2012年9月12日水曜日

ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(35) 「第2章 もう一人のショック博士 - ミルトン・フリードマンと自由放任実験室の探究 -」(その5)

東京 北の丸公園
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ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(35)
「第2章 もう一人のショック博士
 - ミルトン・フリードマンと自由放任実験室の探究 -」(その5)

フリードマン『資本主義と自由』
 すべてを集約しているのが、フリードマンの「ニューディール政策はあらゆる面で失敗だった」という執念にも近いメッセージだ。
彼によれば、「私自身の国を含め、(多くの国が)誤った道を歩み始めた」原因は、まさにそこにあるという。
それらの国々の政府を正しい軌道に戻すために、フリードマンは一般向けに書かれた最初の著書『資本主義と自由』で、その後の世界の自由市場経済にとって基本ルールとなるものを打ち出すとともに、アメリカ国内では新保守主義運動の経済政策となるものを作りとげた

規制緩和、民営化、社会支出削減の三つの柱
 第一に、各国政府は利益の蓄積にとって障害となる規則や規制をすべて撤廃しなければならない。
第二に、政府が所有する資産で企業が利益を上げられるものはすべて民間に売却しなければならない。
第三に、公的プログラムにあてる予算は大幅に削減しなければならない。
この規制緩和、民営化、社会支出削減の三つの柱に、フリードマンは具体的な提言を数多く盛り込んでいた。
たとえば税金は必要な場合はできるだけ低く抑え、収入の多少に関わりなく均一に課税すること。
企業は世界のどこでも自社製品を販売する自由が与えられるべきであり、政府は自国の産業や所有権を保護しようとしてはならないこと。
労働力を含め、すべての価格は市場の決定に委ねるべきであること。
最低賃金は定めてはならないこと。
また民営化すべきものとして、フリードマンは医療、郵政、教育、年金、さらには国立公園まで対象としている。
ひとことで言えば、フリードマンは臆面もなくニューディール政策を破棄することを求めたのだ。
彼にとってニューディール政策とは、大恐慌後に民衆の暴動が起きるのを防ぐために国家と企業、労働者の間で結ばれた、窮屈きわまりない停戦協定にすぎなかった。
労働者が勝ち取った保護措置や、市場の厳しさを媛和するために国家が提供するサービスは、いかなるものもすべて撤廃すべきだというのが、反革命を掲げるシカゴ学派の考えだった。

 彼らの主張はそれだけにとどまらなかった。シカゴ学派は大恐慌以後、公共事業が盛んに行なわれた数十年間に労働者と政府が築いたものを取り上げるべきだと主張した。
フリードマンが政府に売却するべきだと迫ったのは、長年にわたって公共予算を投資して得られた最終産物と、それらを作り出し価値を与えたノウハウだった。
フリードマンの考えによれば、こうした共有財産は原則としてすべて民間に移行すべきだというのだ。

フリードマンの見解と
規制のない大規模な新市場を渇望する大手多国籍企業の利害との合致
 常に数学と科学の用語で覆い隠されてはいるものの、フリードマンの見解は、その本質からして規制のない大規模な新市場を渇望する大手多国籍企業の利害にぴたりと合致していた。
資本主義の拡大の第一段階では、植民地主義がそうした食欲な成長を可能にした。
植民地主義は新しい領土を”発見”しては無償で土地を強奪し、そこに住む人々になんの補償をすることもなく大地から富をむさぼり取ったのだ。
「福祉国家」と「大きな政府」に対して戦いを挑んだフリードマンも、急速に富を築くための新天地を約束した。
ただし、それは新たな領土の征服ではなく、公共サービスや資産をその価値をはるかに下回る値段で売りに出し、国家そのものを新たなフロンティアにすることを意味した

(つづく)


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