大正12(1923)年
9月2日 朝鮮人虐殺㉖
〈証言集 関東大震災の真実 朝鮮人と日本人〉①
恐しき流言 安藤多加〔高等小学校二年〕
もう今日は二日となった。朝より鮮人きわぎで驚かされた。角角には在郷軍人だの有志等等が、手に手にこん棒杖を結びつけ、張っている。
「それ四つ目の路に入った」「それ此方だ」と夕方迄「あっちだこっちだ」「お寺の墓場だ」「いやこっちで姿を見た」とどったんばったん人々は大そうなさわぎだ。
「鮮人がつけ火をするそうですから裏口を用心して下さい」「井戸に女が毒を入れるそうですから張番を置いて下さい」その度になんだか胸がつまる様な感がした。東北にはあやしい綿をちぎった様な物が、もくもくとして空に浮んでいる。見つむれば見つむるほど凄い。
鮮入鮮人とおびやかす人のさわぎは四、五日も続いた。今度は又「今どこそこで鮮人が殺されていましたわ」「今三十人位音羽町でつかまったそうですよ」
鮮人のころされたのを見て来た人の話によると鮮人を目かくしにして置いて一二三で二間ばかりはなれた所より、射さつするのだそうで、まだ死に切れないでうめいていると方々からぞろぞろと大勢の人が来て「私にも打たして下さい」「私にも少しなぐらせて下さい」とよって来るのだそうだ。そして皆でぶつなり、たたいたりするので遂に死ぬそうである。こう云う話に又流言に、夢の様な一ケ月が過ぎた。けれどずいぶん今考えると馬鹿げた事をしたと思う、今でも色々と人の作り言葉が時々来る。
(初等教育研究会編『子供の震災記』原本、一九二四年、自費出版)
忘れ得ぬ日 嶋田初枝〔本科五年〕
〔西戸部(横浜市)で二日〕すると突然「朝鮮人が井戸へ毒を入れたから、しばらく飲まずにいて下さい」という知らせ。この先水も飲めないなんて、なんてあわれな事だろうと思っている間もなく、「ホラ、朝鮮人が山へかくれた」というので、気の荒い若い人達は、手に手に鳶口やふとい棒を持って山へおいかけて来た。とうとう二人だけはつかまえられてしまって、松の木へしばりつけられて、頭といわず顔といわず皆にぶたれた。気の立っている人々はそれでもまだあきたらず、血だらけになった鮮人を山中ひきずりまわした。そして、夜になったら殺そうと話していた。
(フェリス女学院一五〇年史編纂委員会『フェリス女学院一五〇年史資料第一集 - 関東大震災女学生の記録』 フェリス女学院、二〇一〇年)
震災記 増田清三〔尋常小学校六年〕
〔二日〕間もなく指ケ谷町〔現・文京区〕まで来た。ここから方々の電信柱に、今朝出かける時にはなかった新しいはり紙がしてあった。それは「各自宅に放火するものあり注意せよ」と書いてあった。不思議に思いながら歩いて行くと、向うの方から二人の巡査に、両方からつかまえられながら、一人の朝鮮人が、血だらけになって、つれられて行くのにあった。〔略〕今度は又火事より、鮮人の事でこわくなり、もし火をつけられたらという用心に、にげじたくをすっかりした。〔略〕そのうちに家の巡査の塩原さんが警視庁から帰って来た。話によると、「不逞鮮人はどしどし検束していますから御安心下さい。」
(略)
〔略。四日〕今日はもう火事もすっかりやみ地震ももうそう大したのはこなくなった。しかし不逞鮮人のうわさは益々ひどくなり、白山神社の井戸に女の鮮人が毒をいれたから各自宅の井戸を注意せよなぞと方々はり紙がしてある。昨日の鮮人襲来や、巣鴨監獄をやぶってあれまわるという一団もどこへも来た様子がない。
(初等教育研究会編『子供の震災記』原本、一九二四年、自費出版)
大正大震災大火災遭難記 渡邊厚〔尋常小学校六年〕
二日二時頃、朝鮮人がつけ火をしてまわるから気をつけろと言いまわった在郷軍人がいた。三時一五分頃市ヶ谷の方で人がたかってさわいでいるので見に行くと一人の朝鮮人が、足でふまれ、木でたたかれて泣き声を上げている時、走って来た軍人がいた。何をするかと見ていると人々をおしのけて朝鮮人を救い出し、人々に向って、この人も日本国民の一人でありますから、そうひどくいじめるのはかわいそうですと、はっきり言をのべてから朝鮮人をつれてどこかへ立ち去ってしまった。後で或る人に尋ねると、あの朝鮮人は、煙草とマッチを持っていたので、マッチで放火するのではないかと疑われたのであった、と。
その日は五、六名つかまえられた。その中には友達の家へ行こうと思って家を出たのがつかまっていたものもあった。五、六人の内、一人顔のにくいようなのが半殺しにされて、警視庁の自動車に乗せられて行ったものもある。
さっきの軍人は僕はよく物事が分っている軍人だと思った。
朝鮮人さわぎが始ってから自警団が出来て、皆安心して眠る事が出来るようになった。殺された朝鮮人は約三百名いるとの事だ。
(初等教育研究会編『子供の震災記』原本、一九二四年、自費出版)
震災日記 高群逸枝
二日 (夜)
(略)
