湯島・根津・本郷・千駄木辺りを歩いています。
今回は、不忍池から根津へ、根津神社脇の鷗外の散歩道を通って漱石の「猫の家」までです。
東京歩きの人にとっては、ある種の「定番」とも言えるんではないでしょうか。
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2005年12月以来の再訪です(①、②)
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上野、不忍池
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根津までの道すがらに見付けたレトロな建物。
糊とインクの臭いがしていました。操業されている様子。
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「両山堂さん、ドラマの舞台だったんだ」(2010-01-13)を掲載。コチラ。
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奥に見えるベランダ付きの建物が道路に面している部分です。
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根津一丁目にあったお店。
「はん亭」という串揚げ屋さん。
建物は登録有形文化財。
建築は大正3年。雨や泥よけに下駄の鼻緒に被せる爪皮を商う有名なお店だったらしい。
「はん亭」のご主人がこの建物を買った時は、運送会社の独身寮になっていたそうだ。
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お店の看板と、お店の前の旧町名案内(これは助かります)。
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人のお宅を勝手に撮ってスミマセン。
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根津神社
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鷗外「青年」(明治43年)に出てくる新坂。
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漱石旧居跡(通称「猫の家)
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漱石は、明治36年1月に英国より帰国。
同年3月3日より明治39年12月27日に西片町に移転するまで、ここに住む。
38年1月、「吾輩は猫である」「倫敦塔」を発表。
また、翌39年には、「坊ちゃん」「草枕「野分」を発表。
また、ここには明治23年10~25年1月、鷗外も住んでいた。
(鷗外はこの後、千駄木の観潮楼に移る)
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漱石がこの後住んだ西片町の家は、一葉が人生の最期に住んだ家の近く。漱石の弟子の森田草平は、一葉のその家に住む。
漱石はこの家に住んだ時代の明治40年4月に朝日新聞に入社するが、先に朝日に入社していた二葉亭四迷とは銭湯でよく一緒になったという。
更に、漱石の住んだ後、この家には魯迅が住むことになる。
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その頃の「世間」というものの一端が判るエピソードではある。
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「坊ちゃん」に関して。
今丁度、松山巌「群衆 機械のなかの難民」(中公文庫)を読んでいる。
この本の第二章に、「坊っちゃん」たちの怒り、という章がある。
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「坂の上の雲」で話題に上る日露戦争。
莫大な戦費と生命を費やして、辛うじてアメリカの調停で終戦に持ち込んだ戦争であった。
(ルーズベルトはこの功績でノーベル平和賞!!
なになに、オバマを批判するでないゾ。われらが佐藤A作さんだって・・・。
おっと、余談)
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この講和を巡り民衆の一大暴動が起り、その翌年は東京市電の運賃値上げ問題でもまた同じような大暴動が起る。
漱石は、この世情の中で、「坊ちゃん」の着想を得て、一挙に書きあげたそうだ。
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時代の閉塞状況を漱石がどう見たかを分析する秀逸の一章ではある。
主人公は、中学教師を辞職し、街鉄の技手(月給25円)に転身する、というこの小説の結末が漱石のメッセージを暗示する。
ご一読をお勧めする。
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群衆 - 機械のなかの難民 (中公文庫)
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