2020年7月18日土曜日

【増補改訂Ⅳ】大正12年(1923)9月2日(その2) 「朝鮮人がこうばんにきて、くびをきられた」 「寿署の警官が署内で鮮人を殺したのを実見した」 「僕のやしきのうらに鮮人が二人殺されていた」 

【増補改訂Ⅳ】大正12年(1923)9月2日(その1) 「擲り殺した朝鮮人の死体を川の桜並木の小枝につるす」 「何しろ天下晴れての人殺しですからねえ。川に飛び込んだ朝鮮人の頭めがけてトビが飛ぶ」 「巡査と自警団と囚人が一緒になって虐殺」
より続く

大正12年(1923)9月2日
【横浜証言集】Ⅰ横浜市南部地域の朝鮮人虐殺証言
(2) 中村町、石川町、山手町、根岸町付近
③寿小高等科一年女子「交番にしばられている朝鮮人」
〔二日〕朝起きてみると、近所の子供が「朝鮮人が交番にしばられているから、見にいかないか」と大きな声でいっていました。君江さんは私に「見に行かないか」といったので、私はいやともいえないので、じゃあゆきましょう。いって見ると、朝鮮人は電信にいわいつけられて、真青な顔をしていました。よその人は、「こいつにくらしいやつだといって」竹棒で頭をぶったので、朝鮮人はぐったりと、下へ頭をさげてしまいました。わきにいた人は、ぶってばかりいてはいけない。ちゃんとわけをきいてからでなければいけないと言っていました。朝鮮人は頭を上げながら、かく物をくれと、手まねしていました。〔・・・〕夕がたになったら、近所の人が「朝鮮人が、火をつけに来るから皆んな、きをつけておいでなさい」といってくれた。私はこっちのほうへくるのかと思うと、こわくてたまりませんでした。

⑤南吉田小四年女子「朝鮮人がこうばんにきて、くびをきられた」
ふつかめの夕がた朝鮮人がこうばんにきて くびをきられていました 私わぞっとしました それからお寺おさって水道山のうちにいきました。

⑥横浜貿易新報「寿署の警官が署内で鮮人を殺したのを実見した」
山口正憲公判〔・・・〕「寿署の巡査大谷武雄(26)は2日の午前4時50分頃であった平楽の原にテントを張り藤椅子を踏臺にして一段高い処でパナマ帽を冠り白シャツに白のズボンを穿った大兵肥萬の顎髭の生へ男が避難民一同に向って此際お互の生命を保つには掠奪をするの外はないと扇動的の宣伝をして居た 一同は之に共鳴して万歳万歳と連呼して居たのを見たが其男は後に山口正憲と判った」と出志久保警部が被告に有利な証言するに反して同巡査は被告等に極めて不利な証言をしたので弁護士側から交々詰問を受けて狼狽の体であったが被告等も中っ腹になって「壽署の警官が署内で多数の鮮人を殺したのを実見した当時の警察官は真迷ふて居た」など同巡査に喰ってかかって居た (一九二四年六月二五日付)

⑩石川小高等科二年女子「朝鮮人さわぎあちこちで。とうとう殺してしまいました」
〔二日〕又、裏の戸板で寝るとその晩から朝鮮人さわぎであっちでもこっちでもわい、わいとさわぐので、寝てもこわくて寝て居られませんでした。そして、その夜も明けてその朝になると、朝鮮人が耳からえりの所にかけて切られて、肉がでて血がだらだら流れて居て、おかしな言葉でわいわい泣いて行って、大ぜの人々にさんざんひどい目にあはされたりして、とうとうころしてしまいました。その日の昼間でも、あっちの山ににげた、こっちの山ににげたなどと云って居て、生きた空はありませんでした。すると三日の夜、十時頃兵隊がラッパを鳴らして来た時、飛び立つほどうれしかった。其の時、方々から萬歳の声が響きました。

⑭寿小高等科一年女子「兵隊は朝鮮人が乱暴するからきたんだと言った」
鮮人きわざ
石川の方で、がやがやものさわざの声がする。なんだろう。兵隊「朝鮮人が乱暴するから来たのだ」といった。「あ朝鮮があばれるのだ」「こわいね。」船に寝ていた子供たちは、起きてしまった。「子供が大ぜいいるね」と言って軍用パンを沢山下れた。兵隊は通り過ぎてしまった。ずどんずどんと鉄砲の音。わあわあと鮮人のさわざ声。「ああこわい」まだ地震は続けざまによっている。妹は寝てしまった。耳にひびくのは、鉄砲の音。人は通らず。「ぽんざいばんざいばんざいとの声。「あ、かったのだ」「うれしい」三日の朝〔・・・〕焼けたトタンで家を元の所に建てた。夕方になって来た。松蔭町には五六軒しか建っていない。朝鮮人が隊を組んで来たと、人々は叫んでいる。「お父さん朝鮮人が来たよ」と妹が言うと、「こわくないよ、お父さんやおじさんがいるから」と笑いながら言った。その中に、おじさん達はいつの間にかどっかに行ってしまった。子どものさわざは、すずめの鳴くようにうるさかった。「どうしたのだろうか、朝鮮人が来たらどうしようか」 その時に、大きな刀を持って帰って来た。子供は皆自分のお父さんの所にいって離れない。隣のおじさんはやすりを沢山出した。「これで朝鮮人を殺すのだよ」 〔・・・〕 「そうら、朝鮮人が、来た、よーいしろ」と声が聞おじさんや、お父さん達は、私達に「いいか泣くな」と、やすりを六十本位づつくれた。それを袖に入れて、用意していた。(略)「あぶない所で」 この晩はねないで夜を明かした。

