2016年3月29日火曜日

應永18(1411)年 ブルゴーニュ派とアルマニャック派の内乱再発 ブルゴーニュ派ジャン無怖公、英(ヘンリ4世)支援によりパリ帰還 アルマニャック派をパリより追放

新宿御苑 2016-03-25
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應永18(1411)年
・現金決済に割符(手形)を利用。若狭太良荘代官朝賢の東寺への注進状。
東寺に送った割符は、割符主が上洛し、割符ごとに指定された日限をもって支払いが履行されると記す。
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・ボヘミア王・神聖ローマ皇帝ヴェンツェル(ルクセンブルク家出身)、没。
実弟・ハンガリー王ジギスムント、ボヘミア王即位。
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・フィレンツェ、コルトーナを征服、併合。
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・ヴェネツィア、ダルマツィア征服戦争開始。
ナポリ王ラースロよりダルマツィアを買収、これを理由に戦争開始。
皇帝ジギスムント、自分の皇帝戴冠を気にして、ヴェネツィアと和約、ダルマツィアを譲渡。
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1月18日
・ドイツ、対立国王メーレン辺境伯ヨープスト、没。
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1月27日
・ヴェネツィア、奴隷及び召使いは夜間館で騒いではならぬ
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2月1日
・第1次トルンの和約。
ドイツ騎士修道会、ポーランド・リトアニアと和平。リトアニアへシャマイテン国境地域を割譲。ドイツ騎士修道会側の捕虜買戻しの負担大。
ドイツの民族主義は、ゲルマンのスラブに対する敗北(トライチュケ)と捉え、20世紀の報復に繋がる。
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3月
・ヨハンネス23世、再びフスを破門
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3月4日
・ヴェネツィア、十人委員会のメンバーは異端審問官の義務を拒むことはできぬ
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5月6日
・夜、大地震。
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7月
・姉小路尹綱、飛騨で反乱。京極高数、これを攻撃。
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7月11日
・仏、シャルル・ドルレアン(オルレアン侯の遺児)、ジャルゴーで父ルイ・ドルレアン暗殺の公正な裁きを求める特認状発し、ブルゴーニュ公ジャン無畏公を告発。
国王シャルル6世、大学・パリ市民に訴えを放つ。
18日、シャルル・ドルレアン、請願結果を待たずにジャン無畏公宛て挑戦状を送付。

ブルゴーニュ派とアルマニャック派の内乱再発。
ブルゴーニュ派;
①ブルゴーニュ公ジャン無怖公、息子シャロレ伯フィリップ(フィリップ・ル・ボン、善良公)、弟ブラバン候アントワーヌ、
②エノー伯ギョーム・ド・バヴィエール(ジャン無怖公の妻の兄弟)、サヴォア伯アメデー8世(ジャン無怖公 の妹 マリー の夫、
③ナヴァール王シャルル威厳王、④王妃イザボー)

アルマニャック派;
①オルレアン公シャルル・ドルレアン、弟ヴェルチュ伯フィリップ、弟アングレーム伯ジャン、
②アルマニャック伯ベルナール7世(シャルル・ドルレアンの妻の父、ベリー公ジャン(シャルル・ドルレアンの妻の祖父)、
③ブルボン公 ルイ2世

ジャン無畏公、英ヘンリー4世と初協定。
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7月21日
・ドイツ、ジギスムント(43)、再度皇帝に選出。
異母兄ヴェンツェルと和解(ハンガリー王1387(19)~1437、皇帝1411(43)~1437、ベーメン王1419(51)~1437)。
(ジギスムントの部下;①宰相カスパー・シュリック、②コンラート・フォン・ヴァインスベルク、③総司令官フィリードリヒ(ホーエンツォレルン家、ニュルンベルク城伯、1415年ブランデンブルク辺境伯領を授与、④ヴェッティンのフィリードリヒ(マイセン辺境伯))
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8月10日
・仏、ジャン無怖公、トゥエでシャルル・ドルレアンの挑戦状を受領。
14日、侮辱的な言辞で受けて立つ旨回答。
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8月12日
・ヴェネツィア、バイアゼットの子ムーザ・ベイとの条約
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8月15日
・将軍義持、若宮八幡宮に参詣し、幕政の安定を祈願。
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9月9日
・幕府、明使の上洛を許可せず、帰国させる。
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9月9日
・教皇ヨハネス23世(後に廃位)による贖罪状販売開始。
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9月29日
・ヴェネツィア、元老院は少なくとも70人のメンバーが出席しなければ、成立しない
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10月23日
・イングランド・ブルゴーニュ連合軍、パリ制圧。
28日、ジャン無畏公、パリ市民の願いに応じ大挙してパリに帰京。パリ奉行に腹心ピエール・デ・ゼサールを据え、屠殺人夫達に暴動をけしかけ、アルマニャック派市民、ベリー公の館を襲撃させる。武力闘争は、パリ近郊サン・クルー、サンドニ~エタンプなど各地で発生。
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10月31日
・カスティリャとポルトガル、講和条約を締結
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11月2日
・仏、シャルル6世、アルマニャック派をパリより追放の宣旨(パリではブルゴーニュ派が優越しているが、フランスの半分以上の諸侯はジャン無畏公に敵対)。
パリでアルマニャック派に勝利したブルゴーニュ派が、有利な地位を仲間内に与える。
22日(?)、ブルゴーニュ公ジャン無畏公、英(ヘンリ4世)支援によりパリ帰還。
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11月25日
・後小松天皇第一皇子躬仁親王、親王宣下。
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12月
・仏、アルマニャック派、サン・クルーとサン・ドニを占領。前進は止まる。サン・ドニでアルマニャック伯ベルナール7世、婿シャルル・ドルレアンを国王に戴冠させると約束。
ジャン無畏公、サン・クルーを奪回(サン・クルー攻撃戦にイングランド兵1200参加)。
ブルゴーニュ派優勢の内に冬場の休戦となる。
ブルゴーニュ公ジャン無畏公、イギリス人1200をパリに入れ、アルマニャック派はイギリス王家ランカスター家ヘンリ4世に同盟を求める。
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12月2日
・チェコ、第2回勅令で「軍資金の調達」が命令される。
ナポリ王ラディスラウス(教皇の地位を左右する人物)の野心を牽制するため派遣しようとした政治的な「十字軍」のための「軍資金の調達」。
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12月22日
・鎌倉公方足利持氏、元服。
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