夏目漱石「吾輩は猫である」再読私的ノート(6の4)
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この時、苦沙弥先生は突然、書斎から一枚の半紙を持ってきて、皆に読んで聞かせる。
「大和魂(やまとだましひ)! と叫んで日本人が肺病やみの様な咳をした」
「起し得て突兀(とつこつ)ですね」と寒月君がほめる。
「大和魂! と新聞屋が云ふ。大和魂! と掏摸(すり)が云ふ。
大和魂が一躍して海を渡つた。英国で大和魂の演説をする。独逸で大和魂の芝居をする」
「成程こりや天然居士以上の作だ」と今度は迷亭先生がそり返って見せる。
「東郷大将が大和魂を有(も)つて居る。肴屋(さかなや)の銀さんも大和魂を有って居る。詐偽師、山師、人殺しも大和魂を持つて居る」
「先生そこへ寒月も有つて居るとつけて下さい」
「大和魂はどんなものかと聞いたら、大和魂さと答へて行き過ぎた。五六間行つてからエへンと云ふ声が聞こえ」
「その一句は大出来だ。君は中々文才があるね。それから次の句は」
「三角なものが大和魂か、四角なものが大和魂か。
大和魂は名前の示す如く魂である。魂であるから常にふらふらして居る」
「先生大分面白う御座いますが、ちと大和魂が多過ぎはしませんか」と東風君が注意する。
「賛成」と云つたのは無論迷亭である。
「誰も口にせぬ者はないが、誰も見たものはない。
誰も聞いた事はあるが、誰も遇つた者がない。
大和魂はそれ天狗の類(たぐひ)か」
主人は一結杳然(いつけつえうぜん)と云ふ積りで読み終つたが、流石(さすが)の名文もあまり短か過ぎるのと、主意がどこにあるのか分りかねるので、三人はまだあとがある事と思って待って居る。
・・・
とこんな様子の空振りに終わった。
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この(六)は、日本がロシアに「勝って」、講和条約が結ばれた頃(明治38年9月)の執筆、発表になるもの。
鼓吹されている「大和魂」とはどういうものか、漱石は苦沙弥先生に託して揶揄する。
東郷大将以下誰でもそれを持っていて、誰でもそれを口にするが、誰もそれを説明できない。
「天狗」のような架空の存在だ、と喝破する。
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その(七)に続く
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