江戸城平川濠 2013-08-28
*明治37年(1904)
2月9日
・仁川沖海戦
午前11時30分、ロシア軍艦2隻(巡洋艦「ワリヤーグ」、砲艦「コレーツ」)、仁川港外に出る。月尾島(ウオルビド)沖で日本第4戦隊(瓜生外吉中将)14隻が待ち構える。
午後0時20分、砲撃戦始まり、「ワリヤーグ」は被弾し左舷15度傾き、戦死30を出す。
午後1時頃、ロシア軍艦2隻は仁川港内に引返す。仏英伊艦から「ワリヤーグ」に医師派遣。
午後4時5分、「ワリヤーグ」艦長ルードネフ大佐は総員退去させ、2艦を自爆させ、
午後8時、湾内のロシア汽船「スンガリー」も自沈させる。3艦乗員725人は湾内にいた仏英伊艦船で本国送還。重傷者22人は日本(松山)赤十字病院で治療、後、本国送還。
ルードネフ大佐は自爆を決意したが、他船に危事の及ぶのを避けて自沈を選び、乗員は在泊の外国諸艦に移乗させた。
この彼の行為は英雄的と露国内外の賞賛を浴び、帰国後聖オルギー勲章四等が授与された。
・仁川に上陸の韓国派遣隊2,200(旅団長木越守綱少将)、京仁鉄道で漢城に到着。市内を通り抜け南山の南に達する。
韓国の局外中立宣言はひとたまりもなく蹂躙される。
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2月9日
・極東総督アレクセーエフ大将、ウラジオストクの太平洋艦隊に日本艦船拿捕・日本朝鮮間の連絡路遮断を指示。
巡洋艦「ロシア」以下4隻巡洋艦隊、日本沿岸へ示威行動に出港。
14日午後3時に戻る。
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2月9日
・熊本医学専門学校(熊本医学校)
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2月9日
・「万朝報」、「挙国一致の名の下に軽躁事を決し」、「外難の為めに内憂を培養」するなと呼掛け。
議会には、愛国心を利用して増税を断行する政府の監視を要請(2月26日)。
戦時財政計画の増税の過酷・行財政整理必要を指摘(3月19、20日)。
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2月9日
・小村寿太郎外相、各国駐剳の日本の公使に、清国の中立尊重の意向を通告することを訓令。
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2月9日
・ロシア、宣戦布告発表
日本の「スネーク・アタック」(騙まし討ち)に対する「自衛」を強調。
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2月10日
・ロシア水雷敷設艦「エニセイ」、旅順湾で味方の浮遊機雷に接触。96人死亡。
13日、巡洋艦「ボヤーリン」も同じく味方の機雷に触雷、沈没。
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2月10日
・対ロシア開戦詔勅。対ロシア宣戦布告。
祝賀色にいろどられる東京。
「市中は戸毎に国旗をかかげ、花瓦斯を点じ、朝より午、午よりも夜に入りて賑ひぬ」
慶応義塾、商船学校、富国生命会社などは総出の提灯行列をおこない、二重橋前、海軍省前を中心にねり歩いた。
「多きは二、三千人、少きも九十人、百人一隊となりて歩く者引きもきらず……何れも帝国万歳を歓呼して東西南北に入違ひ行違ふ其の勇ましさ云はん方なく、至る所に灯火の光、旗の影、人の声、実に二月十日の闇き夜を昼にしたり」(「東京日日新聞」)。
日比谷から桜田門に至る道は市内電車も通行困難になり、「帝国海事大勝利を祝して臨時大売出し美景呈上」のビラをまく商店、あるいは行列市民をあてこんで街頭に「ほおずき提灯」を売る露店も出現した。
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2月10日
・黒木為禎大将の第1軍編成
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2月10日
・戦時または事変の際の陸軍軍服の件公布。濃紺絨製、将校以下の夏衣袴は茶褐色。
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2月10日
・この日、陸軍省は「従軍新聞記者心得」を通達。
従軍を希望する新聞記者は履歴書に社主の身元保証書を添えて出願し、従軍中は軍の命令に従うこととされる。
また、従軍記者は1年以上新聞社に勤務した実績のある者に限られた。
外国人の場合は、自国の公使もしくは領事を通して外務省に出願することとし、通訳1名の随行を許したが、その費用一切は自己負担とした。
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2月10日
・布施辰治、小石川初音町に「布施辰治法律事務所」開設。
7月31日、大きな負債を残して解散。
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2月10日
・岡倉天心(41)、横浜港から日本郵船伊予丸で出航、ボストン美術館の招きに応じ、門弟の横山大観(35)・菱田春草を伴いアメリカに向かう。日露戦争勃発により最後の船便。
世論工作のためシアトル経由ロンドンに向かう元内相末松謙澄(伊藤博文女婿)が同乗。
見送りの伊藤博文が船客一同を上甲板に集め、この船が無事にシアトルに着けるかどうか分からないが、倒れるまで国の為に尽くそうと演説。
38年3月26日帰国。
4月、岡倉天心はボストン美術館の中国日本美術部顧問に就任。この滞米期間中に『日本の覚醒』を執筆し、11月にアメリカで出版。
岡倉天心は明治36年に『東洋の理想』をロンドンで刊行している。
「アジアはひとつ」という言葉ではじまるこの本は、東アジアには欧米列強諸国の近代文明に伍して決して引けを取らない豊かな文化、歴史の深みがあるとした上で、その精華がもっとも純粋かつ濃密に現れているのが日本文化だとした。
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2月10日
・栗野慎一郎駐露公使、公使館員及び留学生を率いて引き上げ。
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2月11日
・午後10時30分、西津軽沖、日本船舶「奈古浦丸」(米4千俵・乗客4人)、ロシア軍艦(ウラジオストクの太平洋艦隊巡洋艦「ロシア」以下4隻)に撃沈。
救命艇に乗り移る際に負傷した船員2名が海に落ちて死亡。
乗客37人・乗客4人は収容されウラジオに連行(翌日、ドイツ船に乗せられ、22日長崎帰着)。
同じ水域で、「全勝丸」も砲撃をうけるが、撃沈を免れ、11日夜、渡島(おしま)半島西端の白神岬に近い福島港に辿りつく。
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2月11日
・大本営、宮中に設置。2月12日公布。
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2月11日
・ローゼン露公使、東京を引き上げ、12日横浜を発つ。
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2月11日
・ニコライ主教、日露開戦に際しギリシャ正教会全信徒に日本国民として忠義の本分を尽くすことを論示。
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2月11日
・京都市長ら、京都奉公義会結成。出征兵士遺家族救護、恤兵活動を目的とした団体が各地におこる。
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2月11日
・志賀直哉(21)、娘義太夫に凝り16日迄の6日間で5回通う。
中等科の終り頃から歌舞伎に凝り、毎日曜日は新宿角筈の内村鑑三宅で講話を聞き、終ると木挽町の歌舞伎座へ人力車を走らせる。
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2月12日
・清国、日露戦争に対し局外中立宣言。
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2月12日
・ロシア公使パブロフ一行、韓国から退去。高宗ら親露派衝撃。
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2月12日
・米公使、清国における交戦地域を局限し清国の中立保全を尊重すべき事を提議。
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