「朝日新聞」論壇時評2012-09-27 高橋源一郎
変化を求めて
「暴論」じゃない、まともだよ。
読んだ人の多くは「なんて暴論を吐くやつだ、けしからん」というかもしれない。
でも、ぼくは、逆に、これはほんとうに考え抜かれた発言だと思った。
①東浩紀「僕は福島第一原発観光地化計画を提案します」
(週プレNEWS http://wpb.shueisha.co.jp/2012/09/04/13790/)
週刊プレイボーイのインタビューに答えて東浩紀は「福島第一原発観光地化計画」(!)を提案している。
それは、例えば「フクイチの近くからiPhoneをかざすと」、特別な技術で「爆発の様子が再現されて、モクモクと煙が上が」り、「体験施設の地面が揺れて、ガイガーカウンターの数値がぐんぐん上がって」いくような、そしてそこに来た若者たちが「ヤバイよ!」というような観光施設だ。
これが、奇矯に聞こえ、批判を呼ぶことを承知した上で、東さんはあえて発言している。
それは、「原発事故」(を含む東日本大震災)に関して、いちばん避けたい事態は「忘れる」ことであると、よく知っているからだ。
日本人は「忘れる」ことの名人だ。
戦争や悲惨な公害の惨禍も、ぼくたちは喉元を過ぎると、日常の暮らしの中で、いつしか忘れてしまう。
このままでは、きっと「フクシマ」も「津波の被害」も忘れてしまうにちがいない。
だから、東さんは、日々の消費の欲望のただなかに「フクシマ」を据え、忘れられないものにしようとした。
繰り返していうけれど、それは考え抜かれたものなんだ。
今月はなんといっても「尖閣」「竹島」を中心にした領土問題が論壇誌だけではなく、メディアの報道の中心となった。
そして、その多くは「我が国の領土」を守るために、どのように中国や韓国に対するか、というものだった。
中には、「日中もし戦わば」といさましいものまである。
②孫崎享「米国は尖閣諸島を守ってくれない」(週刊ポスト9月7日号)
③孫崎享『日本の国境問題』(ちくま新書、昨年5月刊)
その中で、異彩を放っているのが、元外務省国際情報局長・孫崎享の発言だ。
孫崎さんは、いざとなってもアメリカは尖閣を守ってくれない、という。
あるいは、豊富な資料をもとに「尖閣諸島は日本古来の領土である」という前提には根拠がない、ともいう。
まことにもって、ギョッとするような「暴論」ではありませんか。
しかし、孫崎さんは、「領土」問題に関しては専門家中の専門家なのである。
たとえば、同じ敗戦国のドイツは、「領土」に対してどんな態度をとることにしたか。
敗戦後、ドイツは、膨大な国土を失った。
人の住まぬ岩礁ではない。
ドイツ語を話す人々の住む土地を、である。
だが「ドイツは歴史の中で新しい生き方を見いだした」、「失ったもの(領土)は求めない、その代わり欧州の一員となりその指導的立場を勝ち取る」ことにした、と孫崎さんは指摘する。
そのドイツの戦後の「国家目標」が、ぼくたちの国では「暴論」に聞こえてしまうのが、なんだか哀しい。
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④杉田敦「『決められない政治』とポピュリズム」(世界10月号)
いまの政治システムがおかしいことは、みんなわかっている。
杉田敦は、いわゆる「決められない政治」が跋扈する理由は、「多数派」に負担を回すことができないので(そんなことをすると選挙で落ちるから)、政治家たちは、「後世」という「外部」へ、そのつけを回そうとするからだ、という。
⑤大竹文雄「選挙は民意を正しく反映するか」(中央公論10月号)
あるいは、大竹文雄は、「選挙は民意を正しく反映するか」という問いに、やはり多数派が、心地よい、「つい信じてしまいそうな主張」に動かされやすいことが、とりわけ「瀬戸際に立たされた政治家」に影響を与える、と指摘する。
どちらの意見もその通りだと思う。
では、なにも変わらないのは、なぜなのか。
(政治家たちに)変える気がないからじゃないだろうか。
選挙区の定数を一つ二つ削減することさえできない人たちに、それ以上の変化を求めるのは、そもそも無理なんだろうか
⑥片山杜秀『片山杜秀の本5線量計と機関銃』(アルテスパブリッシング、7月刊)
片山杜秀は、「議会の任期は一年」「比例代表選拳のみ」という、あっと驚く改革案を紹介している。任期が1年ぐらいじゃないと複雑な現代社会に対応できないし、比例代表(当然、任期中は公約を変えられないという前提で)じゃないと、せっかく投票したのに勝手に政策を変えられてしまうから、というのだ。
この(ぼくの考えでは)まともすぎる「暴論」を提案したのは、日本政治史上最大の「暴論」、「天皇機関説」を唱えた美濃部達吉だそうです。
いまから、七、八十年前に、ここまでいっていたんだ。
