1941年2月28日
ヴァレリー『文学論』購入
1941年5月
鄭炳昱と寄宿舎を出て、楼上洞スサンドンにあった作家、金松キムソン宅に下宿。
同5月
有吉書店で、『近世美学史』と、同じくディルタイの著書『体験と文学』を購入
この頃の生活の様子に関する鄭炳昱の回想(5月末~夏休みの終わり、小説家金松キムソン宅に下宿していたころ)
そのころの日課はだいたいつぎのようだった。朝、食事前に楼上洞の裏山・仁旺山の中腹まで散歩することができた。洗面は山あいのどこででもできた。部屋にもどって掃除をすませ、朝食を終えてから学校へ出かけた。下校には汽車の便を利用し、韓国銀行前まで電車で行き、忠武路の本屋めぐりをした。至誠堂、日韓書房、マルゼン(丸善)、群書堂など新刊書店や古書店をまわって出ると、「フユノヤド(冬の宿)」とか「南風荘」という音楽喫茶に入って音楽を楽しみながら、真っ先に新しく買い求めた書物を回し読みしたりした。途中、明治座(いまの明洞、芸術劇場)でおもしろいのがあれば映画を見たりもした。
劇場に入らなければ、明洞から徒歩で乙支路をへて清渓川を渡り、寛勲洞の古書店をもう一度巡礼した。そこからまた歩いて積善洞の有吉書店にまわり、書架を眺めまわして出ると街に電灯が灯るころになる。こうして楼上洞九番地にもどっていくと、趙女史のつくった手料理の夕食の膳が待っており、食べ終わると金先生に呼ばれて応接間にあがって一時間をこす歓談のひとときをすごし、部屋にもどって夜中一二時近くまで本を読んでから床に入るのだった。こう言うととても単調なようだが、いま考えればほんとうに充実した日々だったと思われる。・・・・・
(鄭炳昱「忘れえぬ尹東柱のこと」『ナラサラン』23集、1967年、136 - 137頁)
この年、尹東柱が書いた作品は詩16篇、散文1篇である。
「怖ろしい時間」
ああ わたしを呼ぶのは誰だ、
枯れ葉が青々と生きかえってくる木陰、
わたしはまだここで呼吸(いき)が残っている。
一度も手をあげてみられなかったわたしを
手をあげて指し示す空もないわたしを
どこにこの身を置く空があって
わたしを呼ぶのか。
しごとが終わりわたしが死ぬ日の朝には
悲しがりもせず枯れ葉は散るだろうが・・・・・
わたしを呼ばないでくれ。
(1941・2・7)
「看板のない街」
停車場のプラットホームに
降りたったとき誰もいない。
知らない客ばかり。
客のような人たちばかり。
どの家にも看板はなく
家を探したずねる心配がない
赤く
青く
灯をつけた文字飾りもなく
辻ごとの
古びた瓦斯灯に
慈愛のように明かりをともし、
手を握れば
みな、心根きよい人びと
みな、心やさしい人びと
春、夏、秋、冬、
順々に季節はめぐって。
(1941)*日付ナシ
しかし、詩「怖ろしい時間」以後、3月12日付の「雪の降る地図」一つを除いて、5篇は全て健康で敬虔なキリスト教的言語によって、聖書を背景として書かれた。彼は信仰を回復したのであろう。
分類すると次のとおり。
一、「太初の朝」 - 「創世記」
二、「ふたたび太初の朝」 - 「創世記」
三、「夜明けが来る時まで」 - 「ヨハネ啓示録」の復活の朝
四、「十字架」 - 新約聖書のイエスの受難
五、「目を閉じて行く」 - 「マタイ福音」13章の種蒔く比喩
これらの詩にはいずれにも生に能動的に立ち向かおうという強靭な糖神と信念が克明に表出されている。
「ふたたび太初の朝」
真っ白に雪が積もった
電信柱がびゅうびゅう唸り
神のことばが聴こえてくる。
なんの啓示だろうか。
早く
春が来れば
罪を犯し
目が
開き
イヴが産みの苦しみを果たしおえれば
無花果(いちじく)の葉で恥部をおおい
わたしは額に汗せねばならないだろう。
(1941・5・31)
「十字架」
追いかけてきた陽の光なのに
いま 教会堂の尖端(さき)
十字架にかかりました。
尖塔があれほど高いのに
どのように登ってゆけるのでしょう。
鐘の音(ね)も聴こえてこないのに
口笛でも吹きつつさまよい歩いて、
苦しんだ男、
幸福なイエス・キリストへの
ように
十字架が許されるなら
頭を垂れ
花のように咲きだす血を
たそがれゆ〈空のもと
静かに流しましょう。
1941・5・31
(伊吹郷訳)
「目を閉じて行く」
太陽を慕う子どもたちよ
星を愛する子どもたちよ
夜の闇は深まったが
目を閉じてお行き。
持っている種子を
播きながらお行き。
つま先に石が当たれば
つぶっていた目をかっと開けよ。
(1941・5・31)
「風が吹いて」
風がどこから吹いてきて
どこへ吹かれていくのだろうか
風は吹いているが
わたしの苦しみには理由がない。
わたしの苦しみには理由がないのだろうか。
たった一人の女を愛したこともない。
時代を嘆き悲しんだこともない。
風がしきりに吹いているが
わたしの足は岩の上に立った。
川がしきりに流れているが
わたしの足は丘の上に立った。
(1941・6・2)
彼はある到達点に達したようだ。
「わたしの足は岩の上に立った。」「わたしの足は丘の上に立った。」
つづく
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