2020年7月20日月曜日

【増補改訂Ⅳ】大正12年(1923)9月2日(その4)「内に行ってみると、しばの上で朝鮮人がころされていました。」 「男の人が大ぜいで、棒を持って朝鮮人をぶち殺していました。」 「私は橋の下の方に朝鮮人がしんでいる所を見ました.頭がなくているのを見ました。」 「すこしでもあやしいとすぐつかまえて切ってしまった。その頃はだれでも殺気立って居た。それが為になんにもしない朝鮮人や又日本人をまちがって大勢殺された。」

【増補改訂Ⅳ】大正12年(1923)9月2日(その3)「九月二日 夜に入りて土地の青年団のもの「鮮人が三百人ほど火つけに本牧へやって来たそうだからもの言って返事しないものは鮮人とみなし殺してもよいとの達しがあった、皆んな注意しろ」と叫びふれて来るあり。」
より続く

大正12年(1923)9月2日
【横浜証言集】Ⅰ横浜市南部地域の朝鮮人虐殺証言
(6)寿尋常小学校の作文集(「大震災遭難記」)
四年男子4 〔二日〕鮮人がせめて来たので男の人は手に手にぼをもってたたかった。それからいく日かたって兵たいがきて鮮人をせいばつしたのでまったく鮮人はいなくなった。

四年女子2 そのあくる日〔二日〕神奈川へにげてとちゅうで朝鮮人におっかけられていっしょうけんめいににげました。ようようかながわについたときは、ほっと一といきをついて、まずうちにはいって、おゆをわかしてのみました。その夜、朝鮮人をみんなでおっかけて、かねのぼうをもって居ます、汽車のせんろに、朝鮮人が日本人につかまられて居ます。そのありさまがにかいにいてありありと見える。あまりこわいので、こんどはほどがやへにげました。そこも朝鮮人のさわざもしましたが、神奈川ほどのさわぎはありませんでした。そのうちにへいたいさんがきて、みんなうれしなみだがぽろぽろでました。

五年男子4 〔家→山。元町小学校が燃え、山手公園に。やそ教の柴の上。二日〕僕は水をさがしました。そしてさがしている内に、五時ごろになりました。そしたらよその人が朝鮮人がくるからはやく内にかえりなと、しんせつにいってくれました。僕はおどろいて、あおくなって逃げました。内に行ってみると、しばの上で朝鮮人がころされていました。そしてしばらくするともう十時でした。

五年男子6 〔二日寿小学校→磯子に行く途中〕その途中真黒に焦げた死体。水に浮いている死体。鮮人を殺している所〔・・・〕書くことの出来ない悲凄な所を見た。ようようの事で磯子に着いた。そこの家でも表に幕を張ってその中にいた。中にはいると玄米のむすびを一つづつくれた。それを飯べた時の美味さは今も忘れない。その真夜中「それ、鮮人だ!」という声々共にピストルの音が一発聞こえた。皆驚いて飛起きた。

六年女子4 あくる日夜の明けない内に起きて見ると、わいわいと男の人がさわいでいるので、母さんどうしたのと聞くと、きのうの夜、朝鮮人が来るから、ねないで下さい、いいに来たから、きっと朝鮮人かもしれないといった。すると又もわいわいとちかくに聞こえました。私は聞のする方へ行って見ると、男の人が大ぜいで、棒を持って朝鮮人をぶち殺していました。

学年不明男子5 〔神中の原、二日〕原にはひなん民がたくさん居て、僕等にたべ物をくれた。早や夜になると、鮮人さわぎ校内の鉄砲や刀をもって来て守る 四方が山で四方から攻められる。時にわあわあいってはおしよせる、ぶるぶるふるへているとやがて兵隊が来た。その時はぽんざいぼんざいと皆かんこのこえをあげた。

学年不明男子7 二日の夜になると朝鮮人がきたぞと、いって 「竹や鉄のほうを持って」、そらをつかけろと、いってどんどんをつかけました。僕はござの上にすわっていました。

(7)磯子尋常小学校の作文集(「震災に関する児童の感想」)
四年男子6 二日の十一時ごろから朝鮮人があばれてきた といって大人の人はみんな刀や竹槍を持って朝鮮人をおいまはしていました。夜はまいはちかどかど夜警していました。十月ごろにはもうあんしんしました。

五年男子7 二日の日夜青年団等が 「不鮮人がつけびをしますから注意してください」 とか警報をきいたので一そうかたく警戒した。

五年男子9 二日の朝 朝めしをたべおはってバラックを立ておはった時 朝鮮人さわぎであった。朝鮮人が来〔このあと原本欠〕

五年女子1 又二日になると朝鮮人におはれていました。近所の人々は みなやりをもったり 刀を持ったりして朝鮮人のくるのをまていました 小さな子は朝鮮人がくるといって泣くやら大さはぎでした。人の話をきくともう朝鮮人がひとりおさまってころされようとしている ということおききました。私はぞくってしました。がすこしたつと又幾人おさったとゆう人の声に私はそのたびにぞくぞくとしてきましたが今になったらばちがよいと思ひます。私は近所のお友だちととうりの方にいきましたら。やけだされた人々がどろだらけな真黒な着物をきて はだしですこしばかりの荷物をもっている人がおほくありました ほうぼうの家でいろいろな物をたべさせてもたべさせていました中には足をしきずりながらあるいている人もあれば てを血がだらけにしている人も手ぬぐいてしばっていたいたさうにしている人もありました。私は橋の下の方に朝鮮人がしんでいる所を見ました.頭がなくているのを見ました。

