2010年12月24日金曜日

弘治3年(1557)7月~12月 旱魃、飢饉、疾病流行、大洪水 三好長慶の丹波制圧 信長、弟信勝を謀殺 毛利元就「三人心持之事」 毛利氏の防長征服完成  [信長24歳]

弘治3年(1557)7月
この月
・スペインとフランスが破産状態に陥る。
アントウェルペンが危機的状態に陥いる。
ドイツのフッガー家、大損害を受ける。
・ジャン・カルヴァン、「詩篇註解」公刊。
*
7月5日
・武田晴信(信玄)、小谷城を攻める。
*
7月5日
・諸寺社で雨乞いの祈祷。
この年、旱魃で作物が不作、各地で飢饉・疾病が流行、多くの死者。
*
7月7日
・大友義鎮の筑前(秋月文種)討伐軍(総大将戸次鑑連)の高橋鑑種・臼杵鑑速ら2万、秋月氏出城・杉本の城を陥落、後、本拠地古処山城を攻撃。
18日、古所山城攻撃で長男秋月晴種、討死。秋月文種、自刃。
落城寸前、大橋豊後守が文種の子(種実・種冬・種信3子)を連れて毛利を頼り山口に落ちる。
秋月氏と共に決起した筑紫惟門も、五箇山城を放火し、嫡子広門を連れて毛利を頼り落ち延びる。
*
*
8月
・上杉謙信の重臣大熊朝秀の造反事件。信玄の調略。
大熊氏は信玄の援軍ないまま制圧される。のち甲斐に逃亡し信玄の足軽大将となる。
*
8月10日
・サン・カンタンの戦い。パリ北北東130Km。
サヴォイア公エマヌエーレ・フィリベルト指揮イングランド・スペイン連合軍、サン・カンタン防備コリエ指揮フランス軍を破る。
サン・カンタンに籠城のモンモランシーと息子(サン・ダンドレ元帥、シャルル・ド・ブルボン大公、ロングヴィル公爵)、ゲントに連行。
コリニー(モンモランシー甥)だけは尚も17日間抵抗。コリニーは、捕虜生活中に新教(カルヴァン派)に改宗)。
*
8月26日
・朝、東風が起こり、夕方南風となる。大雨となって各国で洪水発生
尼崎、別所、鳴尾、今津、西宮、兵庫、前波、須磨、明石に高潮が押し寄せる。死者多数。
文明7年8月の洪水に並ぶ被害という。
この年、春~夏100日余、早魅が続き、諸国は不作。
加えて台風襲来により、米価が高騰。
*
*
9月4日
・サン・ジャック通り事件。反ユグノー蜂起。新教徒大量虐殺。
*
9月5日
・第105代後奈良天皇(62)、没。
10月23日、正親町天皇、践祚(即位式は1560年5月27日)。
11月22日、葬礼。
朝廷は葬礼費用を三好長慶に依頼、長慶は京都市中に棟別銭を課す。
この徴収のため、「玉体」放置2ヶ月半という新記録となる。
*
9月11日
・フェルディナント1世、ウォルムスで宗教会議を開催。
*
*
10月
・三好長慶、再び丹波八上城に出陣しこれを攻略。波多野晴通降伏。
氷上郡を除く丹波が三好氏の版図に入る
この月、京都大徳寺へ全3ヶ条の「禁制」下す(「大徳寺文書」)。
*
10月6日
・フランス、教皇援助のためイタリア遠征のギーズ公フランソワ、ビエモンテ軍率いパリ帰還。
年末までに3万5千を侵略軍とパリの間に配置。
*
*
11月
・毛利軍、防長2国の大内氏残党を一掃。
*
11月2日
・信長、重病の虚報に見舞いに来た弟信勝を信勝家臣柴田勝家を抱込み清州城で謀殺
遺児信澄は勝家のもとで養育。
*
信勝が再び謀反を企てる(岩倉城主織田信安と通じて信長直轄地篠木3郷を奪おうとする)。
信勝家臣の津々木蔵人の専横甚だしく、柴田勝家は疎んじられ、勝家が信勝謀反を信長に告げる。
信長は、病と偽り信勝を清洲城に誘殺する。
永禄元年説もあり。
*
11月9日
・三好長慶、中沢一直と大原野神社神官の下地相論に裁許を下し、大原野神社へ安堵(「大原野神社文書」)。  
*
11月25日
毛利元就(61)、息子の毛利隆元(35)・吉川元春(28)・小早川隆景(25)に教訓状ともいえる「三人心持之事」の書状を送り互いに協力するように説く。
*
同時に、隆元に与えた書状には、国人衆はもとより、毛利家中にもなお毛利氏に対する反感が充満していると記す。
国人統制はもとより、庶家直臣支配さえもまだ容易でなかった実情が窺える。
しかしこの戦勝の過程で、起請文による誓約を用いながら、国人・譜代直臣の統制強化を図り、また毛利・吉川・小早川3家が毛利を中心に有機的に一体化する毛利両川体制がとられたことにより、毛利氏の権力は確立する。
*
11月27日
・信長(24)、熱田検校馬場氏・田島氏へ、敵味方からの依頼された保管物処分に同意しない、また、信長は使者を門外に入れたり竹木を要求したり郷質を取り立てることを永久にしない旨安堵。
*
*
12月
・スコットランド議会、ジョン・ノックス起草カルヴァン主義の信仰告白を採択。
・スコットランド、プロテスタント貴族ら(4代アーガイル伯アーチボルド・キャンベル、4代モートン伯ジェイムズ・ダグラス、5代グレンケアン伯アレグザンダー)、プロテスタント信仰を誓う盟約
(「第1次信仰盟約」)。
ローマとの断絶、改革した国民的教会創設。
・スコットランド、改革派教会、第1回総会を開催。ジョン・ノックス(52、1505~1572)の指導。
「教会規律書」を公布。司教職廃止と2つの職制(牧師と長老)設置。
牧師は、信徒達自らが選出(ジュネーヴは牧師官の協議で任命)。
*
12月5日
・大友義鎮、寶満山僧坊の前栽・茶園に至るまで検地の上課役。
*
12月26日
毛利氏、防長征服
毛利軍、防長征服をはたし吉田郡山城に帰着。
この月、元就は隆元・吉川元春・小早川隆景ら11名と共に傘連判により、軍勢狼藷と陣払いとの禁止を誓約、同日付で福原貞俊以下241名が同趣旨の起請文に連署。
*
12月31日
・フランス、ギーズ公フランソワの仏軍、カレー奪回に向う          
*
*
「★信長インデックス」をご参照下さい。
*
*

0 件のコメント: