東京は神田界隈を散歩して、「朝鮮独立宣言記念碑」のある韓国YMCA(旧在日本基督教会館)を訪れた関連で、予定をしていなかった大正8年2月の「黙翁年表」を掲載することになって、されば当然3月にも及ばなければこれは片手おちということで、今回は大正8年3月を。
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大正8年(1919)3月
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この月
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・陸軍、オムスクに特務機関(高柳保太郎)を設置。
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・陳独秀、北京大学辞職。翌20年初め、上海行き共産主義グループ結成。
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・「上海日日新聞」の「東京より」に見る宮崎滔天の「アジア主義」。
日本が盟主のアジア主義ではなく、被抑圧民族の自決を前提としたアジアの連帯。
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しばしば朝鮮問題に言及。
2月8日東京朝鮮人学生の独立宣言発表以来、彼らの運動を、「尋常お祭り騒ぎと同一視すべきに非ず」とし(2月26日)、3・1運動勃発を聞き、「見上げたる行動」と評価し、その対策は「正義人道に根底せる最上の美徳」しかないが、これは「目下我国に払底の代物に候」と嘆く(3月8日)。
日本人の朝鮮人に対する侮蔑的感度とサーベル政治の軍国主義を非難し〈4月5、7日)、当面は日本人と、自由と権利において同等の待遇をし、「適当の時期に於て完全なる独立を承認する声明」を発せよと論じる(6月27日)。
9月斉藤新総督暗殺未遂事件に際しては、「完全なる独立自治を許して」、「亜細亜連盟の基礎を作る」ことよりほかに日本の進むべき道はないと主張(9月13日)。
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・神戸市議補選、立憲青年会副会長・医師田島唯三郎が、市選出国民党代議士野添宗三・友愛会神戸連合会法律顧問砂田重政らの応援のもとに、憲政会県議西見芳宏ら政憲両党の推す有力候補を予想外にも大差で破る。
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大戦中、金属労働者に劣らず小営業者、造船海運部門サラリーマン層が激増し、政治的自覚も高まる。田島は、川崎・三菱両造船所労働者も多く住む湊東区荒田町を拠点にし、友愛会神戸連合会は「労働者新聞」(3月15日)に田島推薦を打出す。
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・三菱新入炭鉱、朝鮮人坑夫騒擾事件。
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・岩出金次郎「日本労働新聞」発行。大阪。荒畑寒村、「A.K」の筆名で寄稿。
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岩出は貴金属商の家にうまれた船場のボンチで明治40年代からの荒畑らの同志。業界新聞(月刊)「時計と貴金属」を発行。「時計と貴金属」東京支局の橋浦時雄と協力して「労働新聞」を発行。創刊号では、資本家・労働者は切っても切れぬ深い仲の兄弟と協調主義で偽装し発行継続。12月からは、荒畑は本名を使う。堺・山川らも執筆。
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・加藤一夫ら、「労働文学」創刊(~1920年6月4日号)。
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・山田わか「母の生活をして余裕あらしめよー最小限度労銀法制定の必要」、与謝野晶子「婦人も参政権を要求す」(「婦人公論」)。
