永井荷風「断腸亭日乗」を少しづづご紹介してます。
今回は、昭和16年6月11日~14日。
今回は、金融機関のやり方に怒ってます。
昭和16年(1941)6月11日
六月十一日。晴。晡下浅草公園米作に夕飯を喫してオペラ館楽屋に至る。
藝人某徴兵に取られ戦地に行くとて自ら國旗を購来り、武運長久の四字をかけといふ。この語も今は送別の代用語になりしと思へば深く思考するにも及ばざれば直に書きてやりぬ。義勇奉公などいふ語も今は意義なきものとはなれり。
凡て人間の美徳善行を意味する言語文字は其本質を失ひて一種の代用語とはなり終れり。恰も人絹スフの織物の如し。
深更俄に腹痛を催し苦しむこと甚し。
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6月13日
六月十三日。正午土州橋の醫院に至り診察を請ふ。風邪未痊ず急性肺炎を起さぬやう當分静臥養生すべしとなり。
〔欄外朱書〕去年此日巴里独人ノ侵略ニ遇フ
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6月14日
六月十四日。現在居住する市兵衛町一丁目六番地の地所は、借用せし當時は廣部銀行のものにて地代一坪七錢五厘なりしが、昭和十一年六月に至り近鄰一帯日比谷の勸業銀行の地所となり、同銀行より無理やりに現住者に對し年賦賣渡しの事を勸誘し來れり。
當時の事は其時の日記にかきつけ置きぬ已むことを得ず余は年賦買入の契約をなし十五ヶ年間にて毎年四百弐拾圓を支拂ふ事になしゐたり。
然るに勸業銀行にては契約後に至り同銀行に相應の預金をなすぺし、また抵當の家屋に對する火災保険はこれ亦同銀行特約の保険會社になされたしなどゝ貪慾無禮なる事のみ申來れり。
勸銀の営業振りは全く高利貸に異らざるものなり。
余は遂に勘忍袋の緒を切り今月限り年賦償還の契約を破棄するこゝ(ママ)なせり。電話にてこの事の取扱方を辯護士平井豊太郎に依頼す。
此日晝の中雨ふらず夕方より糠雨となる。
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この件については、6月17日に平井弁護士が来て落着したと告げている。
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「★永井荷風インデックス」をご参照下さい。
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