永井荷風「断腸亭日乗」をすこしづづご紹介してます。
今回は、昭和16年6月1日~10日。
荷風の季節感覚と、喰い物の怨みというか、当時の食糧事情の一端がわかります。
昭和16年(1941)6月1日
六月初一 日曜日 舊五月七日 西洋紫陽花コバルト色に染(そま)り出しぬ。この花もと日本の紫陽花を佛蘭西の土に移植ゑしなりと云ふ。花の色その葉の色ともに淡くやはらかなり。三年前或人鉢植の一株を贈りくれしなり。庭におろして既に年を経たれば花の色も今年あたりは日本在来のものに化し終るならむと思ひしに、始めて見し時のうつくしさを保ちたり。
わが思想とわが藝術も願くばこの佛蘭西あぢさゐの如くなれかし。
午後雨ふりしが夜は空晴れて月出でたり。
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6月3日
・六月初三。晴れて蒸暑し。夜芝ロの金兵衛に夕飯を喫す。
飲食店夜十一時かぎり燈を消さゞるところにはこの頃巡査入り來りて客を拘引する由。女連の客と見れば愈きびしく尋問する由。
平素羨怨措く能はざる悪感情をかゝる時規則を楯に取りて腹いせするものなるぺし。
役人根性ほど浅間しきものはなし。
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6月4日
六月初四。早朝庭に出で椎の落葉を焚く。
雀人に馴れて毎朝勝手口につどひ來りて洗ひながしの米を啄む。雀も今は閉口して南京米をいとはざるやうになりしにや。憐むべきなり。
午睡中大聲に人を呼ぶ女の聲をきゝ驚き起つて見るに銀座裏岡崎といふ居酒屋のかみさんなり。今年より盆廻りを一卜月繰上げたるなりと言へり。・・・
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6月6日
六月初六。昨夜深更より風雨。東南より襲來る。薄暮空晴れ半月あきらかなり。
初更金兵衛に至り夕飯を喫す。葛粉一袋越後小春町産金参圓なり。金兵衛のかみさん余がために新潟よりつてをたよりて購ひ求めしなりと云ふ。
新政以後東京市内にて葛を賣るところ一軒もなし。
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6月7日
六月七日。晴。晡下散歩。池之端揚出しにて夕飯を食す。
豆腐料理品切なり。この店にても既にかくの如し。市中に豆腐なきこと推して知るべし。
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6月8日
六月八日 日曜日 晴。晡下銀座を過るにこの日は牛肉屋休なれば天ぷら屋天國其他蕎麥屋の店口に散歩の家族男女事務員らしきもの列をなして押合へるを見る。全く餓鬼道の光景なり。
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6月9日
・六月九日。晴。晡下土州橋。浅草に飰す。寺嶋町を歩みでかへる。
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6月10日
六月十日。晴。午後房陽漁史来訪。閑話半日。黄昏共に出でゝ芝口の牛肉店今朝に飰す。
牛肉雞肉いづれも品不足のため毎月四回休業。猶午後は毎日閉店する由女中の談なり。
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「★永井荷風インデックス」をご参照下さい。
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