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・宮沢賢治(23)、帰郷。賢治は父の代理を務める一方、郡立農蚕講習所で土壌、肥料、化学などを講義。またこの年、浮世絵を蒐集。
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・小林多喜二(15)「呪われた人」(小樽高商校友会誌)。翌大正9年10月「石と砂」(同)。大正10年秋から志賀直哉に傾倒。
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・中野重治(17)、福井中学校卒業。9月、金沢の第四高等学校分科乙類に入学。
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・教化運動の展開。
この月、内務省の民力涵養運動、開始。人々を政府・市町村と協調的・調和的調運動に誘導しようとする。
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床次竹二郎内相は、「国体」観念とともに「立憲の思想」を強調し、「健全なる国家観念」と併せて「自治」「公共心」の育成をいい、伝統性・近代性を混在させる。だが、実践項目となると、後者の合理性に力点がおかれる。
「勤労の趣味」を助長し、「貯蓄の奨励」「時間を確守する方法」「能率増進の方法」、また「衣食住の改良」による「簡易生活」や「冠婚葬祭送迎」「娯楽」の改良が唱えられる(「内務省史」)。
国家により私生活領域の合理的改善が図られ、近代的な生活を営む「国民」育成が促される。
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・東京帝国大学、銀時計下賜を廃止。
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・平塚に海軍火薬廠設置。
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・~4月、ドイツ、ルール地方、中部独鉱山地帯、ハレ、ライプツィッヒ等諸都市で労働者協議会が地方政治掌握。政府組織の義勇軍により鎮圧。
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・ソ連、労農監察委員会(RKI、ラブクリン)創設。委員長スターリン。
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・ベオグラードでユーゴ憲法制定議会。中央集権か連邦かの論争。
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・アメリカ、「リベレター」誌創刊。1922年共産党機関紙。
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3月1日
・三・一独立運動。
崔南善起草独立宣言文、2万1千印刷。民族代表29人(署名者中4名欠席)韓式料亭「泰和館」2階で読上げ後、警務総監邸に電話、自首。
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パゴダ公園等全土(宣川、平壌、元山)で独立要求デモ。136万参加。5月末迄、参加202万余。死者7,509、負傷1万余、逮捕4万余
(総参加者136万、死者6,760、投獄5万2,730との数値もあり)。
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平安南道、平壌で1万人。10日間で30ヶ所で騒擾。沙川では憲兵4死亡。
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この日早朝より学生らパゴダ公園に集合。中学生も主に第3学年以上の上級生に、本日朝鮮人は独立を宣言する、独立万歳を叫ぼうと呼びかけ、午後の休みにパゴダ公園に行くよう手配されている。
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正午頃、崔麟より計画変更となり独立宣言式は、午後2時より明月館の支店「泰和館」で挙行との連絡。学生リーダが協議をして予定通りの式を始めようとしたところ、黄海道海州生れの鄭在鎬(鎔)が独立宣言書の朗読を始める。
