に在り。
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9月19日
九月十九日。雨はげしく風も吹添ひたり。暮方雨の小歇みするを覗ひ夕餉せむとて金兵衛に至る。
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9月20日
九月二十日 日曜日 天気猶定まらず晴れてはまた雨ふる。金兵衛にて清潭五叟等に逢ふ。噂によれば化物の見世物怪談及び猫騒動の芝居等禁止せられし由。
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9月21日
九月廿一日。午後土州橋に徃く。晡下風雨重ねて來る。
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9月22日
九月廿二日。風雨終日やまず。
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9月23日
九月廿三日。積雨始て晴る。午後大工岩瀬駿河台高橋氏方よりたのまれたりとて風呂敷包を持來れり。故人左團次の遺品にて唐棧縞冬物二品なり。黄昏金兵衛に至る。明月鏡の如し。明日は十五夜なりと云。
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9月24日
・九月廿四日。秋分。晴れたる空折々くもりしが日暮れてより中秋の月隈なく照りわたりぬ。中秋と秋分との同じ日になりしは大正十二年震災の時なりき。月日のたつは早し。芝口に夕餉して後墨堤を歩す。
〔欄外朱書〕中秋
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9月25日
九月廿五日 十六夜の月空くもりて明からなず
わたし場をさがして歩く月見かな
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9月26日
九月廿六日。燈刻驟雨。初更に至って霽る。
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9月27日
九月廿七日 日曜日 濱館貞吉著寒葉齋建部綾足の傳をよむ。晴れて風なし。
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9月28日
九月廿八日。晴。午後土州橋に行く。
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9月29日
九月廿九日。晴。十日程前より両脚及両腕痲痺して起臥自由ならず歩行する時よろめき勝ちになりぬ。又燈下に細字を書くこと困難となれり。昨日土州橋に至りで診察を請ひしが病状明かならず治療の道なきが如し。余が生命もいよいよ終局に近きしなるぺし。乱世の生活は幸福にあらず死は救の手なり悲しむに及ばず寧よろこぶべきなり。
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9月30日
九月三十日。晴れてむしあつし。門外に遊ぶ子供の話をきくに文房具屋の店に墨品切になりし由。
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このところ日記の記述は、天候、食事がメイン。
ここにきて(原因不明の)病気。
満62歳、独身には堪えたかもしれない。
「乱世の生活は幸福にあらず死は救の手なり悲しむに及ばず寧よろこぶべきなり。」
昭和17年の世の中の動きは、別の記事で現在展開中ゆえ、そちらをご参照下さい。
現在は昭和17年8月の後半に差し掛かったところ。(↓)
昭和17年(1942)8月 第2次ソロモン海戦 ガダルカナル増援は、船団輸送方式でなく「鼠輸送」/「東京急行」(快速艦艇による輸送)となる
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