1890(明治23)年
10月
森鴎外(28)、前年3月に結婚した赤松登志子と別れ、上野花園町の家を出て、本郷駒込千駄木町57番地のいわゆる千朶山房(のちに漱石がここに住む)に移り住む。鴎外が登志子と別れた理由は、登志子の器量にあったと言われている。鴎外の美人好きは多くの人が証言していて、後妻志げの美しさは評判だった。
翌明治24年5月~6月『読売新聞』連載の紅葉『焼(やき)つぎ茶碗』(単行本の際に『袖時雨(そでしぐれ)』と改題)はこの時の鴎外をモデルにしたと言われている。
「かれ(*紅葉)は西鶴を話し、近松を談じ、つづいて今Y新聞紙上に書いている作の話をした。その時出ていたのは『焼継(ママ)茶碗(全集では『袖しぐれ(ママ)』)という三、四十回の小説で、鴎外漁史を主人公にしたというので評判であった。」(田山花袋『東京の三十年』)
10月
尾崎紅葉、祖父たちと住む牛込北町の家を出て、友人堀柴山と本郷森川町に暮らし始める。
10月
木下尚江、百瀬興政らと安原徳義会。
10月1日
ドイツ、社会主義者鎮圧法失効
10月6日
南越倶楽部秋季総会で、政社組織を解き社交倶楽部(非政社組織)とし、正副会長(杉田・永田)を廃し、新しく理事3人(奥田与兵衛、橋本直規、大橋松二郎)と主計2(坪田仁兵衛、加藤与次兵衛)を置く、事務所を福井市に移すことを決める。これまで倶楽部を主導してきた武生派(増田、松下)退陣が実現。また、第二次「福井新聞」は10月9日の「南越倶楽部の革命」と題する論説で秋季総会の決定に賛意を表す。
10月7日
刑事訴訟法、公布。施行は民事訴訟法と同じく明治26年1月1日。
10月7日
小学校令、公布。
10月12日
ドイツ、社会主義労働者党、ハレの党大会で「社会民主党」と改称。
10月14日
アイゼンハワー、誕生。
10月15日
山田泰造の当選を祝う第2区大懇親会が神奈川町神風楼で開催。石阪昌孝、中島信行とともに参加。
10月15日
星亨、欧米旅行から帰国。明治22年4月~。
半月後、立憲自由党に入党。星の入党により、旧自由党系実力者が立憲自由党に勢揃いする。
10月16日
マイケル・コリンズ、誕生。
10月21日
川上音二郎(26)、横浜・蔦座の政談演説会で「田中子爵に九寸五分を呈す」を演説、中止命令。
10月23日
(第2次)『自由新聞』創刊
10月23日
(露暦11月4日)ボロディン「イゴール公」初演。ペテルブルク帝室劇場。リムスキー=コルサコフ、グラズノフにより補作。
10月24日
貴族院初代議長に伊藤博文が決まる。
10月25日
後楽館(元立志社社屋)解体
10月27日
初のエレベータ、浅草に登場
10月30日
教育勅語、発令。井上毅ら起草。忠孝を「国体ノ精華」とし、これを基本とする道徳教育の指針を掲示。教育の基底におかれ、学校を通じて国民に普及・浸透。その過程では、1891年内村鑑三不敬事件のように異端者排除が徹底。学校では天皇の写真とともに「奉安殿」に納められる。1948年6月19日衆参両院決議で最終的に失効。
10月30日
三好退蔵検事総長、松岡康毅東京控訴院長、児島惟謙大坂控訴院長、就任。
11月3日
帝国ホテル(初のホテル)、開業。フランク・ロイド・ライトの設計。
11月4日
ロンドン、マルクス家侍女ヘレナ・デムート、エンゲルス家で没。マルクス死後7年間エンゲルスの秘書的役割果す
11月7日
ゴーギャン(42)、ル・プルデュを発ちパリに戻る。アルベール・オーリエ、シャルル・モリス、ステファヌ・マラルメ等の象徴派の文学サークルをしばしば訪れる。
11月11日
サンフランシスコ、高野房太郎、日本で材木伐出場設立のための調査を弟・岩三郎に依頼。
11月13日
植木枝盛「国家及国民的の文字」(「自由新聞」)。立憲自由党から分離した国民自由党を批判。
11月15日
明治天皇、大山巌邸行幸
11月16日
大杉栄(5)の弟・伸(のぶる)が生まれる
11月18日
ルイーゼ・カウツキー、ロンドン着。カウツキーと離婚後ウィーンで助産婦。エンゲルスの助手に依頼される。エンゲルス庇護の下にジャーナリストの道歩む。
11月22日
シャルル・ド・ゴール、北フランス・リール市に誕生。父アンリは医学・理学・文学3つの博士号をもつ碩学、熱心なカトリック教徒、イエズス会系中学校で歴史を教える。祖父ジュリアンも著名な歴史学者。
11月23日
『大日本』創刊(不定期刊行、廃刊の時期は不明)。
つづく
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