ちなみに、片山さんは、いちど「内閣などをぜんぶ、女性に変えてしまう」ことを提唱していて、それは、「子供を産むとか、育てるということを本気で考えていない男の社会」がかくも悲惨な結果を招いたからだというのだが、これも、ぼくには「暴論」ではなく、ものすごくまともな意見に聞こえるんですけれどね。
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⑦内藤朝雄「法の介入、学級制度廃止でいじめの蔓延を食い止めろ」(中央公論10月号)
最後に、教育のことを。
内藤朝雄は「いじめの蔓延」を食い止めるために、「法の介入」と「学級制度の廃止」を提案し、同時にその実現は困難をきわめるだろうと書いている。
これを読んで、「学級制度の廃止」だけではなく、さらに進んで、学年も、試験も、宿題も、通知簿も廃止して、その結果、いじめを実質的に根絶している、「きのくに子どもの村学園」の学園長、堀真一郎さんと話した時のことをぼくは思い出した。
そのあまりにラディカルな(つまり「暴論」といっていい)教育理念を、文部科学省は支持してくれて驚いた、と堀さんは言った。
「抵抗があるのは、実は、現場の自治体や教師や親の方なのです」。
ぼくたち自身の中に、「変化」を拒むなにかが存在しているのだ、と。
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論壇委員が選ぶ今月の3点
小熊英二=思想・歴史
・鈴木尭博「高尾山天狗裁判 『行政裁量』の壁との闘い」(世界10月号)
・赤石千衣子「民主党政権は母子家庭の貧困を救えたのか」(現代思想9月号)
・森川すいめい「障がいをもったホームレス者がいる町で」(同)
酒井啓子=外交
・孫崎享『戦後史の正体』(創元社)
・河野洋平 インタビュー「日本外交に理性と誠実さを」(世界10月号)
・塚田晋一郎「戦後日本初の海外軍事基地」(同)
菅原琢=政治
・杉田敦「『決められない政治』とポピュリズム」(同)
・「原発事故から1年半で見えてきた放射能汚染の”正体”」(週刊ダイヤモンド9月15日号)
・NHKスペシャル「シリーズ東日本大震災 追跡 復興予算19兆円」(9月9日放送)
清野智史=メディア
・竹内洋「『国民のみなさま』とは誰か」(中央公論10月号)
・辻村みよ子「カウンター・デモクラシーと選挙の効果的協同へ」(世界10月号)
・大竹弘二「公開性の根源(連載第3回)」(atプラス13号)
平川秀幸=科学
・辻内琢也「原発事故避難者の深い精神的苦痛」(世界10月号)
・除本理史「原発避難者に迫る補償打ち切り」(同)
・難波美帆「民主主義が問われる夏」(シノドス・ジャーナル、http://synodos.livedoor/biz/archives1973868.html)
森達也=社会
・田岡俊次「中国海軍『強大』の幻想」(AERA9月10日号)
・デビッド・T・ジョンソン「アサハラを殺すということ」(世界10月号)
・孫崎享『戦後史の正体』(創元社)
※敬称略、委員50音順
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担当記者が選ぶ今週の論点
領土問題における外交の欠如
尖閣諸島や竹島という「領土」についての議論が集中するなか、「外交」の意味を問う論考が目を引いた。
東郷和彦「日本の国益のために戦略的な対応を」(週刊金曜日8月24日号)は、実力行使を主張する風潮を「保守の『平和ボケ』と言われてもしかたがない」と批判する。
領土問題の存否や従軍慰安婦問題の解決で長期的な戦略の必要性を説く。
外相などを務めた河野洋平は「防衛問題が前面に出て、外交が後ろに退がって傍観しているような状況」と外交の欠如に苦言を呈した(世界10月号)。
お笑い芸人の母親の受給を巡る報道で、注目が集まった「生活保護」。
岩田正美「生活保護を縮小すれば、本当にそれで済むのか?」(現代思想9月号)は、バッシング対象のこの制度が貧困問題を一手に引き受けている現状に言及。
今の社会保障制度のいびつさを浮き彫りにする。
POSSE編集部「15分でわかる生活保護」(16号)は非難や中傷に陥りやすい議論を回避すべく、データや論点を整理して改めて提示した。
辻内琢也「原発事故避難者の深い精神的苦痛」(世界10月号)は、独自の調査結果を踏まえ、被災者に今、必要なのは心のケアに止まらない「社会的なケア」だと説く。
これまでの震災と比べても、被災者の心的外傷後ストレス(PTS)の症状が強い背景には、仕事の喪失や生活費の問題、コミュニティーの断裂など、社会的次元での要因があるからだ。
塚田晋一郎「戦後日本初の海外軍事基地」(同)はアフリカ・ジブチにある自衛隊の「海外基地」の存在を問題にしている。
ジブチとの「地位協定」は問題含みで検証が必要とする。
米国議会の報告書では、日本の戦後初の海外基地だが「(国内で)論争にはなっていない」と指摘されているという。
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