2017年5月3日水曜日

堀田善衛『ゴヤ』(116)「版画集『戦争の惨禍』」(4)「戦争には果たして、本当に勝利というものはあるものなのだろうか。死者にとって、勝利とは何か、敗北とは何であろうか。生き残った者にとっても、とりわけて女性や子供にとって勝利とは何であろうか。ナポレオンは「戦争をして戦争を営ましめる」と言ったが、戦争には、本当は戦争だけしかありはしないのだというのが、歴史のもう一つ奥の真実なのではなかったか。」

ここまでの、第一 - 第六群までが「ボナパルトと戦った血みどろの戦争の宿命的結果」であり、もっとも多い枚数の六五番から八二番まで、あるいは鎖につながれた囚人図三枚を入れての八五番までがゴヤの言う「強烈な気まぐれ(Caprichos enfaticos)」であって、以前に版画集『気まぐれ』を扱ったときと同じく、この「気まぐれ(Caprichos)」ということばを、”自由”の代替語として解するならば、この「強烈な気まぐれ」は、いわば「強烈」に行使されたる”自由”、あるいは、自由の強烈さ、一社会において自由が自由に行使されたときの強烈な結果として見ることが出来る筈である。

・・・、その自由は、いずれも戦争が終り、フェルナンド七世がマドリードに戻って来てからの、いわば戦争の結果の、そのまた結果とも言うべき、戦後の様相にかかわるものである。

・・・、百姓たちや下層市民たちのゲリラ戦による、戦史にも未曾有の勝利の結果としてのフェルナンド七世復帰以後のスペインのあり様は、実に、いったい何のために人々は血を流して戦ったのであったろうと疑わざるをえないほどの事態となって行くのである。
愛国者たちがカディスまでも逃げまどいながらも苦心して創り出したカディス憲法も踏みにじられ、ゲリラのリーダーたちは一斉に検挙され迫害され、惨めになぶり殺されるものまでが出て来、以前にもましての貴族と聖職者たちによる、有無を言わさぬ絶対支配が立ち戻り、異端審問所までが復活して来るのである。

かくてはゴヤの頭蓋に、ふたたびあの不吉な蝙蝠や、猫のような顔をした鳥、物知り面をした驢馬、ハゲ鷹などが奇声を発して羽ばたきはじめるのである。

七九、八〇、八二番は、「真理は死んだ」「復活するかしら?」「これが本当なのだ」と詞書されて、その「戦争の宿命的な結果」が如何なるものであったかが、もはや取りかえしのつかない絶望感をもって刻み込まれているのである。

真理が死んだのならば、偽りが勝利をえたのである。この真理(la verdad)を、ふたたび自由と解するならば、自由が死んで、圧制がふたたび来たということの表明となるであろう。「これが本当なのだ(Esto es verdadero.)」とは、本当はこうあるべき筈だったのだ、と解しても過当に誤りではあるまい。

・・・、「血まみれの戦争の宿命的結果」としての、本当の「戦争の惨禍」は、惨憺たるこの戦争の”勝利”の、その後に来るのである・・・。

・・・、この版画集『戦争の惨禍』には、勝利、というものだけはまったく如何なる影もかたちも見せない・・・。

いやしかし、よくよく考えてみれば、戦争には果たして、本当に勝利というものはあるものなのだろうか。死者にとって、勝利とは何か、敗北とは何であろうか。生き残った者にとっても、とりわけて女性や子供にとって勝利とは何であろうか。ナポレオンは「戦争をして戦争を営ましめる」と言ったが、戦争には、本当は戦争だけしかありはしないのだというのが、歴史のもう一つ奥の真実なのではなかったか。・・・

ゴヤは、一八一四年に終るこの「戦争の宿命的結果」を、戦後も長きにわたってこつこつと銅版に刻みつづける、発表の望みも、たとえなくとも。…‥

この版画集『戦争の惨禍』と、一七九九年に公刊された『気まぐれ』とを比べてみて、すぐに気付かれることは、後者に見られる、ゴヤの側での芝居ッ気というものが前者に極少なことである。・・・

・・・違いのもう一つは、行動するグループのすべてが背景の風景、あるいは環境と密接に噛みあわされていることである。・・・
さらには、『気まぐれ』の場合のようには、幻想上の、あるいは妄想上の動物や鳥類、化物などはほとんど登場せず、その必要もない。眼前の現実自体の方が、いかなる妄想よりも、より妄想的であったからである。・・・

『戦争の惨禍』78「奴はうまく身を守る」1808-14

カロはいかにも典型的な一七世紀人であったが、ゴヤはすでにわれわれの同時代人である。しかもこの同時代である”現代”がまさに開始されたその瞬間において、すでにわれわれは、人間が何をやらかすことが出来るものであるかについて、きびしい警告をうけていたのであった。

