2010年12月11日土曜日

東京 千鳥ケ淵戦没者墓苑 石川逸子詩集「千鳥ケ淵へいきましたか」

最近「朝日新聞」夕刊の「素粒子」というコラムが気になってしようがない。
気になってしようがない、というのは控えめで、ホントはアホらしくてアタマにくる、と言い換えてもいいくらい。
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先般、Sengoku氏が「暴力装置」で責められていた際、この「素粒子」は、Sengoku氏を揶揄して、

主旨
「わが自衛隊は一人も人を殺していない。それを誇るべきだ。
・・・ネェ Sengokuさん」

と言っていた。
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憲法九条の問題を始め、幾つかの重要問題を置き去りにしてしまっている。
それに、一般的な社会学、国家学に関する知識の欠如。
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そのくせ、「朝日」夕刊は、とっくに「暴力装置」問題その他で、お粗末な問責決議が出たあと暫くしてから、東大の先生に
「いやー ウェバーを読みすぎまして」
と頭をかけば、その場は収まったのではないか、などと書いて貰って掲載している。
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ところが・・・、です。
「朝日」の悪口ばっかりでもないんです。
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この「朝日」夕刊の「ニッポン人脈記」というのは、これが秀逸なんです。
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つい先週まで連載だった「津軽」をテーマにした記事中の永山則夫のくだりでは、
永山氏が、母に三回捨てられたという話、
これは、前にも何度か聞いていたが、ホロリときた。
新藤兼人監督「裸の十九歳」を観たことを思い出した
(主演は先ごろ民主党から立候補して落選した原田大二郎だったか)。
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前置きが長くなったが、
今日はその「ニッポン人脈記」の「語り継ぐ戦場⑩」(11月30日)に掲載されていたある詩人のお話です。
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元中学校教師という詩人石川逸子さん(77)
日本、アジアの戦争犠牲者の無言の声を言葉に紡いで詩集「定本 千鳥ケ淵へいきましたか」を出版した詩人。
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千鳥ケ淵墓苑には、収拾した遺骨のうち引き取り手のない約36万柱が納められている。
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石川さんは、
これからの世代に戦争が伝わるかどうかはわからないが、伝える材料は残しておきたい、
という。
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石川さんの詩が紹介されている。
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1995・千鳥ケ淵で

半生記前に 殺され ものいわない白骨となった
数えきれないほどの 人々のなかから
せめて
一人の少女 の
一人の少年 の
面影を
そっと 胸のなかに蔵(しま)いましょう
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ということで、今年四回目の千鳥ケ淵墓苑。
(桜の頃、8月15日の少し前、秋の盛りの頃、と今回)




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「先の大戦」として昭和12年7月7日が、戦死者カウントの起算ポイントだそうだ。
戦争の犠牲者の「数」という観点では、このサイトが情報豊富だと思う(コチラ)
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墓苑までのルートは、工芸館側から九段に抜ける道にしました。
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ツバキと工芸館
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千鳥ケ淵とそれを分断する高速とヤツデ
(下のほうの写真で、千鳥ケ淵の向こうからこちらを見たものがあります)
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これは昔の高射砲台ではないかと、思ってます。
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墓苑前から九段方面を見たところ
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墓苑前から工芸館方面を見たところ
正面に見える高速の、その向こうから来ました。
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九段側からみたところ
右に見えるお濠傍を歩いてきました。
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「★東京インデックス」 をご参照下さい。
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