2025年11月1日土曜日

大杉栄とその時代年表(665) 1906(明治39)年5月6日~30日 韓国総監伊藤博文主唱(山縣、西園寺などの元老閣僚会議)「満州問題に関する協議会」、開催。首相官邸。児玉参謀総長ら武断派抑え、軍政廃止決定。 同日、閣議決定(関東総督機関を平時組織に改める、軍政署を順次廃止)。 9月1日、関東総督府廃止。関東都督制となる(都督は大島総督が引続き任命)

 

大韓帝国皇太子李垠と伊藤博文

大杉栄とその時代年表(664) 1906(明治39)年5月1日~5日 「仏蘭西の大抵の家庭には、ユーゴーの傑作ル・ミゼラブルが飾られてあると云ふが、日本でも多少文学趣味のある家庭で、彼の仮綴の粗末な、黄味かかつた表紙の『不如帰』を見ない所はあるまい。耳(のみ)ならず、寄宿舎の女学生の机辺にも置かれゝば、避暑の青年の伴侶ともなり、而して読まれる度に、川島武男と浪子との薄命は、感情的な男女の断腸の涙を留途も無く誘出すので…果は劇に仕組まれ、新体詩に歌はれ、俗謡に囃され、数ケ国の外国語に迄訳された有様で、其勢力たるや素晴らしいものだ。」(田山花袋「不如帰物語」) より続く

1906(明治39)年

5月6日

日本の関東総督府、遼陽から旅順に移転。

5月6日

(漱石)

「五月六日(日)、晴。正午近く(推定)、中川芳太郎・森巻吉と共に「宝亭」に行き、九段を通っている頃、自宅近くに火災が起き、大騒ぎになる。

五月七日(月)、東京帝国大学文科大学で午前十時から十二時まで「十八世紀英文学」を講義する。


午後一時、本都区根津監染町(現・文京区根津二丁目)の栄座あら出火し、午後二時鎮火する。全焼百十二戸、半焼二十戸。死傷者はない。」(荒正人、前掲書)

5月6日

(露暦4/23)ロシア、モスクワ総督デュパーソフ提督、暗殺未遂。

5月6日

ロシア、ゴレムイキン露首相、10月詔書を修正し、国家基本法(憲法)を発布。皇帝を専制君主として再規定する。

5月7日

薄田泣董、「白羊宮」発表。

5月8日

韓国の老儒学者・崔益鉉、全羅北道で抗日の蜂起。6月に淳昌で捕らわれる。以後、抗日の義兵相次ぐ。

5月8日

保定軍校開設

5月8日

イタリアのトリノでゼネスト(−9月)。

5月9日

北一輝、私家版「国体論及び純正社会主義」刊行(新潟)。6月に発禁処分。

5月9日

英・ベルギー国王レオポルド2世、協定締結(ロンドン)。英はコンゴにおけるレオポルド2世の主権を認め、レオポルド2世はナイル上流の請求権放棄。

5月10日

(露暦4月27日~7月8日)普通選挙による第1回ドゥーマ開会

カデット(立憲民主党)が最大多数153人。皇帝は専制権力を保持。

7月8日、国会(ドゥーマ)は、急進派の諸政党にボイコットされ解散。

7月18日、代議員は多数の逃亡者がフィンランドに向かう前に、市民的不服従を呼びかける宣言を出す。


5月11日

日米著作権保護条約公布。

5月14日

(漱石)

「五月十四日(月)、東京帝国大学文科大学で、午前十時から十二時まで「十八世紀英文学」を講義する。」(荒正人、前掲書)


5月15日

堺利彦「社会主義研究」第3号発行。

サン・シモン、フーリエ、ルイ・プラン、ブルードン、ロバート・オーエン、ラサール、マルクスを、カーカップの『社会主義史』によりつつ訳出している。

5月16日

麹町六丁目猟奇事件犯人野口男三郎、小西薬店主殺害により死刑判決。臀肉事件・義兄殺害については証拠不十分で無罪。

5月17日

日米追加犯罪人引渡条約調印。9月26日 公布。

5月17日

徳富蘆花、紅海を北上してこの日、船は45日の航海を終えてポートサイドに到着。

備後丸は西ヨーロッパに行くので、パレスチナからロシアに入ろうとする蘆花はそこで下船。そしてナイル川沿いに汽車でカイロに行き、ピラミッドや博物館を見た。

蘆花は日本から英文の手紙をトルストイに出しておいたが、ここからもう一度手紙を出した。

5月22日、ポートサイドから、オーストリアの汽船でパレスチナに向かい、翌朝パレスチナ西海岸のジャツファに到着。そこから汽車で4時間かかってエルサレムに着いた。

そして、エルサレムの城壁の下を過ぎ、その城の西北郊外のロシア人居留地に近いホテル・ローレルに泊った。

そこから、他の客と同行して馬車でエリコに行き、死海を訪れ、ヨルダン川へ行って見た。

また別な日には、ペツレヘム、ゲッセマネの園、橄欖山、ゴルゴタの丘などを見に行った。

5月17日

漱石『漾虚集(ようきょしゅう)』(短篇集)刊行。大倉書店・服部書店刊

倫敦搭・カーライル博物館・幻影の盾・琴のそら音・一夜・薤露行などを収録。

橋口五葉装幀・中村不折挿画(中扉は橋口五葉)(序3ページ。本文302ページ)

