2010年12月16日木曜日

東京 九段周辺の永井荷風旧居跡(2) 九段南(旧麹町)の旧居跡

先回は、永井荷風が満14歳の頃に住んでいた冬青木坂の旧居跡をご紹介しました
荷風一家は、その1年後に麹町(今の九段南)に移転します。
この九段南には8年近くここに住みます。
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永井荷風年表ではこうなってます。
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明治27年(1894)(15歳)10月
麹町区1番町42番地(現、九段南2丁目)の借家に移転。
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この頃、この辺り(麹町3丁目、富士見町あたり)は芸妓100人を擁する街であったという。

荷風の「桑中喜語」に
「明治三十年の頃僕麹町一番町の家に親の脛をかじりゐたり。
門を出でゝ坂を下れば富士見町の妓家軒先に御神燈をぶら下げたり。
御神燈とは妓の名を書きたる提灯をいふなり。
毎日学校への往かへりに提灯の名を早くも諳じ女同士が格子戸の立ばなしより耳ざとく女の名を聞きおぼえて、之を御神燈の名に照し合すほどに、いつとなく何家の何ちやんはどんな芸者といふ事、一度も遊ばざるに蚤(ハヤ)く之を知る身ぞ賢かりける。」
(改行を施す)
とあります。
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下の写真は、田安門前から九段坂上方面を見たところ。
通り(靖国通り)の左側が、今回行くところです。







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旧居は、二松学舎大学の裏辺りといいます。
もちろん、今回も旧居跡には何の形跡もありません。
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千鳥が淵
この右側が昔の富士見町(今は、インド大使館などがあります)
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内堀通りを左折
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この「二七通り」を右折して、一筋目を左折したところが旧居跡
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「二七通り」を左折しないで、もう少し内堀通りを行くと、二松学舎大学
旧居跡は、この大学の裏手あたり
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このあたりが旧居跡
何の痕跡も形跡もなし
先の引用の「門を出でゝ坂を下れば富士見町の妓家」というのが、この坂のことかナ、と推測してます。
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ところで、この麹町三丁目は、荷風にとってのもう一つの関係先であります。
荷風が昭和2年暮れ(48歳)から昭和6年8月までの間、お妾さんとして囲っていた「うた(関根歌21歳)さんに経営させていた待合「幾代」が、このすぐ近くにあります。
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おうたさんと荷風との交信は、荷風が没するまで細く長く続いたそうです。
松本哉さんの本に詳しい。
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靖国通りを靖国神社南門のところで左折して、一筋目を右折した辺り。
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この下の写真の辺りのようです
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近くの風景
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近くに「塙検校和学講談所跡」の説明
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岩波「荷風全集」付録の関係地図を拝借
14が待合「幾代」
15が旧居跡
16は巌谷小波の家(荷風20歳の初冬の頃、小波の木曜会に入会する)
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「★東京インデックス」 「★永井荷風インデックス」をご参照下さい
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