2012年9月10日月曜日

昭和17年(1942)8月5日 ガダルカナル飛行場第1期工事完成

東京 北の丸公園
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昭和17年(1942)
8月
この月
・北野政次軍医少将、石井部隊長就任。
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・日本兵士覚醒連盟(6支部)、「日本人反戦同盟華北連合会」に組織統一。
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・延安、華北日本人反戦団体代表者大会(全華北反戦大会)・華北日本兵士代表者大会、開催。
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・細川嘉六「世界史の動向と日本」(「改造」8、9月)。
論旨は、「わが国の目指す「東亜新秩序」の建設は、旧来の植民地支配政策ではいけない。民族の自由と独立を支持するソ連の新しい民族政策の成功に学べ」というにあり、「五族協和」「王道楽土の建設」「大東亜共栄圏」のあるべき方向を「科学的」に裏づけようとする国策協力の論文。
検閲もパスするが、9月7日、陸軍報道部平櫛少佐が問題視する。
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・京都、京大出身者のグループ5名検挙。
日本共産主義者団関係執行猶予者中心。研究調査活動、研究会等。
北海道、資本論研究会グループ4名検挙。
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・兵庫県、明治学院内グループ8名検挙。研究会、討論会開催。
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・四方諒二大佐、東京憲兵隊隊長抜擢。
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・フィリピン、ネグロス島でゲリラ蜂起。隣組制度(DANAS)発足。
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・昭和18年の新学期より中学4年、高校・大学予科2年に短縮、閣議決定。
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・小林秀雄(40)、「徒然草」(『文学界』)。胃潰瘍のため南胃腸病院に入院、食餌療法で治癒。
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・雑誌「改造」9月号、発禁処分。
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・川端康成「名人」、石川淳『文学大概』、井伏鱒二「花の町」、近松秋江「農村行」(報国社)。
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・樺太の敷香陸軍特務機関、ウィルタ(他称オロッコ)民族に召集令状。対ソ工作任務に就かせる。
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・日本化成、新興人絹を吸収合併。
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・内務省、1戸に1つの退避所を設けるよう奨励。
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・鈴木庫三、ハイラル輜重兵第23連隊長として赴任。
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・イギリス、自由フランス内に中央情報行動局設置。指導者バッシー少佐。
情報収集・国内レジスタンスへの武器・物資供給
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・ポーランド、ポーランド武装闘争団司令官グロト・ロヴェツキ、ロンドン亡命政府に対してドイツ軍の住民連帯制と大量テロ政策により被害甚大と報告。共産党支持者拡大危惧と武装レジスタンス強化の必要性。
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・~9月、ドイツ、経済省上級参事官アルヴィド・ナック、空軍中尉シュルツェ・ボイゼン指導の抵抗組織「ローテ・カペレ(赤いチャペル)」、「シュルツェ・ボウゼン・ハルナック組織」75人逮捕、死刑49人
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・ホー・チ・ミン、カオバン省より中国に向うが国民党地方政権に逮捕(~9月)。
「反日」でのホーの利用価値認め釈放。
親中国派ベトナム人ナショナリスト連合組織、ベトナム革命同盟改組、ホーを指導部に加える。
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・ソ連領内野営抗日聯軍改編大会。
中国特別旅(正式にはソ連赤軍第88特別狙撃旅団)となる。
旅長周保中少佐、第一教導営営長金日成大尉。
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8月1日
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・第1軍司令官に吉本貞一中将(20期)就任
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8月1日
・北ボルネオ、昭南チャンギー刑務所に収容中のイギリス・オーストラリア軍捕虜約2,000名がクチン到着。
1,000名をクチンのリンタン収容所、他の1,000名をサンダカンの収容所に移送、飛行場建設等作業に従事。
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8月1日
第14軍司令官本間雅晴中将、更迭。参謀本部付。30日付で待命。31日付で予備役編入。
14日、東京入り、凱旋将軍の如く迎えられ、軍状奏上のため参内。
本間より約1ヶ月早く、第25軍司令官山下奉文は満州の第1方面軍司令官に転任の内命を受ける。左遷。しかも、シンガポールから牡丹江へ直行を命ぜられる。
シンガポールの英雄と謳われたが、天皇への軍状奏上の機会も与えられていない。山下の人気を恐れた東條の警戒との噂。
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8月1日
・ビルマ行政府成立(行政長官バー・モー)
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8月1日
・アメリカ政府の戦後対外関係諮問委員会の下にある政治問題小委員会、安全保障上の必要がない限り琉球列島は戦後も日本が保持すべきだと結論。
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8月1日
・イギリス『ソロ(単独)』作戦(トーチ作戦の上陸地点を欺くための偽の上陸作戦。ナルヴィックとトロンヘイムを目的地とする)
・イギリス『オーバースロー(転覆)』作戦(トーチ作戦の上陸地点を欺くための偽の上陸作戦。カレーとブローニュを目的地とする)
・イギリス『ケネコット』作戦(トーチ作戦の上陸地点を欺くための偽の上陸作戦。南伊、ギリシャとクレタ島を目的地とする) 
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8月3日
・満州、北満で戦い続けた抗日聯軍第三路軍許亨植、戦死
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8月4日
・重要産業指定規則公布
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8月5日
ガダルカナル飛行場第1期(滑走路800m×60m)工事完成
ガ島在島日本軍;
2個設営隊2,571(うち陸戦部隊280)、遠藤幸雄大尉を長とする第84警備隊派遣隊約150。
この時点ではガダルカナル飛行場には飛行隊は進出していず、ラバウルの25航戦がカバーせざるを得ない。
25航戦の使用可能機数は、陸攻32・零戦18・陸偵2・二式大艇2・九七式大艇10・水戦6で、他に第8艦隊航空隊の零戦15・艦爆26があるのみ。これらは、ツラギの水上機以外は、ラバウルからガダルカナル・ツラギ迄の560浬(約1千km)を飛ぶことになる。
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8月5日
・第8艦隊、ガダルカナル島住民が山中に逃避した情報得る。
住民は連合国側海岸監視員の情報により行動したと思われる。
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8月5日
・南方軍総司令部、「インド東北部に対する防衛地域拡張に関する意見」(第21号作戦)、大本営提出。作戦主任参謀林璋少佐、起案。

