東京 江戸城(皇居)東御苑
*ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』を読む(52)
「第4章 徹底的な浄化 - 効果を上げる国家テロ - 」(その1)
アルゼンチンにおける壊滅行為は自然発生的なものでも、偶然によるものでも、理件を欠いたものでもない。それはアルゼンチンという国民集団の「相当部分」に対する組織的な破壊行為であり、この集団を変容させ、その存在様式や社会関係、運命そして将来をも書き換えようとの意図に基づいて行なわれたものである。
- ダニエル・ファイアースタイン(アルゼンチンの社会学者、二〇〇四年)
私が目指したのはただひとつ、次の日まで生きていることだった。(中略)ただ生き延びるだけでなく、自分として生き延びることだ。
- アルゼンチンの強制収容所に四年間拘留されたのちに生還したマリオ・ピラーニ
オルランド・レテリエルの不満
一九七六年、オルランド・レテリエルはふたたびワシントンにいた。駐米大使としてではなく、彼は今や進歩的なシンクタンク「政策研究所」の活動家だった。
今なお軍事政権によって拷問を受けている同僚や友人たちの姿が脳裏から消えぬまま、新たな自由を手にした彼は米中央情報局(CIA)のプロパガンダに抗すべく、ピノチェトの犯した罪を暴き、アジェンデの実績を擁護するために活動していた。
その活動は功を奏し、ピノチェトの行なった人権侵害に対して国際社会からは大きな非難が浴びせられた。
だが経済学者であるレテリエルには不満があった。ピノチェト政権の行なったおぞましい処刑や電気ショックの報告は世界を震え上がらせたものの、同政権の経済的ショック療法に関してはほとんど反応がなかった。
国際金融機関がチリ軍事政権にどんどん融資を行なったことに至っては、ピノチェトが「自由市場原理」を推進しているとして国際社会は称賛を惜しまなかった。
チリ軍事政権には大胆な経済改革の実験と、身の毛もよだつような拷問とテロによる邪悪なシステムという二つの明確に分かれたプロジェクトがあるという見方がしばしばされるのに対し、レテリエルはこれを真っ向から否定した。
存在したのはひとつのプロジェクトにすぎない。テロは自由市場経済への転換のための主要な手段だったのだ、と彼は主張した。
「人権侵害、制度化された残虐性のシステム、そしてあらゆる形の異議申し立てに対する徹底した管理と弾圧は、軍事政権が遂行してきた典型的な歯止めのない「自由市場」経済政策とは間接的な関係しかない - それどころかいっさい関係がない - 現象として議論されており、多くの場合、別のものとして非難されている」と、レテリエルは『ネーション』誌に掲載された舌鋒鋭い論文で述べている。
「「経済的自由」と政治的テロが互いに開通することなく共存しているという、社会システムについてのなんとも都合のいい概念のおかげで、これらの経済スポークスマンたちは「自由」の概念を振りかざす一方、言葉の上では人権擁護を唱えることができるのだ」
レテリエルの告発論文
さらにレテリエルは、「現在のチリ経済を動かしている経済学者チームにとっての知的設計者であり非公式顧問」としてのミルトン・フリードマンは、ピノチェトの犯罪の共同責任者であると言い切り、経済的ショック療法を実施するよう働きかけたのは、「専門的」助言にすぎないというフリードマンの弁解を退ける。
「フリードマン流の自由な「私的経済」の確立とインフレ抑制」を平和的に実施することなど不可能だと、レテリエルは主張する。
「経済計画は至上命令であり、チリの状況においてそれを行なうには、何千何万もの人を殺害し、国中に強制収容所を建設し、三年間で一〇万人以上の人を拘束する以外に方法はなかった。(中略)大多数の人々を退行させ、ひと振りの特権階級に「経済的自由」を与えることは、同じコインの裏表だったのだ」。
そして「自由市場」と無制限のテロとの問には互いに手を取り合う「調和的関係」が存在していたと彼は書いている。
レテリエルの暗殺
この論議を呼ぶ内容の論文は、一九七六年八月末に発表された。
それから一カ月も経たない九月二一日、四二歳の経済学者レテリエルが車でワシントンDCのビジネス街にある職場に向かう途中、大使館が集まる地区の中心部を走行中に運転座席の下にしかけられていた遠隔操作爆弾が爆発、車は宙に舞いレテリエルは両足を吹き飛ばされた。
路上に切断された足を残して、レテリエルはすぐにジョージ・ワシントン病院に運ばれたが、到着したときにはすでに息はなかった。車に同乗していた二五歳のアメリカ人の同僚ロニー・モフィットも、同じくこの爆発で死亡した。
ピノチェトがクーデター以来犯したもっとも非道で挑発的な犯罪だった。
米連邦捜査局(FBI)の捜査で、この爆弾をしかけたのはピノチェトの秘密警察の上級職員マイケル・タウンリーであることが突きとめられた。
タウンリーはその後、米連邦裁判所で有罪判決を受けた。
暗殺犯らが偽造パスポートでアメリカに入国したことをCIAは承知していた。
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