2026年9月22日火曜日

1931(昭和6)年9月20日 午後8時35分、林銑十郎(中将)朝鮮軍司令官より「独断一部ノ兵ヲ越境ヲナシウル余地ヲ与へラレンコトヲ切望ス」と入電。増援部隊は鮮満国境で待機の姿勢で放置。林は、軍は大命を待って出動すべきとの中央の主旨は諒解するが、大命降下となれば日支開戦になり、事は重大。地方問題として処理するには独断出兵の形式が穏当と考えられる、と入電。

 

1931(昭和6)年9月19日 朝、緊急臨時閣議。局地解決・不拡大方針決定、上奏。南陸相には、これ以上、事変を拡大しないよう指示。林久治郎奉天総領事と内田康哉満鉄総裁は夫々、事変は軍部の計画的行動と幣原外相に報告。奉天では、建川・板垣・石原・花谷・片倉が「問題解決」協議。 より続く

1931(昭和6)年

9月20日

建川・本庄会見。建川、現地軍の行動抑制しつつ、中央に対して既成事実承認へ導く役割。

9月20日

中国共産党(駐モスクワ中国代表か?)、「強暴なる日本帝國主義が東三省を占領せる事件に対する通電」。

9月20日

在留日本人官民合同時局委員会、成立。

9月20日

国民政府、中央臨時談話会開催。国民党中央執行委員会、広東政府に「共赴国難」を電請。

中央臨時談話会。干右任、戴伝賢、丁惟芬、朱培徳、呉敬恒、邵元沖、邵力子、陳布富、方覚慧、張道藩らが出席、王正延がら経過報告をして3項を決議。

①本月23日全国一斉に半旗を掲げて娯楽を1日停止し、奉天陥落に哀悼の意を表す、

②戴天仇、邵元沖、陳布富、王正延、陳立夫の諸委員に、全国々民に告ぐるの書、各国民に告ぐるの書を起草させ、国民の未曾有の国難に勉する覚悟を促す、

③対日問題に関し広東政府の態度表明を求める。

9月20日

上海市商会、市党部、反日会、夫々に臨時緊急会議を召集、対策を協議し、全国に激烈なる通電を発す。

上海市商会「全国同胞宛通電」。

「中国は今や匪息日々に甚しく、天災全国に普きに際し、国内政局は随時破裂の象を呈している。然るに日本はかかる中国の危機を千載一遇の良機と認め、遂に小事件に藉口してわが国と事を構え、その満蒙併呑の野心を遂げんとしている。かかる重大時機に際して兄弟かきにせめぐことは必ずや悔を千年に残すであろう・・・故に全国民は一致して国内的戦争を中止し、対外的に適当なる方法を構ずると共に、資力と人力を尽して以って当局を扶け、国家の危急を万一に挽回せんことを期す。祈るらくは剣履に及ぶの決心を以って奮起せよ」

反日会「排日弁法六ヶ条」。

①即刻全国軍隊を集中、東三省に出兵して日本兵を駆逐出境せしむ、

②速かに国内の軍事行動を停止して敵対的形勢を取除き、一致日本に向う、

③上海各界代表大会開催、

④抗日義勇団を組織し、軍事人材と義勇義士を募集し国難に赴く、

⑤反日宣伝拡大、

⑥会名変更。

9月20日

夜12時、奉天瀋陽館、関東軍三宅参謀長以下幕僚、全員吉林派兵に決し、三宅参謀長が本庄司令官に建言。本庄は、閣議が事変不拡大を決め、朝鮮軍増援が足止め状態という状況で、吉林出兵には同意せず。大激論の末、払暁、「出兵」決裁をとりつける。

吉林特務機関長大迫通貞大佐の「大迫機関」と甘粕正彦が謀略により「不穏な情勢」を惹き起こし、大迫大佐が、三橋居留民会長から吉林軍の動静を聞くと、甚だ不穏で、居留民保護のためにも出兵されたいと、関東軍に要望。三橋からも要請文が電報で届く。

本庄司令官は、決裁の理由を「独断派兵の理由十分で、派兵の弊害なく、かつ満蒙問題解決の根幹となるべく、また朝鮮軍の派兵を容易にして、増援を期待し得」とする。事実は、その通りになり、関東軍が吉林に移動すれば満鉄沿線はガラあきになり、朝鮮軍が沿線をカバーする理由が発生。

関東軍はハルビンにも同じ手を使い、百武特務機関、甘粕正彦、吉村栄吉(元中尉、石原と同期)の3者で、日本総領事館、朝鮮銀行支店、ハルビン日日新聞社、料亭春日楼などに小型爆弾を投げ込み、「不穏なる形勢」を作る。しかし、東支鉄道が兵員輸送を拒み、ハルビン侵攻は失敗。

9月20日

午前11時、陸軍の次官以下首脳会議、出兵態勢を維持して満蒙問題を解決する、政府がこれを認めないならば陸相は辞任、と態度決定。政府に妥協的な3長官を出兵態勢維持に引き込み、「倒閣」で脅し「撤兵」論を抑え込む狙い。

しかし、「満蒙問題の解決」の内容は、3次官の間で「条約上の既得権益の完全な確保」を目指すものであり「全満州の軍事的占領に及ぶものにあらず」との確認がなされ、事件収拾方法として中国側との「交渉」を予定するものである。

9月20日

午後8時35分、銑十郎(中将)朝鮮軍司令官より「独断一部ノ兵ヲ越境ヲナシウル余地ヲ与へラレンコトヲ切望ス」の開き直った入電。

増援部隊は鮮満国境で待機の姿勢で放置。不徹底な立場に置かれた朝鮮軍司令官は、軍は大命を待って出動すべきとの中央の主旨は諒解するが、大命降下となれば日支開戦になり、事は重大。地方問題として処理するには独断出兵の形式が穏当と考えられる、と入電

9月20日

陸軍中央部「間島および琿春地方に出兵を要する件」

9月20日

この日付の朝日新聞社説。

「すでに報道にあるが如く、事件は極めて簡単明瞭である。暴戻なる支那側軍隊の一部が、満鉄線路のぶつ壊しをやつたから、日本軍が敢然として起ち、自衛権を発動させたといふまでである」「その非とその責任が支那側にあることは、少しも疑ふの余地が無い」

「大阪朝日」社説「日支兵の衝突、事態極めて重大」(編集局長高原操)、「曲は彼れ(中国側)にあり、しかも数百名兵士の一団となっての所業なれば計画的破壊行為とせねばならぬ。断じて許すべきでない。・・・そもそも満鉄はわが半官半民の経営幹線なりといえども、世界交通路の幹線である。これが破壊を企つものは寸尺の微といえども容赦はできない。わが守備隊が直ちにこれを排撃手段に出たことは、当然の緊急処置といわねばならぬ」

「東京日日新聞」社説「満州に交戦状態-日本は正当防衛」。 

関東軍の行為を「迅速なる措置に対し、満腔の謝意を表し、・・・出先き軍隊の応酬を以て寧ろ支那のためにも大なる教訓であろうと信ずる」と賞讃。

9月20日

宮沢賢治(35)、9月初め童話「風の又三郎」の執筆進行。

20日、上京したが激しく発熱。

21日、父母あてに遺書を書く。

28日帰郷。

9月20日

古賀政男「酒は涙か溜息か」、コロムビアレコードから発売

9月20日

ソ連、金属・石炭工業における賃金制度改組を決定。

9月20日

オーストラリアの極地探検家ジョージ・H・ウィルキンズ、潜水艦「ノーチラス」で北極到達を試み、この日ノルウェーに帰着。 


つづく

0 件のコメント: