河北新報
第4部・風化の夏(2)暴言/福島の痛み、ひとごと
昨年5月に亡くなった楢葉町の女性に関する記録。
いわき市へ避難した直後から、体調が悪化していったことがうかがえる
<「犠牲者いない」>
テレビが中部電力社員の発言を報じていた。「放射能の直接的影響で亡くなった人はいない」
政府のエネルギー・環境会議が7月16日、名古屋市で開いた意見聴取会のニュースだった。福島県楢葉町からいわき市に避難している早川千枝子さん(69)は、一人の女性を思い浮かべた。
昨年5月、34歳で亡くなった。「今も好きな絵を描き、友人たちと冗談を言い合いながら過ごしていたはず」。福島第1原発事故さえなければ。
楢葉町の障害者グループホームの施設長だった早川さんは昨年3月12日、入所者とともにいわき市へ避難した。入所していた女性はその後、いわき市内のアパートで暮らし始めた。持病で日ごろから薬を飲んでいた。
4月中旬になって、風邪をひいて抗生物質を服用したら、ひどい湿疹に見舞われた。市内の病院に入院したが、回復することなく5月20日に亡くなった。いわき市内に住む妹が駆けつけ、最期をみとったという。
湿疹の原因は「薬剤性過敏症候群」。薬の組み合わせがよくなかったとみられる。
「かかりつけの病院をそのまま受診できていれば、本人に合った治療になったはず」と早川さんは振り返る。避難によって病院を変更するしかなかった。
原発事故の犠牲者だという思いは今も変わらないだけに、名古屋市の意見聴取会での発言は許せなかった。
中部電力は社員の発言について、ホームページで「被災者の気持ちを傷付けるような不適切な発言で、深くおわびします」と謝罪している。
<腹立たしい思い>
発言は現実に多くの被災者を傷付けてしまった。謝ったところで、その傷は容易に癒えない。
大熊町から福島市に避難する荒由利子さん(64)は、ことし3月の出来事が忘れられない。埼玉県内で原発事故の避難体験を講演した際、聴衆から予想もしない言葉を聞かされた。
「いい車に乗っている。(大熊町は原発が立地していたので)お金をもらったんでしょ」「もう避難は終わったんですよね」
今も腹立たしい思いが残っている。「東京電力の電気を使ってきた人たちには言われたくない。福島の原発で、一体誰のための電気をつくっていたのか、分かっているのか」
<理解の必要訴え>
原発事故の記憶がもはや風化し始め、福島県に住む人たちの痛みがひとごとになっていることを感じた。
荒さんの自宅は原発の南約5キロ。ことし5月、一時帰宅の際に自宅で放射線量を測ると毎時19マイクロシーベルトだった。帰ることを諦めかけている。
「住み慣れた家を失うことのつらさを想像してほしい。それを理解してくれたら、軽々しい発言はできないはずだ」と荒さんは訴える。
【中部電力社員の発言(要旨)】
福島原発事故で放射能の直接的影響で亡くなった方は一人もいない。疫学データからみた紛れもない事実。福島事故の実質的被害は、警戒区域などの設定によって家や仕事を失ったこと、あるいは風評被害や(放射線量に関する)過剰な基準値の設定で作物が売れなくなり、先行きを悲観して自ら命を絶ったり、生活が立ち行かなくなったりしたこと。経済的影響が安全や命を侵した。
2012年09月03日月曜日
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政府・東電の沈静化・収束キャンペーンも風化に一役かっている。
(福島県当局もか?)
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