ビルマ・インド国境方面の連合軍兵力は弱く、防衛も手薄で、この機に乗じて東部インド一帯を占領する作戦。間もなく、大本営はこれに同意、許可。
9月1日、総軍はビルマの第15軍に対し「21号作戦」準備を命じる。飯田軍司令官は、第15軍の兵力でやりこなせる作戦ではないと判断。
9月3日、ビルマ東部シャン州タウンジーの牟田口師団長を訪ね、意見を求める。シンガポール攻略のブキテマ高地の激闘で勇名を上げて間もない牟田口師団長でさえ、国境の山地に道路がなく、大兵団を動かすのに困難であること、後方からの補給が続かなくなることなどにより、作戦実施は困難で、インド侵攻に反対の意見
ついで、シャン州カローの第33師団長桜井省三中将をを訪ねると、桜井師団長も強く反対。
飯田軍司令官は、両師団長の意見に賛成し、総軍に再考を促すことになる。
大本常も、準備を命じたものの確悟はなく、首相兼陸相東条英機大将も、自信は持っていない。
そのうち、ガダルカナル島の戦況が悪化し、大本営はその方面の処置に追われ、ビルマ方面では、英軍がべンガル湾沿いのアキャア方面からビルマに反攻する兆候が現れ、「21号作戦」準備は中止となる。しかし、作戦そのものの研究は認められる。
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8月5日
・空母改造のため、日本へ回航中のぶらじる丸、撃沈
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8月5日
戦艦武蔵完成
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8月5日
・報知新聞、読売新聞に吸収され、読売報知新聞となる
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8月5日
・漁業生産奨励規則公布
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8月5日
・フランス、ボーヌ・ラ・ロランド収容所からアウシュヴィッツへの移動始る
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8月5日
・フランス、ヴィシー政府内相、地域圏知事に'36/1/1以降仏に移住の外国系ユダヤ人の占領地区への移送命じる
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