沖縄タイムス
米軍ベトナム謀略ビラ「私たちが作った」
2012年9月23日 09時51分
(7時間49分前に更新)
【中部】ベトナム戦争時、沖縄に常駐していた米陸軍第7心理作戦部隊の工場で働いていた元基地従業員3人が22日までに、北ベトナム社会を混乱させる目的で散布していた謀略ビラを「私たちが作っていた」と、沖縄タイムスに証言した。心理作戦部隊の存在は当時、謀略性が強いため米本国内でも極秘扱いされ、米連邦議会も実態を把握していなかった。3人は「作戦の歯車に組み込まれ、戦争に加担してしまった。若い人たちに事実を知ってほしい」と口をそろえる。同部隊の主要任務だった謀略ビラ作製で、元日本人従業員が関与を認めて証言するのは初めて。(磯野直)
心理作戦部隊は、1958年2月から浦添市の牧港補給地区(キャンプ・キンザー)に駐留。米軍がベトナム戦争へ本格介入した65年10月、第7心理作戦部隊に昇格・強化された。74年6月に解体されるまで、北ベトナムや北朝鮮などの共産圏に対する謀略活動、沖縄統治での宣撫(せんぶ)工作を行っていた。
今回、証言したのは宮里信善さん(64)、高江洲賢治さん(64)、大城良信さん(64)。3人は60年代後半から74年まで、心理作戦部隊の工場だった補給地区内の205号ビルで、北ベトナムに空中から散布するビラの印刷、箱詰めなどに従事していた。現地住民に拾わせるため、偽札仕様のビラも作った。
宮里さんは、謀略ビラを印刷するための原版を作る写真製版部にいた。ベトナムの戦場で撮られた残虐な写真を数多く見たため、気持ちが晴れる日はなかったという。「混乱や動揺を引き起こすようなビラを作り、ベトナム戦争に加担してしまった。こんな部隊が沖縄にいたことを、若い人たちに知ってほしい」と話した。
高江洲さんは、印刷部で輪転機の維持・管理と、刷り上がりの点検を行っていた。「仕事とはいえ、謀略ビラを作ってしまったのは消えない事実。もう隠すことではない」と語った。
裁断・箱詰めに携わった大城さんは73年、偽札のビラを職場から持ち出し、匿名で告発した。「かつて沖縄が謀略の拠点に使われ、僕らも作戦に協力した。若いウチナーンチュが、沖縄の未来を考える一助になれば」と期待を込めた。
沖縄の占領統治で、心理作戦部隊は雑誌「守礼の光」「今日の琉球」の編集や、極東放送へのニュース提供などを行っていたことで知られている。
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