大杉栄とその時代年表(32) 1889(明治22)年7月 一葉(17)の父、病没 与謝野鉄幹、徳山女学校教師となる 東海道線全線開通 子規帰省 子規、 河東碧梧桐にキャッチボールを指導 陸羯南の新聞「日本」、「条約改正論熱度表」掲載 より続く
1889(明治22)年
8月
鴎外・落合直文(新声社同人)訳『「於面影」(「国民之友」)。
8月
栃木県下での条約改正に関する建議運動盛ん。中止建白(旧自由党系)16件、断行建白(改進党系)41件。
8月
ロマン・ロラン(23)、エコール・ノルマル卒業。歴史学教授の資格を得る。ローマのフランス学院に留学生として選ばれ、ヴアチカンの古文書館で研究する。
8月1日
室生犀星、誕生。
8月2日
閣議。①新条約調印済みのアメリカ・ドイツには帰化人法官採用の線で再交渉、交渉中のロシア・フランスにはこの線で公文を差し替える、②イギリスが条約改正に応じないときは旧条約の廃棄通告もありえると、を決定。この日を最後に条約問題を閣議にかけないようになる。異論封殺のため。伊藤・井上の黒田・大隈への反撥・不信感つのる。
8月2日
ベルギー国王レオポルド2世、私領コンゴ自由国を手放しベルギー国家を主権者とする。
8月3日
ソマリランド、イタリア保護領となる。1886年、英が北部ソマリアを、1889年、イタリアが南部をそれぞれ領有(イタリアは1882年エリトリアを占領。エチオピアを狙う)。
8月7日
漱石、学友とともに房総を旅行。8月30日まで。
「八月七日(水)、風強い。隅田川の河口東岸の霊岸島(推定)から船で、学友(川関某や井原某ら)と房州・上総・下総旅行に出発する。東京湾の西側(推定)を通り、浦賀に寄港し、保田に赴く。保田に十日余り(推定)滞在し、海水浴をする。滞在中に正岡子規と二、三通の手紙を交換する。
保田から鋸山(三百二十九メートル)に登り、中腹にある日本寺(日蓮宗)を訪れ、千五百余りの羅漢像を見る。他の級友たちは、夕食後も大いに楽しんでいたが、独りで瞑想に耽ったり、坤吟したりする。鋸山の頂上から、東京湾と房州を眺める。保田の南四キロ程の所で奇岩の景に驚く。房州の南部(嶺岡山の南を東西に横切る旧道)を横断したか、南房総半島の南部を徒歩で回ったかは決定し難い。但し、『草枕』に、主人公画工の回想として述べられている文章をそのまま信じれば、館山から陸路を通り、小湊に出たらしい。小湊に出て、誕生寺を訪れたり、鯛の浦を見物する。その後、東金を経て、その前後、何処か淋しい宿屋に泊り、銚子に近い犬若館(千葉県海上部高神村犬若、現在はない。敗戦後も建物は残っていたが、後継者なく、現在は海岸の一角が、小さい島のように盛り上っている)に泊り(推定)、銚子から利根川を舟で上り野田の束にある「三堀旗亭」に泊り、関宿まで北上し、江戸川に出て南下したものかと想像される。八月三十日(金)、東京に帰る。全日程二十四日。(全行程約三百六十キロ)」(荒正人、前掲書)
8月8日
石阪昌孝が結成した八王子倶楽部も条約改正反対の建白書提出決定。この日、森久保作蔵・日野英吉(南多摩郡)・下田伊左衛門(西多摩郡)・小野房次郎(北多摩郡)・岡部芳太郎(津久井郡)を総代人にして元老院に提出。
8月10日
イギリス・フランス間、西アフリカ勢力圏協定
8月14日
植木枝盛(32)、横浜・蔦座の大同派政談演説会で演説、弁士中止となる。
8月14日
ロンドンの沖仲仕・艀人夫・石炭運搬人夫などが共闘委員会を結成、賃上げと最低就業時間保証などを要求して開始。国内外から支援を受け、9月中旬、賃上げを勝つ取る。闘争の結果、社会主義者が指導する「ドック・波止場・河岸および一般労働組合」が結成、新組合運動の中核を担う。
8月15日
「東京日日新聞」、石阪昌孝・大井憲太郎・新井章吾らの自由党再興計画について新聞報道。
8月18日
この日付、伊藤から井上馨宛書簡。条約改正問題(対英条約廃棄方針)について黒田首相が上奏したと伝える。吉井友実宮内次官の通報らしい(薩派に亀裂)。伊藤の無力感深まる。
8月18日
石井光次郎、誕生。
8月19日
二葉亭四迷(25)、外国語学校時代の恩師古川常一郎の世話で内閣官報局雇員(月給30円)となる。この月「浮雲」を中断。
この頃の官報局は「官界の逸民」高橋健三以下「曲者」ぞろいの、役所の名にそむく「自由の空気の横流」(内田魯庵)の職場。二葉亭の属した翻訳課課長浜田健次郎は「簡樸質素の学究」。他に陸実。嵯峨寿安(海外旅行免除を日本で2番目に取得、高田屋嘉平衛・大黒屋光大夫についでロシア深部を旅行)。
8月19日
アメリカのアナパーにいる南方熊楠、手書きの回覧雑誌『珍事評論』第1号を完成、留学生仲間たちの間で回覧が始まる。「日本人留学生禁酒決議事件」がきっかけ。
9月17日には第2号を発行するが、回覧途中で紛失する。
8月19日
ロンドン、港湾労働者3万人ストライキ
8月20日
一葉(17)の日記。「涙のとしの葉月廿日頃みの虫のちゝよちゝよと嵐のやどりにしるす」
『枕草子』第40段「虫は」に、親に逃げられた蓑虫が、8月の風の音を聞き分けて、「父よ、父よとはかなげに鳴く、いみじうあはれなり」という描写からとったもの。父に愛され、父を慕っていた夏子は、自分が父から捨てられたという思いを、この蓑虫になぞらえ、その悲痛な思いが伝わる。
8月26日
森鴎外(27)、日本演芸協会文芸委員となる。
8月27日
全国連合大演説会。条約改正反対。植木枝盛が開会・閉会の辞。
8月30日
霜島幸二郎・村野運平ら、野津田村に青年会組織を作り、8月30日と9月15日に会合(研究会)。
8月31日
政府法律顧問ロエスレル、「犯すべからざる高等主権」を守るときは条約の一方的廃棄も許されるとの意見書を提出。9月25日にも長文の意見書「国際条約を廃棄するの正当なる事」を提出、条約廃棄の正当性を挙証。
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