より続く
慶応4年(1868)
閏4月20日
・陸軍編成法。/24.同細則、諸藩の徴兵細目。
閏4月21日
・仙台藩主伊達慶邦、仙台に帰城。九条鎮撫総督、仙台に戻る。
・政体書制定。七官制(3職7科8局制)。一応の三権分立。
①議政官(立法)-上局(議定・参与)・下局(貢士)、②刑法官(司法)、③行政(行政)-④神祇・⑤会計・⑥軍務・⑦外国官。
天皇親政宣言。岩倉具視・三条実美が行政官輔相となり議政官の議定を兼任。議政官参与は小松・大久保・木戸・広沢・後藤・福岡・副島・横井・由利(9名)。議政官は、上下2局、上局は皇族・公卿・諸侯・藩士から任命された議定・参与が、下局(貢士対策所)は、各藩から選出された貢士が議員となる。
起草副島種臣(佐賀藩士)・協力福岡孝弟(土佐藩士)。外国事務局を外国官と改称(外国官知事・伊達宗城)。西郷は参与職を解任(参謀職が解かれるのは10月末)。
「聯邦史略」(中国で漢訳されたアメリカ史)、「西洋事情」、「万国公法」(漢訳された近代国際法テキスト)が参考書として使われる。岩倉邸などで、大久保・木戸・小松・由利・後藤ら薩長土肥越の「有司」らが2ヶ月かけて練り上げ、彼らは揃って議政官上局の参与に就任。ここに、政体書の権力の源が置かれる。
①議政官(立法) 上局(議定・参与) 議定 三条実業・岩倉具視・中山忠能・正親町三条実愛・徳大寺実則・中御門経之・蜂須賀茂韶・山内豊信(容堂)・松平慶永(春嶽)・鍋島直正、参議 由利公正(三岡八郎)・福岡孝弟(藤次)・小松清廉(帯刀)・木戸孝允(桂小五郎)・後藤象二郎・大久保利通(一蔵)・広沢真臣(兵助)・副島種臣・横井平四郎(小楠)・西郷隆盛(吉之助)・岩下方平(左次右衛門)、下局(貢士) 議長 大木喬任・坂田莠、議員 各府薄県からの貢士。
②行政官 輔相 三条実業・岩倉具視、弁事 平松時厚・大原重朝・坊城俊章・鳥丸光徳・勘解由小路資生・坊城俊政・五辻安仲・阿野公誠・秋月種樹(右京亮)・神山郡廉(左多衛)・門脇重綾(将曹)・田中不二磨(邦之助)・丹羽淳太郎(賢)・毛受鹿之助・青山小三郎。
③神祇官 知官事 鷹司輔煕、副 亀井茲監(隠岐守)。
④会計官 知官事 万里小路博房、副 大隈重信(八太郎)(明治2.5.15より)。
⑤軍務官 知官事 嘉彰親王(仁和寺宮)、副 長岡護美。
⑥外国官 知官事 伊達宗城、副 東久世通禧。
⑦刑法官 知官事 大原重徳、副 池田章政。
⑧民部官 知官事 蜂須賀茂韶、副 広沢真臣。
「去冬皇政維新、纔に三職を置き、続いて八局を設け、事務を分課すと雖も、兵馬倉卒之間、事業未だ恢弘せす、故に今般御誓文を以て目的とし、政体、職制相改められ候は、徒に変更を好むに非ず、従前未定之制度、規律次第に相立候訳にて、前後異趣に無之候間、内外百官此旨を奉体し、確定守持根拠する所有りて疑惑するなく、各其職掌を尽くし、万民保全之通、開成、永続せんを要するなり。 慶応四年戊辰閏四月 太政官 政体 一、大に斯国是を定め制度規律を建るは、御誓文を以て目的とする(・・・)。右御誓文の条件相行はれ、不悖を以て旨趣とせり。 一、天下の権力、総てこれを太政官に帰す、則政令二途出るの患無らしむ。太政官の権力を分つて立法、行法、司法の三権とす、則偏重の患無らしむるなり。 一、立法官は行法官を兼ぬるを得す、行法官は立法官を兼ぬるを得す。但し臨時都府巡察と外国応接との如き、猶ほ立法官これを管するを得。 ・・・ 一、各府・各藩・各県、皆貢士を出し、議員とす、議事の制を立つるは、輿論公議を執る所以なり。 