東京 江戸城(皇居)東御苑 2012-11-01
*昭和17年(1942)
10月12日
・連合艦隊、ガダルカナルへの船団輸送を、陸海軍共飛行場砲撃の成否を問わず決行すると決定。
10日、ラバウルに残った第17軍宮崎参謀長へ、ガダルカナルに渡った小沼・林両参謀から、逼迫した戦況を訴える電報が入る。
宮崎参謀長は、11航戦大前参謀・第8艦隊神参謀に、飛行場砲撃が望み薄となっても船団輸送を決行したいと要望。
12日午前、11航戦司令部で関係海軍側と宮崎参謀長と検討し船団輸送決行で意見が一致。
午後、結果を連合艦隊に連絡する為、宮崎参謀長は海軍側の大前・源田両参謀はトラックへ飛ぶ。「大和」の連合艦隊司令部では、字垣参謀長以下が集まり、既に船団輸送決行を決定、午後2時、それに関して発令したということであった。
*
10月12日
・B-24、Uボートを初撃沈
*
10月13日
・蒋介石、ソ連大使と会談。新疆問題の解決案提示。
*
10月13日
・ニューカレドニア守備の米師団第164連隊3千、ガダルカナル上陸。
*
10月13日
・ガダルカナル島ヘンダーソン基地艦砲射撃。
ルンガ沖進入第3戦隊(栗田健男中将、戦艦「金剛」「榛名」)・第2水雷戦隊(田中頼三少将)、飛行場艦砲射撃。効果大。
山本五十六連合艦隊司令長官は、高速輸送船団による第2師団主力の輸送を成功させる為、自ら戦艦「大和」に座乗し、戦艦によるヘンダーソン基地艦砲射撃を決意。
しかし栗田健男中将の反対により、まず栗田中将率いる第3戦隊の戦艦「金剛」「榛名」がルンガ泊地に突入することになる。
11日、第3戦隊はトラック出撃、護衛部隊は二水戦。
13日午前8時10分、基地航空部隊哨戒機が、レンネル島(ガダルカナル南方約200km)南西70浬に空母1・巡洋艦2・駆逐艦2の南東航を発見、同12時5分、スチュワート島(ソロモン諸島北東側列島南端部マライタ島から東へ約200km)南方80浬に戦艦1・巡洋艦1・駆逐艦2の西航を発見。後者では空母は報告されていないが、近海に空母がいれば、第3戦隊は夕刻頃敵機に捕捉されるかもしれず、その夜に会敵の公算大として警戒。
しかし、敵機に発見されることもなく、マライタ島・ラモス島間を通過、サボ島北方に進出。
攻撃隊は、13日午後10時38分、サボ島南方水道に進入、午後11時31分、飛行場に対し平行に第1射撃コースをとる。
11時35分、照明機が吊光弾を投下。
11時36分「金剛」、11時38分「榛名」が射撃開始。
11時46分頃から、敵もルンガ岬方向から照明砲撃を行なうが、弾丸が届かず、戦艦群は副砲(14糎砲)で応戦。
午後11時48分頃、敵飛行場に火災。
午前零時13分、第3戦隊は反転し第ニ射撃コースをとり、零時22分「金剛」、零時24分「榛名」が射撃開始。飛行場一面は火の海と化しているように認められる。
零時56分、砲撃終了。
58分、第3戦隊は北上避退、午前4時48分から2航戦の上空直掩下に入り、14日正午前進部隊本隊に合同。
この砲撃で、戦艦「金剛」の主砲(36糎砲)は三式弾104発、一式弾331発、副砲(14糎砲)27発を、「榛名」は零式弾189発、一式弾294発、副砲21義を発射。三式弾は、主砲による対空射撃用に考案された焼夷弾、一式弾は堅固な施設を破壊するための徹甲弾。
米公刊戦史。
「これは本会戦中最大の砲撃であって両戦艦から射ち出した三六糎砲弾は、徹甲弾六二五、榴散弾二九三計九一八発に及び、これらが飛行場全域を蔽い、炸裂光と炎焼するガソリンで夜空を焦がし、敵の報告文の言葉を借りて言えば、到るところに炸裂して飛行場は炎の海となり、死者四一名多数飛行機の損傷があった。・・・味方は十四日には僅に降下爆撃機七機、F4F二九機、P400四機、P39二機計四二機しか飛んでいない。・・・飛行場は敵の艦砲射撃のため重爆撃機の基地としては役立たなくなったのみならず、敵の航空機及艦隊がシーラーク水道内及上空にいるため燃料輸送を阻まれて、ガダルカナルに於ける航空用ガソリンの欠乏は深刻となり、その結果B17機はもはやヘンダーソン飛行場を中継基地として活躍することは出来なくなった。飛行場は十月十四日午後には全く使用出来なくなったが、幸にしてその南東方に建設大隊が粗末な草生滑走路を造っておいたので、戦闘機用滑走路として軽飛行機なら使用出来、これが一週間主飛行場となった。」(ジョン・ミラー「ガダルカナル作戦」)。
米軍被害は航空機98機中、直ちに使用可能機24機に減じ、燃料・爆弾の殆どが消失(しかし、560浬のスピリッツ・サント島の後方基地での修理補充は容易)。
この間、高速輸送船団は物資・兵員の揚陸に成功。
しかし、空母「ホーネット」艦載機の爆撃により、揚陸した物資の殆どを消失。
*
10月13日
