共謀罪:大日本帝国を呼び戻す共謀罪は治安維持法の再来だ!=保阪正康 - (サンデー毎日6月11日号から) https://t.co/BxcJi4YMmh— 黙翁 (@TsukadaSatoshi) 2017年6月1日
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・・・今回の共謀罪の委員会でのやりとり、国会審議の軽視、疑問がなんら解消しないままの法案成立を見ていて、今この国が向かっているのは、明らかに自省なき大日本帝国への回帰なんだ、と断定してかまわない。安倍首相は一言も口にしないが、自らの在任中に大日本帝国を再構築しようと企図していると考える以外にない。
共謀罪の審議でもっとも重要な点は、・・・単純にこの法律によって私たちの健全な社会生活は著しく阻害されるということだ。共謀罪をテロ等準備罪と言い換えたところで、その内容は変わるわけではなく、社会が病理を抱えこむ時代になったという意味である。
「一般の人」論争などはその典型で、安倍首相はある集団が犯罪集団となったら、そこに関わっている人は「一般人であるわけがない」と屈託なく答えた。この無邪気な首相は実は恐るべきファシストなのである。ある集団が犯罪集団であるか否かは警察や検察が決めるというのであれば、一般人はどのような集団ともかかわらないでひたすら他者と関係を持たずに社会生活を営む以外になくなる。
「妄想」という弾圧する側の病理にとりつかれた
さて、こうしたことを前提に以下の論を進めることにしていきたい。
この法律が案として閣議決定(三月二十一日)する直前に、私は『毎日新聞』の取材に応じて「反対」の立場から次のように述べた(三月十九日付朝刊に「社会に病理を生む恐れ」との見出しがついている)。
「法は自己目的化することがある。戦前の治安維持法も、作られた当初は、天皇や私有財産を否定する団体を取り締まることが目的だった。しかし、徐々に取り締まりの対象が自由主義者、宗教、さらに国家主義者へと変わっていった。起訴率を高めるために取り調べに拷問も使われた。一般の人たちには関係のない法律だったはずが、考えられないほど増幅し、歯止めが利かなくなっていった。治安立法の怖さとはそういうものなのだ。(以下略)」
私はこの法律が国会に上程されるときからこのように考えていたが、結果的にこういう不安がむしろ当たり前になってしまった。
昭和史(とくにその前期)のファシズム体制を検証していて、治安維持法に基く捜査がどれほど社会生活を萎縮させるかはこれまで一貫して語られてきた。結局、この治安立法は、特高警察による自白を引き出すための拷問や、ごく一般人の社会生活も予防拘禁といった形で制限されたり、さらには特別要視察人として自らがたまたま入会していた文化サークルの中に一人の非社会的犯罪を夢想する者がいてその人物が逮捕されるなどすることで、一般人も一生監視されることにもなりかねない怖さを持ってきた。
そんな昭和の光景がこれからは日々繰り返される法的根拠ができあがっていく。それが「社会が病む」という状態であった。
昭和前期に特高警察に身を置いた刑事、治安維持法容疑で逮捕された宗教人、自由主義者、そしてごくふつうの市民(当時は臣民といったわけだが)など数十人に私は証言を求めてきた。それは結果的に社会が病むとはどういうことか、を知ることになったのだ。
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戦後の保守党の代議士の出身母体を見ていくとわかるが、内務省警保局出身の政治家は大体が右派グループに属し、常に治安維持を至上命令とし、そのための法律づくりに走り回っている。その言は、現実を見ているのではなく、国民がいつ共産主義者になるかわからない、反政府的分子になるかわからないとの妄想にも似た言を弄していたことが今は容易にわかる。
弾圧する側の病理にとりつかれてしまっているのだ。私は昭和のある事件の被害者がいかに特高警察に弾圧されたか、犯罪の意思などないのに拷問を何度も受け精神異常になった人たちの関係者の証言を聞いたのだが、そのことを当時の特高関係の責任者(戦後は自民党右派の議員)は一片の同情すら持っていないのに驚いた。
