昭和の映画人がそれぞれに切り取った「戦争の残像」を読む その執念は鳥肌の立つような凄み (中島丈博 現代ビジネス)https://t.co/TVJLNiTFme #現代ビジネス— 黙翁 (@TsukadaSatoshi) 2016年12月18日
駆逐艦の艦長だった笠智衆と、かつての部下の加東大介が、戦後、軍歌が流れるバーで交わす「負けてよかったんだよ」「そうかもしれないな。馬鹿な奴らがいばらなくなっただけでも」というやり取りは、後世に残すべき、#戦争映画ベストテン 台詞にはランクインする。 pic.twitter.com/FYRtjjio4b— DJ 嶋田のぶんぶん (@shimada_shota) 2016年12月5日
ブログ内田樹の研究室『国旗国歌について』
(略)
小津安二郎の『秋刀魚の味』の中に、戦時中駆逐艦の艦長だった初老のサラリーマン(笠智衆)が、街で昔の乗組員だった修理工(加東大介)に出会って、トリスバーで一献傾ける場面がある。元水兵はバーの女の子に「軍艦マーチ」をリクエストして、雄壮なマーチをBGMに昔を懐かしむ。そして「あの戦争に勝っていたら、いまごろ艦長も私もニューヨークですよ」という酔客のSF的想像を語る。すると元艦長はにこやかに微笑みながら「いやあ、あれは負けてよかったよ」とつぶやく。それを聞いてきょとんとした元水兵はこう言う。「そうですかね。そういやそうですね。くだらない奴がえばらなくなっただけでも負けてよかったか。」
私はこの映画をはじめてみたとき、この言葉に衝撃を覚えた。戦争はときに不可避である。戦わなければ座して死ぬだけというときもあるだろう。それは、こどもにも分かる。けれども、その不可避の戦いの時運に乗じて、愛国の旗印を振り回し、国難の急なるを口実に、他人をどなりつけ、脅し、いたぶった人間がいたということ、それも非常にたくさんいたということ、その害悪は「敗戦」の悲惨よりもさらに大きいものだったという一人の戦中派のつぶやきは少年の私には意外だった。
その後、半世紀生きてきて、私はこの言葉の正しさを骨身にしみて知った。
(略)
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