一、官に在る人、私に自家に於て他人と政事を議する勿れ。若し抱議面謁を乞ふ者あらば、之を官中に出し公論を経べし。 一、諸官四年を以て交代す公撰入札の法を用うへし。但し今後初度交代の時、 其の一部の半を残し二年を延して交代す。断続宜しきを得せしむるなり。若し其の人衆望の所属あって去り難き、猶数年を延さざるを得ず。 一、官職、太政官分ちて七官と為す(議政官、行政官、神祗官、会計官、軍務官、外国官、刑法官)。地方官分ちて三官と為す(府、藩、県)。 一、各府、各藩、各県、政令を施す、亦御誓文を体すべし。唯し其の一方の制法を以て他方を概する勿れ。私に爵位を与ふる勿れ。私に通宝を鋳る勿れ。 私に外国人を雇ふ勿れ。隣藩或ひは外国と盟約を立つる勿れ。此小権を以て大権を犯し、政体を紊るべからざる所以なり」(「復古記」)。
参与横井小楠、「議事の制」の運営につき、「政体書」の規定する立法・行政両権の峻別がない点を具体的に指摘し、「議政・行政の本意に基き断然其分別を立つべきなり」と力説(「議事の制に就きての案」)。
松平春嶽、「上書案」の中で議事所運営について、「一新以来議事ト称スルノ事アレトモ、虚名ニシテ実効ナク、諸件悉ク廟堂ノ私議ニ決シテ広ク天下ニ公ケナラス、人心ノ服セス輿論ノ紛紜タル所以ナリ」と、機能が果たされないと訴える(「戊辰日記」)。「公議輿論」尊重の立法府の趣旨を生かす具体的方策として、藩主・藩士層以外に「草莽」の庶民層までが建議できる途を開くた為の「目安箱」設置の必要性を説く。
・第1次今市戦争。総督大鳥圭介・副総督山川大蔵の幕会軍、今市奪回のための奇襲、敗退。会津藩士浮州七郎 (うきすしちろう、30)戦死。
閏4月22日
・白石列藩同盟成立
奥羽25藩の家老たちが白石で会見。白石盟約書調印(会津・庄内救済の平和手段による同盟)。22日午後~23日、仙台に移動して会議継続。27日、太政官宛建白書(仙台藩洋学者大槻磐渓)完成。29日、盟約書訂正。奥羽列藩盟約書。
米沢18万石 竹股美作、盛岡20万石 野々村真澄、久保田21万石 戸村十太夫、弘前10万石 山中兵部、二本松10万石 丹羽一学、守山2万石 岡田彦左衛門、新庄7万石 舟生源右衛門、八戸2万石 吉岡左膳、棚倉10万石 梅村角兵衛、中村6万石 相馬靱負、三春5万石 大浦帯刀、山形5万石 水野三郎左衛門、磐城平3万石 三田八弥、福山3万石 下国弾正、福島3万石 池田権左衛門、本荘2万石 六郷大学、泉2万石 石井武右衛門、亀田2万石 大平伊織、湯長谷1.5万石 池田彦助、下手渡1万石 尾山外記、一関3万石 佐藤長太夫、上山3万石 渡辺五郎左衛門、天童2万石 長井広記、仙台62.5万石 但木土佐
閏4月23日
・大鳥圭介軍、白河城を奪う。
・三条実美・西郷隆盛ら、京都より江戸へ到着。
・政府、各国代表に局外中立廃止を要求(その後、数度交渉)
・黒田了介(清隆)・山県狂介(有朋)参謀の約5千、高田に集結。会津軍兵器補給港の新潟港奪取を目標。
・榎本武揚、勝海舟と面談。箱館に行くことを相談し反対される。
武揚は、徳川家臣団に蝦夷地を任せて欲しい旨を新政府に嘆願したいという意味の相談。勝は不可能と答える。新政府が、武揚率いる徳川家臣団に、強力な海軍力を持たせたまま蝦夷地を与えることはありえない。
閏4月24日
・箱館裁判所を箱館府と改め、清水谷公考が府知事となる。26日箱館奉行より事務引継。
・清川村(現山形県立川村)。薩長藩兵に後押しされた新庄藩兵、庄内藩守備隊400余と交戦。新式銃装備の政府軍有利。最上川対岸の庄内支藩松山藩兵(2万5千石)・本藩部隊が応援。午後4時頃、政府軍退却。
