2009年7月11日土曜日

鎌倉 ランドン・ウォーナー博士記念碑 ウォーナー伝説 原爆投下目標都市京都

JR鎌倉駅西口を出てすぐ右側の時計塔広場にあるランドン・ウォーナー博士記念碑
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ランドン・ウォーナー博士及び「ウォーナー伝説」については、以前に「京都空爆被災を記録する碑」のエントリで概略しましたのでご参照下さい。
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また詳細にこれを説明したサイトもあります。
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ウォーナー記念碑
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「★鎌倉インデックス」をご参照下さい
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原爆投下直前まで「京都は原爆投下目標都市の一つ」であった
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1945年4月12日
・ルーズベルト大統領(63)、ジョージ州アウォーム・スプリングで脳溢血により没。後継大統領にトルーマン副大統領が就任。
この頃には既に原爆開発が進捗しており、どう使うかが差し迫った問題となっている。
トルーマンは、原爆政策に関する諮問機関としてスティムソン陸軍長官を議長とする暫定委員会を設置。
一方、マンハッタン計画の内部でも、投下目標選定基準の設定の必要性が議論され、計画関係者に第20空軍メンバを加え、「目標検討委員会(Target Committee)」が設置される。
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4月27日
・目標検討委員会の第1回会議。
日本の夏の悪天候が予想され、目視による有視界爆撃を行うこと、また、「目標は妥当な広さの都市地域に位置するが、目標そのものは直径三マイルをくだらないもの」とするとして、東京と長崎の間にある、第21爆撃機集団の焼夷攻撃リストから選ばれた17都市が研究対象になる。
同時に、東京、横浜、名古屋、大阪、京都、神戸、八幡、長崎については第20空軍が組織的に爆撃していること、東京は「焼きつくされており、皇居が残されているだけで、事実上瓦礫と化している」と報告される。初めから人口密集都市地域が目標とされている。
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5月10日
・目標委員会の第2回会議。
投下目標として京都、広島、横浜、小倉兵器廠が勧告される。
「目標選定上の心理的要因」が重視され、
「(1)日本にとって不利となるような最大の心理的効果をあげること、
(2)この兵器をはじめて使用するさいには、十分にこれを劇的(spectacular)なものにし、兵器に関する情報が公開されたときに、その重要性が国際的に認識されるようにすること」が指摘される。
更に、委員会は「軍事」目標に対する使用として、「拙劣な爆弾投下により、原爆を無駄遣いする不都合な危険を避けるために、小規模でかつ厳密に軍事的な目標が、さらにずっと広い地域のなかの爆風被害を受けやすいところに存在していなければならないという点で意見が一致した」。
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5月28日
・目標検討委員会の第3回会議。
「リトルボーイ」(ウラニウム爆弾)の準備が8月1日に完了することが報告され、目標の京都、広島、新潟に関する資料が提出される。
目標都市の「工業地域が小さく、市街地の外辺に広がり、完全に分散している」という理由で、「精密照準目標としては工業地域の位置は無視」し、「選定された都市の中心部に最初の特殊装置(原爆)を投下するように努力」する、として住民の集中する都市中心部を目標とすることが決定される。
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5月31日
・暫定委員会で原爆投下目標に関する勧告を全会一致で決定。
議長のスティムソン陸軍長官は6月6日にこの勧告をトルーマン大統領に伝えるが、トルーマンは6月1日にバーンズ国務長官(大統領代理)からこの勧告の内容を聞いている。
この時、トルーマンは、「残念なことだが、自分の見る限り唯一の合理的結論は爆弾を使えということだ」と語る。
この6月1日が、トルーマンが原爆の実戦使用を「決定」した日といえる(歴史家マドックスの主張)。
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「合衆国は日本側に事前の(原爆投下の)警告を与えることはできない。一般住民地域を集中攻撃目標にすることはできない。ただし可能な限り多くの住民に深刻な心理的影響をあたえるようにすべきである。もっとも望ましい目標は、多数の労働者を雇用し、かつ、労働者住宅にぎっしり囲まれている基幹軍需工場であろう。」
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6月30日
・米統合参謀本部は、原爆使用の効果をより高くするため、京都、広島、小倉、新潟の4都市に対する攻撃禁止命令を各軍に宛て発令。
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7月24日
・トルーマン米大統領、スターリン・ソ連首相に原爆(「前例のない破壊力を持った兵器」)完成を伝達。スターリンは中断していた原爆開発の再開を命じる。
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7月24日
ポツダム会談に出席のマーシャル陸軍参謀本部長に、留守番役のトーマス・ハンディ本部長代行から、米戦略航空軍総指揮官カール・スパーツ将軍に宛てた原爆投下命令の即時承認を求める電報が届く。
トルーマンはこれを承認し、翌25日、スパーツが509混成軍に原爆投下命令を下す。
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①第20航空軍第509混成航空軍は、8月3日頃以降、有視界爆撃が可能な天候になり次第、広島、小倉、新潟、長崎のいずれかを目標として、最初の特殊爆弾を投下する。
②追加分の爆弾は、計画担当者による準備が整い次第、前記の目標に対して投下される。
③日本に対するこの兵器の使用は陸軍長官ならびに米国大統領にゆだねられる。
④前記の命令は、陸軍長官ならびに米国陸軍参謀本部長の指示及び承認のもとに貴官に発せられる。
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この段階までに、スティムソン陸軍長官の反対により京都が原爆投下目標から外され、長崎が4番目の目標となる
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スティムソンが京都を外した理由。
「ソ連が満州を侵攻する場合の備えとしてアメリカ寄りの日本を作るという目的を、(京都に対する原爆攻撃が)阻害する要因となる」(「日記」24日付)ことを恐れた。
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以上は、荒井信一「空爆の歴史」(岩波新書)によりました。
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空爆の歴史―終わらない大量虐殺 (岩波新書)
空爆の歴史―終わらない大量虐殺 (岩波新書)
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