2011年6月25日土曜日

昭和16年(1941)6月20日 「米国よ、速かに起つてこの狂暴なる民族に改俊の機会を與へしめよ。」(永井荷風「断腸亭日乗」) 

永井荷風の日記「断腸亭日乗」の昭和16年6月を順次ご紹介してます。
前回、6月15日、これからは今までのように怯えることなく時局批判、軍人政府批判を続けるとの決意のほどを固めた「闘う荷風」。

6月20日の日記は、これまた強烈である。

6月18日条の「町の噂」、なんとも言えない、「・・・・・」である。

昭和16年(1941)6月18日
六月十八日。曇りて風冷なり。
町の辻々に王(ママ)兆銘の名記したる立札を出し、電車の屋根にも旗を出したり。王氏の日本政府より支給せらるゝ俸給一年五億圓なりと云。

町の噂
芝口邊米屋の男三四年前召集せられ戦地にありし時、漢口にて数人の兵士と共に或醫師の家に亂人したり。この家には美しき娘二人あり。醫師夫婦は壺に入れたる金銀貨を日本兵に與ヘ、娘二人を助けくれと歎願せしが、兵卒は無慈悲にもその親の面前にて娘二人を裸体となし思ふ存分に輪姦せし後親子を縛つて井戸に投込みたり。

此の如き暴行をなせし兵卒の一人やがて歸還し留守中母と嫁とを預け置きし埼玉縣の某市に到りて見しに、二人の様子出征前とは異り何となく怪しきところあり。
いろいろ様子をさぐりしが其譯分明ならず、三月半年程過ぎし或日の事、嫁の外出中を幸其母突然歸還兵士に向ひ、初めは遠廻しに嫁の不幸なることを語り出し、遂に留守中一夜強盗のために母も嫁もともども縛られて強姦せられしことを語り災難と思ひ二人の言甲斐なかりしこと許せよと泣き悲しむところヘ、嫁歸り來りてこれも涙ながらに其罪を詑びたり。

かの兵士は漢口にて支那の良民を浚辱せし後井戸に投込みし其場の事を回想せしにや、程なく精神に異状を來し、戦地にてなせし事ども衆人の前にても憚るところなく語りつゞくるやうになりしかば、一時憲兵屯所に引き行かれ、やがて市川の陸軍精神病院に送らるゝに至りしと云。

市川の病院には目下三四万人の狂人収容せられ居る由。
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6月19日
・六月十九日。細雨糠の如し。終日歇まず。

銀座通鰻屋小松の門口に今日うなぎありと云ふ札を下げたり。尾張町木村屋の前には麺麭を買はむとするもの正午頃二三町ほど行列をなしたり。毎日かくの如くなりと云。
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6月20日
六月二十日。雨晝近き頃漸く歇む。去年銀座の岡崎よりたのまれし色紙に句を書して返送す。

伊太利亜の友と稱する文士の一團より機関雑誌押賣の手紙来る。時局に便乗して私利を営むなり。
本郷の大學新聞社速達郵便にて突然寄稿を請求し來る。現代學生の無智傲慢驚くの外なし。余の若かゝりし頃のことを思返すに、文壇の先輩殊に六十を越えたる耆宿(きしゆく)の許に速達郵便を以て突然執筆を促す如き没分暁(ぼつぶんげう)漢は一人とてもあらざりしなり。
現代人の心理は到底窺知るべからず。


余は斯くの如き傲慢無礼なる民族が武力を以て鄰国に寇することを痛歎して措かざるなり。
米国よ、速かに起つてこの狂暴なる民族に改俊の機会を與へしめよ

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6月21日
六月念一。晴後に陰。午後淺草に行く。

下谷邊のある菓子屋にて其主人店の者に給金の外に慰労金を與へしこと露見し、総動員法違犯の廉にて千圓の罰金を取られし由。使用人に賞金を與へて罰せらるゝとは不可思議の世の中なり

[欄外朱書]獨魯交戦
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6月22日
六月念二。日曜日。くもりて蒸暑し。寒暑計忽華氏八十度に昇る。

黄昏芝口の金兵衛に至り夕飯を食す。煮肴あいなめを食す。魚介拂底の時なれば珍味となすべし。歌川君來合せたれば食後共に銀座を歩む。號外賣獨魯開戦を報ず。偶然菅原夫婦安東氏等に逢ひ八丁目千疋屋に入るに、九時閉店と云ふに已むを得ず席を立ち、尾張町のブラヂルに入り笑語す。こゝは十一時まで客を迎ふ。
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6月23日
・六月念三。陰。椎の古葉今猶散りで歇まず。紫陽花の盛は過ぎて石榴花さきはじむ。薄暮土州橋より淺草に行く。廣小路の牛肉屋松喜の店先に牛肉品切につき鳥肉を代りにする由書出したり。
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6月24日
六月念四。陰。税務署の通知書に余が前年の乙種所得金六千圓とあり。是即原稿料の事なれば正午愛宕下の税務署に至る。・・・
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6月25日
六月念五。晴。たまたま日本橋を過りたれば三越百貨店に入り洋書を見るに佛蘭西書籍は數るばかりとなれり。・・・
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6月27日
六月念七。空あかるくして雨歇まず。午後淺草に至りオペラ館踊子と森永に晝飯を食して共に観音堂に賽す。公孫樹の若葉欝然として雨中の眺大に任し。

獨魯開戦以來怪し氣なる政治家の演舌廣告街頭公園到る處に掲示せらる。
昨夜六區興行町に不穏なるビラをまき散らせしものありと云ふ。
黄昏雨の晴れ間家に歸る。

噂のきゝかき
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6月29日
六月念九 日曜日。雨やみてむしあつし。

暮方芝口の牛店今朝に夕飯を喫す。牛肉は十日程前より品切にて雞肉を代りとなす。客は雞肉を好まず牛肉なしと云へは皆立去る由。この日も客は余一人のみなり。雞肉を好まず豚肉を好むは現代人の特徴なるが如し。・・・
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「★永井荷風インデックス」 をご参照下さい。
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