平気で拷問できるのが「有能な刑事」
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これは原子物理学者の武谷三男から聞いた話だが、戦争末期にやはり治安維持法違反で逮捕されたというのだが、初めは拷問まがいの取り調べを受けたという。ところが敗戦が近くなると、刑事たちは「先生」と言いだし、それで署内で原子爆弾の説明を求められて、署員を前に講演したという。同志社大学の教授だった和田洋一(私の恩師なのだが)は、京都で新村出、中井正一、久野収らと同人誌「土曜日」を戦時下に細々と刊行した。和田は共産主義には批判的なクリスチャンだったが、特高刑事により治安維持法違反で逮捕されている。昭和十八年である。
その刑事は、「おまえは一日二十四時間のうち一分一秒でもいいから、共産主義はいいと思っただろう」と問われている。自分はこの思想には反対だというと、「そんなことはいい。一分一秒でもいいから思ったことあるだろう」とあまりにも執拗(しつよう)なので、「一秒ぐらいならあるかもしれない」と答えると、「それだよ。おまえは治安維持法違反なんだ」と言われた。この顛末(てんまつ)を和田は戦後になって『灰色のユーモア』という書の中で明かしている。
治安維持法の容疑者として逮捕され、その後釈放された者たちが一様に語っているが、戦争末期になると特高刑事たちは、そういう容疑者宅を回って、「俺はあんたを拷問していないよな。そのことを一筆書いてくれんか」と頼んで歩いたとのエピソードもある。
「あんた、俺を殴ったではないか」「いやあ一発二発ぐらいは大目に見ろよ」といった会話が交わされたというのである。
ファシズムは「行政独裁」と同義語
こうした話を幾つも集めていくと、治安維持法が暴走していくプロセスが、人間社会の思惑と計算をこめてのことであり、ひとたび弾圧機構が自己回転していくととんでもない形になることがわかる。
治安維持法は敗戦という事態でその醜悪な部分を露呈したのだが、共謀罪がもしこのような形で暴走するならば、歯止めはどのような形で収まるのだろうか。最低限度、共謀罪は取り調べの可視化が前提になるというのは当然のことであろう。
すでに多くの論者が指摘しているように、治安維持法は当初は共産主義系団体やその構成員を対象にしていた。しかし、昭和八年の鍋山貞親や佐野学ら指導部の転向声明を機に、実質的に共産主義者は存在しえない状態になった。そこで特高警察は機構を縮小していったか。
そんなことはない。むしろその体制を拡大して自由主義者、宗教家、文化人、労働者などのつくっている団体とそこに関係する「一般人」をターゲットにしていく。それを根絶やし状態にすると次は国家主義、民族主義陣営(いわゆる右翼)にとシフトしていく。
太平洋戦争下では、戦時立法とからませながら軍事に抗する人たちをも個の中に入れていく。その自己増殖の激しさは、驚くほどのスピードで進んでいくのだ。
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軍事独裁といい、ファシズムという。しかしこれは何も特別の事態を意味するのではない。東條の例を見てもわかるとおり、行政独裁と同義語なのである。行政、立法、司法の三権は分立しているのではなく、行政の下に立法も司法も隷属していることを指している。
かつて安倍首相は「私は立法府の長である」と言って、あわてて取り消したというが、その心情は行政独裁国家にしますとの意思表示だったと考えれば、決して不思議ではない。しかも今回の共謀罪は統治主義から人治主義に変わる意味もある。この内閣の議会での答弁の、人を喰ったような内容は、行政独裁ならぬ「安倍独裁」との意味さえある。
テロ準備罪と名を変え、国連からの忠告も無視する動きを見ていくと、私たちの二十一世紀は暗澹(あんたん)とした気持ちになってくる。私たちは今、「昭和の怪物」よりはるかに凶々(まがまが)しい「平成の怪物」の下に身を置いているのかもしれない。
(この項、了)
(ノンフィクション作家・評論家 保阪正康)
(サンデー毎日6月11日号から)
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