五年女子3 二日ころになるとちようせんじんがにげたので みんなおとなのしとはてつの、ぼうおもって ちよせんせいばつにいきました それから かんごつのかんしたちはみんな べすとでつたり てつのぼうでころしたり それからそのころしたちうセんお かんごくまいのうみへたがしました。それから三日のしになったら しやくしよがつくったセんざいおとってなまでたべているところは まるてせんそうでもしたようなあげくありました。

五年女子9 二日の日になると今度鮮人がきたので 私たちは地震でたすかったのに又鮮人に殺されるのはくやしいのでうちのうらの工場へにげてゆきました。それにちいさい子たちがないているのでよけい恐くなりました。ねむくてもねつかれず たためばかりぴかりぴかりさせていました。〔・・・〕それから鮮人は殺されたりしました。私は鮮の死がいも我国の死人も一もみませんでした。それで地震からあまり電車にのろのがいやで 又地震でもよりそうでおちおちのっていられませんでした。そして鮮人はアラから自分のすむ国へと帰ってしまいました。

五年女子11 二日めの夜には朝鮮人がきたといって 大人の人々は皆、ぼうおもって朝鮮人がここおとうるのをまています。私どもはこはくてこはくて をちついてねていられませんでした。

六年男子7 二日目ノ朝ゴハンオタべテイルト朝鮮人ガテツポウ 爆弾又ハイロイロノブキオモツテ日本人オコロシニクルトイウノデシタ 我ラモヲヲキクナッテ国ノタメニツクス国民デアルカラナブリコロサレナイヨウニ ヤリ又ハテッポウオモッテ夜シルパンオシテイマシタ ウンガヨク僕ノ家ノキンジヨノモノワ朝鮮人ノタメニミニキヅシトツツケラレマセンデシタ 其ノ自分ハイキク心モチワナカッタ。

六年男子10 ヨクジツ (二日)ニナルト朝鮮人ガアバレマハルトイフ、ウハサガアッタ。竹ヤリヤカタナ、ナドヲ手ニシタ、人々ハ皆朝鮮人ヲオイカケマハル、マルデ戦国時代ノヤウデアッタ。此ノ後ハ我等第二ノ国民ハ此ノハクアイシタ横浜ヲモットヨリイジ○ウ○ニシヤウデワナイカ。

六年女子1 ようやく夜が明けた。〔二日〕すると今度は朝鮮人が来たと云ってさわぎ初めたその時こんなことがいくつもあるなら一そう死んでしまった方がよいと思った。ああ。あの時は何んとこわかったでせう。

六年性別不明 九月二日又モヤオソッテ来タノハ鮮人暴行ノウハサ、其レモ後ニ人ノ流言トワカッタ。コノ様ナ時マズ僕等ノ心ヲ安ンジサシテクレタノハ各国ノ人々ノ同情デアッタ。

高等科一年男子1 其の夜はずいぶん長いと思った。やがて夜が明けた。〔2日と推測した〕時々小さな余震があった。そうかうして昼頃になると朝鮮人があばれて来たという事を聞いた。僕は本当と思はなかった。そしてしばらくやうすを見てゐると、うそではないらしい。若者は手に手に棒を持ってけいかいをしてゐる。そろそろ夜になって来た。夜になるのが地震当時僕は一番いやだった。時々かなしそうに 「びりぴりぴり」 と、よびこがなって居た男の者はいよいよきびしくけいかいをつずけているのた。すこしでもあやしいとすぐつかまえて切ってしまった。その頃はだれでも殺気立って居た。それが為になんにもしない朝鮮人や又日本人をまちがって大勢殺された。まるで戦国時代の様だった。

高等科一年男子3 二日目の朝もまだまだといふうにはげしくもいている。しばらくたつと朝鮮人さわぎ 僕は一層ふるいてなにも力にも出来なかった。よその人達が竹やり、まるたん棒を以ッテ鮮人が来たらこのまるたん棒でよこつらはんなぐるといふ調子でまっていた。夜番をする為に、鮮人は段々静になって来た。〔・・・〕朝鮮人さわぎの時は、まるでやばんの様であった。

学年不明男子2 〔二日〕夜も明けた。〔・・・〕やがての事朝鮮人が暴行して居る。といふ事が盛んに聞こえて来る。又焼け残りの家の中へ爆弾を投げこむ、と云う事も聞えて来る。だんだん日も登って昼頃になった。日本人は片腕に赤いきれをしばりつけ、日本刀、竹槍、鉄の棒などを持って、朝鮮人を防ぎにいった人々の話を聞いて、近所の人々は蔦等を持って警戒した。夕方になると、ピストルを放す音がおそろしい程に聞こえて来る。僕の家の前の小山を見ると、日本人が朝鮮人を追ひかけるのである。朝鮮人の逃げ行く有様を見る。すると朝鮮人が火薬倉庫に火を付けた、と云う事を聞いて僕と母とはあはてて、裏の物置に入った。しばらくして、出て見ると、それは、いつはりであった。夜になると、陸船隊が上陸した。そして野原の前を通った時、万歳万歳の声は天地も裂けんばりであった。その時僕は「これでそ大丈夫」と心の中で思った。陸船隊も通り過ぎた。それで人々は、ほっと安心した様子であった。然し猛火はまだ盛んに、天をこがして居た。

つづく

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