印税は、初版1千部1割2分、1,500部以上1割5分(森田草平)

5月19日

韓国、前参判閔宗植、公州鎮衛隊を破り、洪州城占領。31日、陥落。11月、逮捕。

5月19日

林董、外務大臣就任。

5月19日

(漱石)

「五月十九日 (土)、胃の鈍痛治る。

五月二十日(日)頃、森田草平に『漾虚集』を贈呈する。見返しに署名する。(森田草平は、著書を貰うのはこの時が初めてである。署名も西洋の週刊としては聞いていたが、この時初めて知る。)

五月二十一日(月)、東京帝国大学文科大学で、午前十時から十二時まで「十八世紀英文学」を講義する。」(荒正人、前掲書)

5月19日

独帝国議会、艦隊法修正案可決。

5月19日

スイス~イタリア間のシンプロン鉄道トンネル開通。長さ20キロメートル。世界最長。

5月19日

ポルトガルで、国王カルロス1世がジョアン・フランコ首相を任命し、独裁権を与える。

5月20日

鉄道5,000マイル祝賀会開催(名古屋市)。

5月20日

仏下院国民議会選挙。ジョルジュ・クレマンソー率いる急進社会党など与党連合が勝利。

5月21日

韓国、~27日、日本憲兵・警察隊、公州鎮衛を攻撃。洪州城おちず。

5月21日

ウラジオストクに貿易事務館開館。

5月22日

韓国総監伊藤博文主唱(山縣、西園寺などの元老閣僚会議)「満州問題に関する協議会」、開催。首相官邸。児玉参謀総長ら武断派抑え、軍政廃止決定。

同日、閣議決定(関東総督機関を平時組織に改める、軍政署を順次廃止)。

9月1日、関東総督府廃止。関東都督制となる(都督は大島総督が引続き任命)。

出席者。伊藤、西園寺、元老山県有朋・松方正義・井上馨、大山巌元帥、閣僚の寺内正毅陸相・斎藤実海相・阪谷芳郎蔵相・林董外相、前首相桂太郎大将、児玉源太郎参謀総長、海軍長老山本権兵衛(前海相)ら13名。桂は、伊藤と共に、西園寺内閣後見人を自負しているからでもある。山本前海相は西園寺首相の意向で決まる(斎藤実宛西園寺公望書状、5月20日)。原敬内務大臣は招かれていない。

3月、満州の軍政存続に反対して外相加藤高明が辞任(西園寺が兼任、満州を視察)。

伊藤博文はマクドナルド駐日英大使・袁世凱らの苦情もあり、軍政撤廃を勧告するため凱旋大観兵式参列を口実に上京。協議会席上で伊藤は、満州政策に対する英米側の不信、清国側の不満、排日運動激化を警告。「満州は決してわが国の属地ではない。純然たる清国領土の一部なのである。

その後、関東総督を廃してできた関東都督と、満州経営の中心として新たに作られた半官半民の南満州鉄道株式会社と、新たに開設された奉天の日本総領事館(外務省)との間で、常に三者の権限争いが続く。

5月22日

大阪市、電燈事業の市営を決定。7月1日、大阪電燈(株)との報奨金契約成立。

5月23日

ノルウェー、劇作家イプセン(78)、没。

5月23日

徳富蘆花(健次郎)、エルサレム着。

5月26日

万国郵便条約調印。1907.9.19 公布。1907.10.1 実施。

5月26日

(漱石)

「五月二十六日(土)、東京帝国大学文科大学英文学科の学生の論文十九編を読了する。中川芳太郎のものに最も感心する。

五月二十八日(月)、東京帝国大学文科大学で、午前十時から十二時まで「十八世紀英文学」を講義する。」(荒正人、前掲書)


5月27日

張之洞、香港政府と粤漢鉄道回収借款締結。

5月27日

マーラー「交響曲第6番」、作曲者自身の指揮で初演。

5月28日

北海道夕張炭坑爆発。

5月29日

菅野須賀子姉妹、田辺を去り京都に向かう。

5月29日

イタリアで第3次ジョリッティ内閣成立。

5月30日

韓国、洪州城攻防戦。漢城より急派の田中新助少佐指揮日本軍により洪州城陥落。

5月30日

独・スウェーデン通商条約締結。

5月下旬

「光」、社会党ラッパ節募り掲載。のち、添田唖蝉坊が堺利彦より許可を貰い、歌って世間に広める。


つづく


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