・三国峠口の戦い(約4ヶ月にわたる越後方面での戦いの口火)。戦力に勝る政府軍が圧倒。三国峠口が破られ三俣・六日町・十日町と進撃、越後高田から進撃の本隊と合流。
・政府軍(参謀伊地知正治)、宇都宮から北上し、この日の夜、芦野に到着。25日、第2次白河城攻防戦。政府軍、白河城奪還攻撃、敗北。政15・会8戦死。新撰組菊地央五郎、戦死。
閏4月25日
・米沢藩家老千坂高雅(総督)、役所堀尾保助を伴ない7小隊を率い、庄内攻撃の為に新庄に向う大山率いる新政府軍別働隊を攻撃する為出羽へ出陣。大山は機転を利かし、街道封鎖し秋田に逃走、千坂の軍が到着した時には新政府軍は秋田に去った後。千坂は越後方面軍指揮の為この地を去り、出羽方面軍指揮は本庄昌長が引き継ぐ。
・山国隊、因幡藩屋敷帰着。20日、栃木経由富田へ。21日、館林着。23日、蕨着。24日、板橋着。
閏4月26日
・河井継之助、長岡藩軍事総裁となる。
閏4月27日
・政府軍(山道軍:軍監岩村精一郎)、小千谷(会津藩飛地)占領。
・越後鯨波の戦い。薩外城4番隊・2番砲隊(砲3門)・長州2小隊(奇兵・報国)と砲2門・加賀2小隊・富山2小隊・高田藩兵380の合計1千余の政府軍海道軍、来襲。高台からの4斤野砲、2発続けて命中、政府軍は列を乱す。桑名藩立見鑑三郎・馬場三九郎等20余、抜刀して突撃、西軍は退却。政府軍第2陣の攻撃で桑名兵は負傷者続出、後退を余儀なくされるが夕暮れとなり政府軍は青海川付近まで後退。夜、小千谷失陥により、突出を補正するため柏崎から後退、柏崎北東11km妙法寺村に在陣。
・奥羽鎮撫総督九条道孝・参謀醍醐忠敬、仙台藩重臣の邸に移る。軟禁状態。九条家諸太夫の塩小路が前山清一郎に救出依頼。5月1日前山・九条会談、仙台脱出を計画。9日、九条護衛名目で肥前・小倉兵が仙台城入り。14日、仙台藩重臣と九条・前山会談。九条は奥羽鎮撫の実効上がらず、反省と上洛して朝廷へ東北諸藩事情を説明する意向、そのためまず秋田の沢副総督と合流すべき必要性について述べる。
・肥前前山清一郎参謀の援兵(佐賀・小倉藩兵330余)、仙台領東名浜着。仙台藩家老玉虫左太夫・若生文十郎の反対にも関わらず、筆頭家老但木土佐は前山を九条総督に会わせ、盛岡経由秋田に逃してしまうという失態を演じる。
・政府軍伊地知参謀率いる部隊、芦野に進出。
・土佐藩海援隊解散
・西郷隆盛、英国外科医ウィリスに戦傷者の治療を依頼
閏4月29日
・列藩会議、仙台藩起草「太政官建白書」討議・修正。白石盟約書も修正。「奥羽列藩盟約書」となる
・大鳥圭介ら旧幕軍、日光に至る。
・白河口防備(勢至堂峠口の陣)。会津藩家老・白河口総督西郷頼母、若年寄・副総督横山主税。会津藩兵1千。坂本大炊参謀とする瀬上主膳・佐藤宮内の2大隊、砲1小隊の仙台藩兵1千が援軍、二本松・棚倉・旧幕軍諸隊・新撰組など合わせて2500超の大部隊の援軍。一方、政府軍は28日、白河南5kmの白坂に集結。兵700、砲9門。
・田安亀之助(6、のち徳川家達)、美作津山藩主松平斉民(11代将軍家斉の第16子)を後見人として、徳川家家督相続・駿府城(70万石)を与えられると公表。
・京都府できる。府知事は大津裁判所総督長谷信篤が転じる。青山小三郎(福井藩士)・松田道之(鳥取藩士)が府判事。5月23日、広沢真臣が京都府御用掛に就任。
閏4月下旬
・越後、村松藩下田郷、村役人公選を要求して打毀し一揆。
つづく
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