朗読終了後、6千余が万歳を叫び、鐘路へ、鐘路から一隊は光化門へ、もう一隊は南大門に向う。
のち、徳寿宮の大漢門から中に突入。また、南山の総督府にもおしかける。
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この日のソウルのデモ隊に合流した一般市民は数十万(60万)という。
この日のみで学生130余が検束されるが、示威行進は暴力行為も無く、取り締まり側も発砲もなく軍の出動もなし。
長谷川総督・山県総監・児島警務部長・古見憲兵司令官・宇都宮朝鮮軍司令官らは、京城は葬儀終了までは強硬弾圧はしない、但し、地方は容赦なく取り締まるとの方針を固める。
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「われらはここにわが朝鮮の独立と、朝鮮人民の自由民たることを宣言する」
「含憤蓄怨の二千万人民を威力をもって拘束することは、東洋永遠の平和を保障する所以でない。のみならず、これによって東洋安危の主軸たる四億万中国人民の、日本にたいする危懼と猜疑とをますます濃厚ならしめ、その結果として、東亜全局の共倒と同亡の非運とを招くことは明白である」
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陸軍省発表による「経過」 (適宜改行を施す)
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①京畿道。
「三月一日約三、四千名ノ学生ハ予定ノ通リ「パゴダ」公園ニ集合シ独立宣言書ヲ朗読シ示威運動ヲ開始スルヤ群衆之ニ附加シ其数数万ニ達シ市中ヲ練リ廻リシカ
当日李大王国葬拝観ノ為地方ヨリ入京中ノ者数十万ニ達シ混雑名状スヘカラス依テ総督ハ軍隊ヲシテ警務官憲ヲ援助シ治安ノ維持ニ務メシ為二月中旬末ニ至ル迄ハ表面概ネ静穏ヲ維持シタルカ
三月下旬ニ至リ市内各所及京城近郊ノ郡部ニ騒擾続発シ従来ノ示運動ハ漸次悪化シ京城市中ニ於テハ電車ニ投石乗客ヲ脅迫シ又ハ管官派出所ヲ襲ヒ投石暴行又ハ之ヲ破壊シ警官ノ制止ヲ肯セス頑強ニ抵抗ヲ試ムル為官憲側卜衝突シ彼我多少ノ死傷ヲ生スルニ至レリ。
郡部ニ於テモ二十一日以後八〇余箇所ニ騒擾勃発シ或ハ憲兵、警察官署、郵便所、面事務所ヲ襲ヒ又ハ内地人民家ニ放火スル等暴行ヲナシタルモノ少カラス就中暴民ノ最モ暴行ヲ逞フセシハ水原、安城地方ニシテ放火破壊ハ勿論内地人巡査一名ヲ虐殺スル等兇暴ノ度本月ニ於ケル騒擾ヲ通シ稀ニ見ル所ナリ」
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②忠清北道。
「十日清州学校生徒ノ騒擾ニ始マリ一〇郡中ノ四郡数箇所ニ於テ騒擾シ京畿道ニ於ケル暴民ノ範ニ倣ヒ二、三箇所ニ於テハ官憲ニ抵抗スルニ至レリ」
「四月上旬ニ於テ京畿道騒擾ノ余波ヲ受ケ殆ント全郡ニ互リテ騒擾頻発シ破壊放火等ノ暴行亦少カラサリシモ中旬ニ至りテ概シテ表面終熄スルニ至レリ」
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③忠清南道。
「十日論山郡江景ニ騒擾勃発シ次テ他ノ二〇余箇所ニ騒擾ヲ惹起シ或ハ兇器ヲ携へ憲兵駐在所ヲ襲ヒ銃器ヲ奪取セント企テ又電線ヲ切断シ其他警察署ノ破壊ヲナス等ノ暴行ヲナセリ」
「四月上旬ニ於ケル騒擾ハ京畿道郡部ニ次テ狂暴ヲ極メ各種官公署学・・・」
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④全羅北道。
「数箇所ニ於テ運動ヲ企テシモ薬樹ニ於テ暴民カ警察官駐在所及面事務所ニ押寄せ暴行セシ外執レモ大患ニ重ラス」
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⑤全羅南道。
「五箇所ニ於テ九回ニ亙り示威運動ヲナシタルノミニテ何レモ大事ニ至ラスシテ鎮静セリ」
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⑥慶尚北道。
「八日大邸ニ於ケル学生ノ示威運動ニ始マリ各地ニ派及シ十一日以降二〇余箇所ニ騒擾勃発シ就中安東、盈徳、義城及青松郡内ニ於テハ暴民狂暴ヲ逞フシ頑強ニ抵抗シ殊ニ安東ニ於テハ郡庁、法院支庁、警察官駐在所ヲ襲ヒ投石暴行又ハ破壊ヲ試ムル等ノ行為アリ」
「三月中ニ於ケル激烈ナル暴動余波ヲ受ケ四月中ニ於テハ前半箇月間ハ尚各地ニ騒擾続発シタルモ後半箇月間ニ於テハ概ネ平穏ニ帰セリ」