㊥寿小高等科一年女子「なわでゆわいた朝鮮人を万歳万歳といいながら山の方へつれていった」
〔二日〕 その時 「朝鮮人がつけびをしたからきをつけて下さい」 といってきた人がありました。〔・・・〕家の外に戸板の上にふとんをひいてすわりっきり。さあ其の夜はたいへんです。「そらそっちに朝鮮人がにげた」 「そら薮のなかにかくれた」 やっつけろという声とともに、「やああい」 という声、もうこわくてなりません。もし比の所にこやしないと思うといてもたってもいられません。その時です 「あああすこへにげた、早くやつけろ」 という声とともに、山にいた人達は手に鉄の棒を持って下へおりてきました。「あらあそこで皆んなにぶたれているは、こわいは、かわいそうだはといって」 小さくなっておりました。その内に皆んなで朝鮮人をなわでい〔ゆ〕わき、万歳万歳万歳といいながら山の方へつれてゆきました。そうして暗はこわい思いばかりしておりました。

⑬寿小男子「僕のやしきのうらに鮮人が二人殺されていた」
〔西有寺のうらの山〕 二日目の夕ぐれに雨が吹り出した。其の日の前夜、鮮人きわぎとなった。僕のやしきのうらに鮮人が二人殺されていた。夜が明けてから僕と母二人でやけあとへ来て見ると、市内はやけ野原であった。〔姉が行方不明で〕ようようと八日目にわかった。(略)

⑳寿小高等科一年「朝鮮人が屋敷に火をつけた」
〔二日目の朝。山→相沢の親戚の家〕その中に、朝鮮人が屋敷に火をつけたとか、下町にいて火をつけたとかいううわさがたった。けれども、そのうわさがたつかたたない中に、鮮人は四、五人つかまってきた。それを見ていると、ぐらぐらっとゆれてきた。「地震だっ」と人々がさわいでいる中に地震はやんだ。少したって私たちは北方元避難することにした。(略)すこし行くと北方の通りにでた。(略)すこしたつと日はくれた。「燈をけせ燈をけせ」 とどなってあるく人がある。その人がいきすぎると 「鮮人がとびこむといけないから燈をけせ」と又もどなってあるく人がある。その時向の山でラッパの音がきこえた。それがやむと、けたたましいピストルをうつ音がきこえた。すこしたつと、ピストルをうつ音もやんだ。そしてただ、夜警をする人がもっておるたきびの火が、時々ぱちぱちよ〔と〕 いう音をたてるばかりでした。すこしたつと、がやがやと話声がきこえて家の前をとおる人がある。私は鮮人だとおもい綿のそばへかたく小さくなっていた。
㉒寿小高等科二年「「お前あ朝鮮人だろう」とゴルフの道具でうつ」
「未だもえて居る所もあるよ学校も焼けてしまったよ」 といろいろ下町の様子を話して来〔く〕れた。ああ母校も焼けたのか御真影は出す事が出来たのかしら、先生方はどうしたかしらと私は思った。昼頃になるともう朝鮮人が襲来して来たと早くも人々の口から言ひ伝えられた。又一つ新に不安な念がわいて来た。父が丁度本牧の親類へ行った後なので私は心配した。鮮人さはぎは益々はげしくなった。山と川との合言葉を云ったり日本刀を抜き身に、なたやぐりなどを持ったりして人々の気の心は殺気立った。見るのも凄いやうだ。昨夜鮮人と在郷軍人と間違って殺したと云ふ事や北方の方へ付火をしたと云ふ事がつたはった。丁度その時上の山で 「誰か早く来て下さい。鮮人が三人居ますよ、応援応援」といふ若い男女の人の声がした。殺気立って居る人々は我がちに声のするほうへ向って行った。その後から 「井戸を警回〔戒〕してください。井戸を警回してください」ち〔と〕云ふ声もした。私はすい分おどかされた。其の時また一つの事件が持上がった。其は競馬の方から一人の男の人がお米をかついで下町の方へ行くのが丁度私達の居る前を通りかかった時 後から「得て待て」と云う声がした。其の人がふりむくと 「お前は朝鮮人だろう」と云って身がまえをした。其の人は「私は日本人ですよ」と云った。「何嘘を云うな」と云いつつ其の人の頭をゴルプ〔フ〕の道具でうつてかかった。其の人の頭からはだくだくと生々しい血が流れ出た。其の人は「いたい」と云ってどんどん逃げてゐった。私の目の前でこの惨劇が行はれたのでびっくりした。小さい小供はなき立した。私の目で見るとさっきの人はたしかに日本人に相違なかった。(略)

つづく




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