・午前2時15分、第3次ソロモン海戦。
ガダルカナル飛行場砲撃の阿部弘毅中将部隊とダニエル・キャラハンン少将部隊、キャラハン少将戦死。
*
10月13日
・ドイツ軍通商破壊艦「コメート」沈没。
*
10月14日
・第38師団(佐野忠義中将)主力輸送の11隻、ラッセル島西北で空襲、6隻沈没、1隻落伍、残り4隻はタサファロング揚陸後炎上
*
10月14日
・独立戦車第1中隊、この夜の船団輸送でガダルカナル島へ揚陸。
15日、第16連隊(広安寿郎大佐)、第38師団第230連隊(東海林俊成大佐)、ガダルカナル上陸成功、食糧10日分のみ揚陸。
高速輸送船団6隻のうち4隻「吾妻山丸」「南海丸」「九州丸」「佐渡丸」は、第2駆逐隊(駆逐鑑3隻)護衛の下に、12日午後6時50分~7時50分、ラバウル出港。
残る2隻「笹子丸」「崎戸丸」は第27駆逐隊の護衛を受け、13日午後5時ショートランド出発。
14日午前4時40分、予定地点で合同、予定航路を南下。
基地航空部隊(陸攻26・零戦18)は、14日午前6時、ラバウル発進、10時過ぎ、ガダルカナル飛行場を襲い、地上の約50機のウチ30機を弾幕で覆ったと報告。
しかし、続いて午前11時、第2次攻撃隊が飛行場を爆撃した時、敵戦闘機約20機の攻撃を受けたという(第1次が報告通りの戦果であれば、第2次には抵抗力はない筈で不審)。
輸送船団は、14日午前5時と10時20分、B17-1機に接触され、午後1時45分、艦爆と戦闘機約30機の銃爆撃を受ける。船団は散開し、回避に努め、船団・護衛隊とも被著なし。
午後4時5分~50分間、艦撃・戦闘機26機が襲撃するが、直掩機の奮戦と船団の回避運動、対空砲火により、被害は第2駆逐隊「五月雨」の軽微な損傷のみ。
連合艦隊司令長官は、午後1時40分、敵機約30の船団来襲の報を受け、ガダルカナル航空兵カ制圧不十分と認め、明15日早朝、2航戦の戦闘機半数をもって基地航空部隊に協力、ガダルカナル敵機の制圧と船団上空警戒に任ずるよう命令。
14日午後10時、船団はタサファロングに入泊。
増援部隊(3水戦)の巡洋艦「川内」以下「由良」「朝雲」「白雪」「暁」「雷」は、陸兵200・弾薬糧食を搭載し、ショートランドからエスベランス岬に到着。
「鳥海」「衣笠」「望月」「天霧」から成る外南洋部隊(第8艦隊)は、高速船団輸送を間接支援した後、ルンガ沖に突入、ガダルカナル飛行場を砲撃。
15日零時17分、射撃を終了。発射弾数は752発。
船団の揚陸作業は順調に進捗。
上空直掩は、未明に水上機、続いて2航戦の戦闘機半数(前日の連合艦隊司令長官命令による)、次に基地航空部隊戦闘機という順。
敵機の妨害は、午前3時40分~6時頃、敵艦戦艦爆計18機が上空直掩の間隙を衝いて来襲、銃撃を反復。船団・護衛隊に被害なし。
15日午前8時45分頃迄には、各船とも人員・重火器の殆ど、糧食弾薬の約8割を揚陸。南海丸は作業が迅速で、午前7時5分には荷役完了。
午前7時30分~8時45分、敵艦戦艦爆延べ約25機が来襲(艦砲射撃で残った少数機の反復飛行と推測)。午前8時42分「笹子丸」被爆炎上。
午前9時40分~10時30分、第3波攻撃としてB17が船団・護衛駆逐艦を爆撃(B17が何処から来たかは不明)。
爆撃の最中9時45分、荷役を終えた「南海丸」と護衛駆逐艦「有明」が出港。
9時50分「吾妻山」が被弾炎上。「佐渡丸」「九州丸」は一時抜錨し、泊地前面で回避運動を行ない、護衛隊が警戒。船団が再び泊地に進入すると、午前11時15分~45分、戦爆約20機による第4次攻撃、「九州丸」被弾大火災。次に、揚陸点附近が攻撃目標となる。
このままでは、揚陸困難だけでなく、未だ被害のない輸送船も被爆すると予測され、護衛隊指揮官は船団の一時避退を決心、午後2時反転・5時再入泊・荷役完了の方針をたて、正午「佐渡丸」「崎戸丸」を護衛して、サボ島北方に向かう。
午後3時、反転して3度目の入泊をしようとした時、「佐渡丸に第1船舶団長から「月明アリ、来ルナ」との電報が入り、午後3時45分、反転してショートランドに向う。16日午前8時30分ショートランド帰着。
○総括。
船団6隻全てを無傷で入泊させ、人員・重火器の全部と、弾薬糧食の8割を揚陸(但し、17日朝、米駆逐艦の艦砲射撃により大部分が焼尽)。
しかし、制圧した筈のガダルカナル飛行場から敵機延べ129機(日本軍の上空直掩機の数よりも多い)が来襲、「笹子丸」「九州丸」「吾妻山丸」を失う。
*
10月14日
・鉄道開通70周年記念式典挙行
*
10月14日
・綿スフ統制会が発足し、紡績連合会解散。東亜繊維工業会結成
*
10月14日
・ヒトラー、東部戦線の部隊に死守命令。スターリングラードで第2次「最終」攻勢
*
*
0 件のコメント:
コメントを投稿