2024年2月12日月曜日

大杉栄とその時代年表(38) 1890(明治23)年1月 森鴎外『舞姫』 子規『銀世界』 日本最初の文士劇 富山で米騒動(4月からは他地域にも波及) 現存する一番古い子規の漱石宛書簡 再興自由党結成 

 


大杉栄とその時代年表(37) 1889(明治22)年12月 坪内逍遥・尾崎紅葉・幸田露伴、読売新聞社入社 子規「ボール会」設立 饗庭篁村、東京朝日新聞社入社 漱石と子規の論争(「オリジナルの思想」と「文章」をめぐり) 愛国公党設立決定(板垣・植木) 中江兆民上京 第1次山県内閣(後藤・陸奥閣内) より続く

1890(明治23)年

1月

森鴎外『舞姫』(「国民之友」)。石橋忍月と「舞姫」論争。

1月

子規(23)、『銀世界』脱稿、漱石、その短評を書く。

1月

愛国公党の姫路での演説会における板垣の演説。6つの関心事。①選挙の公正さ、②理論偏重になり国会が急進的議論の戦場となる、③保守の気象が強い、④貴族院の権力占領、⑤主義の軽視、⑥責任内閣が実施されないこと。

1月

植木枝盛、愛国公党の仕事と自分の選挙区への遊説に忙殺。姫路~高知~淡路。

1月

自由党再興に向けて、旧自由党員への組織化活発。瀬戸岡為一郎、深沢権八に書簡。既に南多摩郡では村長・助役が一同揃って加盟、300名以上と報告。

1月

中江兆民、憲法を国会で点検し、必要あれば修正を天皇に上奏すべしと論ずる。

1月初め

漱石の子規宛て手紙。


「いそがしき手習のひまに長々しき御返事わざわざ御つかはし被下候段、御芳志のほどありい(洋語にあらず)。かくまで御懇篤なる君様を何しに冷淡の冷笑のとそしり申すべきや。まじめの御弁護にていたみ入りて穴へも入りたき心地ぞし侍(はべ)るほどに、一時のたわ言と水に流し給へ。七面倒な文章論かかずともよきに、そこがそれ人間の浅ましさ、終に余計なことをならべて君にまた攻撃せられて大閉口。何事も餅が言はする雑言過言と御許しやれ。

当年の正月はあひかはらず雑煮を食ひ寐てくらし候。寄席へは五、六回ほど参り、かるたは二返取り候。一日神田の小川亭と申(もうす)にて鶴蝶と申女義太夫を聞き、女子にてもかかる掘り出し物あるやと愚兄と共に大感心。そこで愚兄余にいふやう「芸がよいと顔までよく見える」と。その当否は君の御批判を願ひます。

米山は当時夢中に禅に凝り、当休暇中も鎌倉へ修行に罷越したり。山川はあひかはらず学校へは出でこず、過日十時頃ちよつと訪問せしに、未だ褥中にありて煙草を吸ひ、それより起きて月琴を一曲弾て聞かせたり。いつもいつものん気なるが心は憂鬱病にかからんとする最中也。これも貴兄の判断を仰ぐ。とかくこの頃は学校でもわが党の子(し)が少ないから何となく物淋しく面白くなし。なるべく早く御帰り御帰り。もう仙人もあきがきた時分だろうからちよつ已(や)めにして、この夏にまた仙人になり給へ云々。

別紙文章論今一度貴覧を煩はす云々。

                                 埋塵通人拝

四国仙人 梧下

『七草集』「四日大尽」「水戸紀行」その他の雑録を貴兄の文章と也。文章でなしと仰せらるれば失敬御免可被下條。

〔以下、別紙、横書〕

(略)」

1月1日

ドイツ公使西園寺公望(40)、リューマチを再発し、医師の勧めで南フランスのニースに転地療養中(小林菊子宛の西園寺公望)。

1月5日

日本最初の文士劇。小石川水道町の佐藤正興邸に置かれた特設舞台。

尾崎紅葉、石橋思案、巌谷小波、江見水蔭ら11人が演じる。

観客は300人超。依田学海、森槐南、野口寧斎、石橋忍月、内田魯庵ら。

前年12月15日、読売新聞社に入社したばかりの尾崎紅葉が硯友社の後輩江見水蔭に脚本作りを依頼した。

紅葉は当時進行中の演劇改良運動に関心を持っていた。


「芝居も今のまではしやうが無い。演劇改良は役者にばかり委(まか)せては置けないよ。其所(そこ)で我々も舞台に立つとして、併し、最初から団十郎や菊五郎以上に成れるものでもない。だから、玄人の演(や)らない物に手を着けなけれァ損だよ。型の有る物は絶対に避けよう。」(水蔭『自己中心明治文壇史』)。


「今の俳優には、役に就ての心理解剖が出来ない。我々は芸が下手でも、それが出来る。今に教育有る者が続々劇界に投じるだらう、我等は其先駆者だ。

「そんな抱負を口にはしたが、要するに内実は、芝居が演じて見たかったので。けれども昔からの型の有る物をやつては、到底団十郎、菊五郎には及ばないから、新作物で競争しやうといふ鼻息。それで、先づ初に紅葉が提案したのが『八犬伝』で、常磐津の富山の段を、馬琴の名文を多く取入れて、別に又新らしく書けといふので有った。


けれども、配役でいろいろ揉め事が出たので、脚本は書き直しになった。


「それで別に自分の新作史劇『増補太平記』大塔宮十津川落に片岡八郎討死といふのを、一番目として新作。二番目としては、広津柳浪の立案で『積怨恨(つもるうらみ)切子燈籠』といふのを、自分が四幕に書き卸した。これは九州の豪族蒲地左衛門を、龍造寺山城守が、能興行に呼んで殺害する。その遺子宗虎丸が親の敵を討つといふ筋。大切は『花競 八才子』五人男に三人多いのが、銘々自作のツラネで文学上の気焔を吐かうとい趣向。」(水蔭『硯友社と紅葉』)