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⑦慶尚南道。
「十一日釜山鎮ニ於ケル耶蘇教学生ノ示威運動ニ始マリ二〇余箇所ニ騒擾ヲ惹起シ郡庁、警察官駐在所、郵便所、登記所、面事務所、学校等ヲ襲ヒ之ヲ破壊スル等暴行ヲ逞フセルモノ少カラス」
「四月中南鮮ニ於テ最モ頻発シタルハ本道ニシテ前半箇月ハ素ヨり後半箇月ニ至ルモ続発シ其手段ニ於テモ棍棒又ハ竹槍ヲ携へ或ハ銃器ヲ奪去スル等多クハ悪性ヲ帯ヒ猖獗ヲ極メタルモノ多シ
就中警察官駐在所憲兵駐在所其他ノ官庁ヲ襲撃又ハ破壊セルモノ一〇箇所ニ重ントシ又犯罪被告人ノ押送ノ途中ヲ扼シテ妨害ヲ加フル等ノ為鎮撫ニ際シテ特別ノ手段ヲ採ルノ已ムヲ得サルニ至レル箇所少カラス」
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⑧黄海道。
「二日天道教徒ヲ主トスル多数ノ暴民黄州警察署ヲ襲ヒタルニ始マリ三〇余箇所二騒擾勃発シ就中遂安二於テハ暴民一〇〇余名都庁憲兵分隊ヲ引渡スヘシト称シ憲兵分隊構内ニ殺到シ暴行ヲナシ其他各所二於テ憲兵官署ニ来襲シ狂暴ヲ逞フセルモノ少カラス」
「四月中ニ於テハ前半箇月ハ殆ント毎日ノ如ク続発シ道内各郡ニ弥蔓シ其発生件数モ全鮮ノ首位ヲ占メ就中七日、八日ノ両日ニ於テハ騒擾箇所数一七箇所ニ上レリ
暴行ノ箇所亦頗ル多ク警察官又ハ憲兵駐在所ヲ襲ヒタル者ノミニテモ二〇箇所ノ多キヲ算シ暴動ノ地域件数ハ勿論其手段ニ於テモ京畿道郡部卜並ヒ実ニ全道ニ冠タリ」
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⑨平安南道。
「本道ハ今回騒擾ノ主謀着タル耶麻教及天道教ノ勢力最モ旺盛ナル関係上各地共密接ナル連絡アリシカ如ク一日ヨり一〇日間ニ於テ三〇余箇所二騒擾アリタリ
而シテ其狂暴京畿道郡部ニ譲ラサルモノアリ就中成川ニ於テハ暴民数百棍棒、鎌、斧等ヲ携帯憲兵分隊ニ来襲シ破壊其他ノ暴ヲナシ憲兵ハ極力防衛ニ努メ遂ニ之ヲ解散セシムルニ至リタルカ之カ為憲兵分隊長ハ重傷後死亡シ暴氏側ニ六○余名ノ死傷者ヲ生シ
孟山ニ於テモ成川下同様ノ暴行ヲナシ為ニ憲兵一名其兇手斃レ暴民ニモ五〇余名ノ死傷者ヲ出セリ
沙川ニ於テハ憲兵四名暴民ノ包囲ヲ受ケ極力鎮圧ニ努メタルモ弾薬尽キ全員兇手ニ斃レ駐在所ハ放火セヲルルエ至レリ」
「四月ニ入リテハ不穏ノ拳アリシハ僅ニ四件ニ過キスシテ概シテ平穏ナリ」
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⑩平安北道。
「前後数回ニ亙り騒擾シ混雑ヲ極メタルハ耶蘇教徒最モ多キ宜川ニシテ騒擾者ノ数多キトキハ六千名ニレリ
其他三〇余箇所ニ渉リテ騒擾シ暴民狂暴ヲ逞フセシ箇所少カラス」
「四月中最モ多ク発生セシハ一日ニシテ其数一三件ニ上リタルモ其後ハ逐次減少シ十日以後ハ全ク終熄セリ而シテ官庁ノ襲撃、破壊、放火等ノ暴行一〇数箇所ニ及ヒ群衆ノ多キハ六、七千ヲ算スル所アリタリ」
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⑪江原道。
「一〇日鉄原ニ於ケル騒擾ニ次テ七箇所ニ騒擾アリ就中二箇所ニ於テハ憲兵駐在所及面事務所ヲ襲ヒ破壊暴行シ面長及憲兵ヲ傷ケ面書記三名ヲ拉去スル等ノ事あり」
「四月中全半箇月ヲ通シ一日トシテ騒擾ノ発生ヲ見サルコトナク官公署ノ襲撃セラルルモノ九箇所ニ及ヒ其他民家ノ破壊、被検挙者ノ奪還ヲ企ツル等暴行ノ程度、事件数等敢テ猖獗ナリシ他道ニ譲ラサルモノアリタリ」
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⑫咸境南道。
「四月八日成興郡徳源ニ於テ暴民ノ憲兵駐在所ヲ襲ヒタル外概シテ平穏ニ経過セリ」
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⑬咸鏡北道。
「四月中ニ於ケル本道ノ暴動地域ハ一府五郡ニ過キス穏城郭内ニ於テ一箇所暴行シタル外ハ大ナル騒擾ヲ惹起セス平穏ニ経過セリ」
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(次回に続く)
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