『戦争の惨禍』の最終部分、第七群中の、七八番は、後肢を蹴上げた、まるで犬のような裸馬(相変らず馬を描くことはまるでだめだが)を中心に、九匹の飼い犬やら野良犬や狼がはねまわっている図で、これには「奴はうまく身を守る」と詞書されていて、これはむしろ、奴らの方が、と解されるものであろうが、喧嘩はしても戦争というものをすることのない動物の世界との対比さえがなされていたのであった。

私はこの版画集、『戦争の惨禍』をつくづくと打ち眺めていて、つねに一つの、言葉にはあまりしたくない想念を持ちつづけていだものであった。

それをここにあえて言葉にしてみるとすれば、次のようなことにもなるであろうか。

すなわち、フランス革命後に、ナポレオンによって創設された近代国家と、それに付随する暴力装置としての近代的国民軍というもの、及びこのナポレオンの国家と国民軍に対抗して創設されたヨーロッパの他の近代的国家とその国民軍の、この両者によって開始された帝国主義時代。
そのナポレオンがスペインの百姓と下層人民によるゲリラと、ロシアのクトゥゾフ将軍麾下の軍隊と凍原の百姓たちのパルチザンによって叩き潰されたことの象徴性が、その後の、数々の一九世紀、二〇世紀を通じての「戦争によって戦争を営ましめる」式の戦争を経て、最終的には、ベトナム人民の三〇年にわたるゲリラ戦争によって受けつがれ、そこでわれわれの国家単位の”現代”が終ることになってもらいたいものであるという、いわば現代終焉願望が、この『戦争の惨禍』をくりかえし眺めていると私は自分のなかに澎湃として湧き起って来てそれを押しとどめることが出来ないのである。おそらく、この秘められたる願望が私をしてこの『ゴヤ』を書かしめている情熱の根源をなすものなのであろうと思う。

侵略者は、兵隊の群れを相手にするのとは勝手が違い、武装農民をどこまでも追い廻し、追い詰め得るものではないということを思い知らねばならない。兵隊なら、あたかも一群の家畜のように連れ立って逃げるだろうが、しかし武装農民は、追いかけられれば散りぢりに姿を潜めるが、しかしそのために前もって手筈をきめておく必要がないのである。
防御者の正規軍がとうにいなくなっても、攻撃者の縦隊の先頭によってずっと前に追払われた筈の農民が、今度は縦隊の後尾に現われるというふうである。道路の破壊や陸路の遮断について言えば、攻撃軍の前衛部隊や別働隊の用いる手段と農民達が集めてきた手段の差は、自動人形のぎごちない運動と、生きた人間の自由な運動の差のようなものである。
国民戦に関する我々の見解を述べると、国民戦はあたかも雲か霧のような存在であるから、ことさらに凝縮して個体となる必要はないのである。この霧がある地点では凝集して濃密な塊りとなり、恐ろし気な雷雲を形成することも必要である。そうすればこの雲の中からいつかはすさまじい電光が閃き出ることもあるだろう。
スペイン国民は、なるほど個々の軍事行動において幾多の弱点と手ぬかりを免れ得なかったにせよ、しかしその執拗な闘争において国民総武装と侵略者に対する叛乱という手段とを用いれば、全体として絶大な能力を発揮し得ることを実証した。

以上の引用は、クラヴゼヴィッツの『戦争論』から抄したものであるが、このスペイン戦争とナポレオンのモスクワ敗走のほとんど直後に、この戦争学者によってかかるものとして評価されたスペイン・ゲリラの、勝利後の運命は実に苛酷なものであった。

『戦争の惨禍』79「真理は死んだ」1808-14

『戦争の惨禍』80「復活するかしら?」1808-14

七九番で「真理」を表象する女性は、高位聖職者の祝祷をうけて死ぬのであるが、彼女の「復活」を待ち祈る人々のなかには偽善的な聖職者の姿はすでになく、「これが本当なのだ」とする八二番では、「真理」の女神は、ただの百姓女か町場のお上さんにすぎず、神化や聖化が一切行われていない。彼女に付き添っている男も敝衣にヒゲだらけで鍬をもった百姓男であることに留意をしておきたい。

そこに人民自体の発意になるゲリラ戦争の結果として、社会革命があるべきであったのに、それが復帰したフェルナンド七世によって残酷なまでに弾圧されたことと、だから「これが本当なのだ」は、「こうあってこそ本当なのだ」と解されるべきものであるかどうかは、読者諸氏の読解におまかせしたい。
一八二〇年のセアン・ベルムーデス版には、このあとに八三-八五番として三枚の鉄鎖につながれた囚人図がついていたことも付記しておきたい。

ゴヤは、一八〇八年秋のサラゴーサ・フエンデトードス旅行を除いては、戦争中はほとんどマドリードにいたものと解される。が、近頃発見された文書によって、彼がより「自由な国」を求めてマドリード北方へ彷徨して行って警察に追いかえされたことが判明した。これも後述することにしたい。


0 件のコメント: