永井荷風「断腸亭日乗」を少しづつご紹介してます。
今回は昭和16年5月の後半。
今回は荷風の「権力」への八つ当たりぶりが結構面白いと思い。
佐藤春夫(16日条)は、荷風が慶応大学教授の時の直々の弟子で、一時は荷風の家(偏奇館)へもフリーパスの状況だったようだが、荷風の最も嫌う菊池寛になびいた為、破門扱いになったという。
極めつけは31日条の「慾簒怪(大政翼賛会)といふ化物」。
誰かが書いたものを、偶然に見つけたかのように書いている。
単なる八つ当たり、憂さ晴らしではなく、真実を突いている。
「淫婦阿部お定」(15日条)について、さらりと書くだけのところもまたいい。
昭和16年(1941)
5月15日
五月十五日。くもりで風冷なること昨日の如し。
中央公論社この春頃より余が舊著の中より雑録小品文のたぐひを選み出して刊行せんことを請へり。
去冬五萬圓一件の義理もあればすげなくも断りかね一時承諾せしかど世間の風潮また讀書界の状況を見るに不愉快かぎりなき事のみなり。
余は世間より文士扱ひせらるゝほど堪難きことはなし。手紙にて雑録出板延期または中止したき趣を言ひ遣りぬ。
〔欄外朱筆〕陰莖切取りの淫婦阿部お定満期出獄
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5月16日
・五月十六日。晴。椎の古葉紛々として雨の如し。
・・・佐藤春夫某新聞紙上に余に関して甚迷惑なる論文を掲載せしと云。事理を解せざる田舎漢と酒狂人ほど厄介なるものはなし。
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5月18日
五月十八日 日曜日 くもりて小雨折々降り来る。梅雨の如き天候なり。
午後熱海のある旅館の主人來り旅館の女中も家の大小により人員を制限し解雇せられしものは製絲工場に送ることになると云ふ。
検査の役人は三島の役所より出張し來る。旅館にてはこの役人に百圓位の賄賂を贈り女中の人数をごまかすなりと云ふ。
熱海の警察署はその以前より収賄公行の有様なりと云ふ。
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5月19日
五月十九日。積雨始て晴る。哺下士州橋に至る。新大橋より舟にて永代橋に至り歩みで鐡炮洲を過ぐ。稻荷の集禮なり。獨銀座に飰す。
土州橋醫院事務員のはなしに病院にて試験に用る兎は其死屍を一手に買集むる者ありて、やがては露店の焼鳥となるとの事なれば用心せらるぺしと云。
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5月20日
五月二十日。晴。薫風颯爽。午後房陽子來訪。中央公論社にて拙著出板の事は同社遂に断念せし由。然るにこの度は春陽堂にて舊著日和下駄廿錢文庫を復刻したしと申來れり。
紙がないとか何とかいふ時勢にも係らず出版商人の私利に汲汲たるさま實に厭ふべきものあり。返書は出さず。そのまゝ捨て置きぬ。
夜芝ロの金兵衛に至り夕餉をなす。偶然川尻清潭子に逢ふ。
歌舞伎座來月の狂言髪結新三その筋にて許さず。源氏店は輿三郎改心するやうに改作せよと言はれし由。加賀鳶も改訂せざれは許さゞる由。目下ごたごたしてゐる最中なりと云ふ。
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5月23日
五月念三。雨。午後に霽る。去月來食慾頓に減じ終日唯睡眠を催すのみ。土州橋に至り診察を講ふ。外米の被害なるぺしとて電気治療をなす。
新政の害毒遂に余が健康をおびやかすに至れり。可恐々々。
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5月25日
五月念五 日曜日。雨やみてはまた降る。鄰家の卯の花既にさき初め丁字葛の花も亦馥郁たり。梅雨中にさく花今年は皆早く開きたり。時節のくるひも亂世のためなるぺし。
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5月26日
五月念六。正午雨の晴れ間を窺ひ銀座に至り晝飯を喫し、また食料品を購うてかへる。
市中に散在する鶏肉アスペルヂ等の鑵詰は亞米利加に輸出するため製せられしものなりと云。
昨來風邪咳嗽甚し。
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5月31日
五月卅一日。晴。表通の畳屋職人來り女中部屋畳替をなす。此日左の如き戯文を郵逢し來れるものあり。其一節をしるす。
慾簒怪といふ化物
この化物は時平公のような公卿の衣裳に大太刀をつるし魯西亞の橇に乗りて自由自在に空中を飛廻るなり。
但し西洋人の目には見えず日本人の目にのみ見える化物なり。
此化物は日本紀元二千六百年頃突然臼井峠の邊より現れ出で忽ちの中に日本中の米綿甘庶バタ牛肉等を食盡し追々人民の血を吸うに至れり。
其惨害大江山酒顚董子の比に非ずと雖當分退治せらるゝ見込なしと云ふ。
その吠る聲コーアコーアと聞ゆることもありセイセンと響くこともあり一定せず。
その中に亦何とか變るべしという。
以下畧之。
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「★永井荷風インデックス」 をご参照下さい。
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