1月8日

ニーチェ母フランツィスカ、息子の後見人となる。

1月11日

イギリス、ザンビア・マラウィ・ジンバブエ駐留ポルトガル軍に即時撤退要求。砲艦外交に屈し、ポルトガルは現在のザンビア、ジンバブエに相当する地域を放棄。これを契機に、共和主義者の反王政運動起こる。

1月12日

大井憲太郎(47)、横浜・富竹亭で開かれた横浜政談演説会で演説。

1月15日

(露暦1/3)チャイコフスキー、バレー曲「眠りの森の美女(作品66)」初演、ペテルブルグ、マリンスキー劇場。予想外に観客の反応は冷たい。一貫した主題による物語展開やシンフォニックな音楽になじめない為。

1月15日

ドイツ、帝国議会、ビスマルク要求社会主義者取締法延長否決

1月17日

巖本善治(26)、横浜の海岸通の基督教会堂で開かれた廃娼大演説会で 「姦淫の公許」を演説。

1月17日

経済的逼迫もあり、兄虎之助と家族の関係がうまくゆかず、一葉(18)は、妹くに子の奉公先を探すが、決まらず。この日、くに子の職を求めて新橋、愛宕下、神田辺を歩きまわる。

1月18日

富山で米騒動。

前年の凶作と米価の上昇が原因で、1月に富山県で騒動が起き、4月からは鳥取県、新潟県、福島県、山口県、京都府、石川県、福井県、滋賀県、愛媛県、宮城県、奈良県などでも騒動が起きまる。

1月18日

高知県婦人会廃娼大演説会

1月18日

子規の漱石宛書簡(現存する一番古い漱石宛書簡)。


「(略)

右千古の迷文。斎戒沐浴して誤熟読奉願候。この文のミにても小生の手際可相分候。呵々。

同学生近況今更のやうに耳新しく覚え候。我文科誕生已来(いらい)夙(つと)ニ一個の親鸞上人あるを知る、一個の達磨大師あることを知らざりき。開明の今の世の中、坐禅の節ハ尻の下に空気枕をしくやう御注意奉願候。哲学世界二個の生臭坊主を出す未だ喫驚するに足らざる也。文学世界一個の音楽師を出すとハ思ひの外のことに御坐候。朝寐昼寐に浩然の気を養ふ処如何にも美術家の本分にて末たのもしく存候。我々ハ到底世に時めく身の上ならねバ、もシ山川、鬱憂病ニテ眼もつぶれ候ハバ小生ハ犬の代りに同人を導き一個の月琴ニ両人の口を糊し可申候。末頼母敷(すえたのもしく)とハこの事に御坐候。大兄も余り世渡りこ上手ならぬ御方と見受け奉れバさぞ御同感と存候。山川に御面会の節ハ小生よりほめつかわす旨御伝声被下たく候。

女義太夫鶴蝶とかよほど絶伎(ぜつぎ)の由(尤山川よりハ一段下るべくと存候)。おまけに絶品とか別品とか申事、四国仙人千里外より垂涎、久米仙人よろしくといふ姿に御坐候。大兄の御眼鏡なれバよもや違ひもあるまじく御熱心のほどハ小川亭まで御出張の一事にても奉推察候。芸と顔とハ Concomitant variation をなすや否やとの御下問、名前通りの野暮流に如何でか分り申べき、さりながら一事の御注意可申事の候。そハ外ならず芸がよいから顔がよいのか、顔がよいから芸がよいのか、原因と結果とを御間違へ被成(なされ)ぬやう奉願候。

小生二十一日当地御発輦(れん)。中国へ御廻り被遊作州ニ脳病子を吊(とむら)ふつもりニ御坐候へパ東京への御入りハ遅くも二十七、八日頃と存候。先ハ右御報知かたがた如斯御坐候。穴かしく。

一月十八日                             四国仙人

漱石大先生                             野暮流 拝啓

虎皮下(こひか)

大兄虎皮を御持参なりや否やハ忘却仕候。間違たらバ御免被下たく候。」

1月21日

再興自由党結成

大井憲太郎・中江兆民・内藤魯一ら。旧自由党左派を結集。814名中、神奈川262名。群馬県90名、栃木県82名、千葉県67名、茨城県60名、東京府33名(8月4日解散)。「憲法の点閲」(これは警視庁に認可されず)、陪審制採用、選挙権被選挙権の財産制限緩和など。

1月23日

新島襄(48)、没。大磯。

1月26日

(露暦1/14)露、レーニン、文部大臣に司法試験受験申請、合格して弁護士助手登録される

1月29日

中江兆民、論説「自由党員諸子の大会に就て」で、大同団結に見切りをつけて、後藤・板垣から自立して自由主義に基づく政党結成訴える。

1月29日

ゴッホ、この頃、発作。

31日、ゴッホ弟テオとヨーに息子誕生。画家ゴッホと同じヴィンセント・ウィレムという名。

この月、アルベール・オーリエ、「メルキュール・ド・フランス」誌にゴッホの芸術を賞賛する評論を発表。18日開催のブリュッセル「レ・ヴァン(20人会)」展にゴッホの作品が展示されるなど、彼の作品に注目する人々が現れる

2月24日頃、ゴッホ、また発作。~4月半、殆ど制作出来ず。

1月31日

アメリカン・タバコ社設立。ジェームズ・デューク

つづく

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