2012年5月7日月曜日

承平4年(934) 政府(摂政藤原忠平)、海賊対策を練る

北鎌倉 円覚寺門前 2012-04-28
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承平4年(934)
4月23日
・朝廷、諸社に奉幣して「海賊」を祓う(『扶桑略記』)
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5月
・この頃から、中央政府は改めて山陽・南海(四国)の海賊の討伐を問題にし始める。
摂政藤原忠平と公卿たちは、追捕海賊使の任命よりもさきに、両道の神社に幣帛使を送って海賊の平定を祈願している。
5月9日、詔によって奉幣使が山陽・南海道の諸神へ発遣され「海賊」平定を祈願する(『日本紀略』)。
同日、「海賊」平定のため、山陽・南海道の10ヶ国18所諸神へ臨時の幣帛使が発遣される(『扶桑略記』)。
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6月29日
・右衛門志貞直・内蔵史生宗良・左近衛常蔭ら近衛・衛門の兵士、「海賊」討伐のために神泉苑において「弩」を試射する(『扶桑略記』)。
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7月26日
・在原相安(「兵庫允」)、「海賊」追捕のため「武蔵」および諸家の兵士を率いて発遣(『扶桑略記』)。*
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10月22日
・「追捕海賊使」が定められる(『日本紀略』)。

この冬 「海賊」、伊予国喜多郡の不動穀3,000余石を掠奪する(『扶桑略記』)。
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