それにしてもこの朝鮮人一件はじつにひどいことだ。たとえ二百名の者がかたまってこようとも、これに同情するという態度は日本人にはないものか。第一、村の取りしまりたちの狭小な排他主義者であることにはおどろく。長槍などをかついたり騒ぎまわったりしないで、万一のときは代表者となって先方の人たちと談じ合いでもするというぐらいの態度ならたのもしいが、頭から「戦争」腰になっているのだからあいそがつきる。自動車隊には用賀あたりの女や子どもたちが詰め寄せているらしい。〇〇〇たちは手ぐすね引いているらしい。XX人が来たら一なぐりとでも思っているのか知ら。じつに非国民だ。いわゆる「朝鮮人」をこうまで差別視しているようでは、「独立運動」はむしろ大いにすすめてもいい。その煽動者にわたしがなってもいい。
「軍国的」狭量。軍国的非行、不正。
どうか天よ。かれら二百名の上に「けが」のないように。聡明な人間が一人ぐらいは村にいてもよいではないか。私は心からそれを思う。そして私は心から二百名の無事をいのる。どうか食糧と天の祝福とに彼らがありつけるように。本所、深川も全滅と。ああ労働者たちを思う。政府の救助がどうか洩れなく、緻密に、豊かに。そして朝鮮人たちも同様に。
〔略〕
三日
三日間が過ぎた。不安はまだいつ払いのけられることじゃやら。東京からは引っ切りなしに飛報がとどく。朝鮮人日本人を合して数万のものが暴動化したと。私はなんとなく勇み立つような、うれしいような気がした。
もうそこの辻、ここの角で、不逞朝鮮人、不逞日本人が発見され、突き殺されているという。
朝鮮人は爆弾を二つあて持っていて、市内ではあらゆるところで兵隊と衝突し合っているという。
監獄が破られて数百数千の囚人が解放されたという。
〔略〕自動車隊の畑で朝鮮人がかたまって、火を燃やしているという情報が伝わると、ここの男衆金ちゃんも、他の同士といっしょに竹槍をひっさげて立ち向かって行った。おお無知なる者よ。
〔詩人、民俗学者、女性史家。当時二九歳、世田谷の三軒茶屋の先に住む〕
(高群逸枝「火の国の女の日記」『高群逸枝全集第一〇巻』理論社、一九六五年)
地異印象記 和辻哲郎
〔二日〕不安な日の夕ぐれ近く、鮮人放火の流言が伝わって来た。我々はその真偽を確かめようとするよりも、いきなりそれに対する抵抗の衝動を感じた。これまでは抵抗し難い天災の力に憶え戦いていたのであったが、この時に突如としてその心の態度が消極的から積極的へ移ったのである。自分は洋服に着換え靴をはいて身を堅めた。米と芋と子供のための菓子とを持ち出して、火事の時にはこれだけを持って明治神宮へ逃げろと云いつけた。日がくれると急製の天幕のなかへ女子供を入れて、その外に木刀を持って張番をした。
〔略〕二人の若者が、棒で一つの行李を担って、慌だしく空地へかけ込みながら「火を消して、火を消して」とただならぬ声で叫んだ。それを先程の若者と気づかなかった我々は、何かしら変事の起ったことを感じた。もう直ぐそこにつけ火や人殺しが迫って来たのだと思った。その瞬間が自分にとってはあの流言から受けたさまざまな印象の内の最も恐ろしいものである。もとより火を消す必要もなく、又放火者が近づいて来たわけでもなかったのであるが、こうして我々は全市を揺り動かしている恐慌に忽ちにして感染したのである。
夜中何者かを追いかける叫声が諸々方々で聞えた。思うにそれは天災で萎縮していた心が反撥し抵抗する叫び声であった。
〔略。三日〕自分の胸を最も激しく、また執拗に煮え返らせたのは同胞の不幸を目ざす放火者の噂であった。
自分は放火の流言に対してそれがあり得ないこととは思わなかった。ただ破壊だけを目ざす頽廃的な過激主義者が、木造の都市に対してその種の陰謀を企てるということは、極めて想像し易いからである。が今にして思うと、この流言の勢力は震災前の心理と全然反対の心理に基いていた。震災前には、大地震と大火の可能を知りながら、ただ可能であるだけでは信じさせる力がなかった。震災後にはそれがいかに突飛なことでも、ただ可能でありさえすれば人を信じさせた。〔略〕そのように放火の流言も、人々はその真相を突きとめないで、ただ可能であるが故に、またそれによって残存せる東京を焼き払うことが可能である故に、信じたのである。(自分は放火爆弾や石油揮発油等の所持者が捕えられた話をいくつかきいた。そうして最初はそれを信じた。しかしそれについてまだ責任ある証言を聞かない。放火の例については例えば松坂屋の弾爆放火が伝えられているが、しかし他方からはまた松坂屋の重役の話としてあの出火が酸素の爆発であったという噂もきいている。自分は今度の事件を明かにするために、責任ある立場から現行犯の事実を公表してほしいと思う。)
いずれにしても我々は、大震、大火に引きつづいて放火の流言を信じた。
〔哲学者、倫理学者、文化史家。当時三四歳、千駄ヶ谷(現・渋谷区)に住む〕
(『思想』一九二三年一〇月号、岩波書店)
つづく
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