2009年7月13日月曜日

明治17(1884)年11月2日(3) 大宮郷高利貸し打毀し 「秩父大将」田代栄助、奮闘す

■明治17(1884)年11月2日(3)
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○田中千弥が描く「秩父コミューン」出現の様相。
「郡衙ニ押入り、役員ノ暴徒等、席ヲ陳(ツラ)ネ、田代栄助(秩父暴徒ノ総理ナレバ)秩父大将卜称シ、今日ヨリ郡中ノ政則ヲ出スコト大将ノ権ニ在リ、各其意ヲ体セト、酒肴ヲ設テ、開衙ノ祝宴ヲ為シ、而シテ後、郷中、其他ノ富家ニ、軍用金ヲ課シ、且、男子ハ一戸一名ツゝ、無漏兵役ニ従事スベシ、之レ板垣公ノ命ヲ奉シテ、国ノタメニ義挙ヲ為ス、秩父大将田代栄助君ノ仰ナリト、脅劫(イハセ)シシメテ、許多ノ貨材ヲ掠奪シ、人夫ヲ服事セシメシト云」(田中千弥「秩父暴動雑録」)
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千弥は、「真ノ自由党ノ主意ハ如何ナル物ナルヲ不知」とし、自由党を「種々ノ妄言ヲ為」すものと否定的に捉えながら、「然シテ種々ノ妄言、国民ノ心ヲ結ビ貧民党ニ混淆シ、板垣氏ノ内命卜偽称シ、遂ニ暴動ヲ起ス、一原因トハナリシ也。」とする。
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○大宮郷での高利貸し打毀し
高利貸処分方法に関して、落合寅市・坂本宗作は直ちに打毀しを主張するが、栄助はまず一旦掛合い、応じない場合には打毀す、但し、人家密集の所では放火はしないと申し合わせる。
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稲葉貞助家打毀しで見せた栄助の怒り。
高利貸側代理人が、柴岡熊吉を介して、50円で打毀し免除を申し入れるが、困民党側の西谷の親分加藤織平が要求1,000円のところを450円で話をつける。
しかし、栄助は、そんなことでは義に背き、死後に汚名を晒す事になると、織平を一蹴。また、稲葉より資産の小さな高利貸にも申し訳がたたぬと言う。織平もこれには反論できず、他の幹部も、栄助を支持する。
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詳細経緯:
大宮郷最大の高利貸「刀屋」稲葉貞助の使いの2名(黒沢常吉・岩田東右衛門)が、「金円ハ望ニ任ニ付、家屋破壊ヲ免レタシ」と申し入れて来る。
栄助自身も、「刀屋」から、明治15年「地所書入レ」で2回計153円を借りており、「稲葉貞助ナル者ハ、素一ノ貧民ナリ、然ルヲ非道ノ高利ヲ貪り、僅カニ十ケ年間ニ五万ノ金ヲ積ムニ至ル、是レ今日貧民ノ由テ生ズル所以ナリ」と憤慨しており、使者に対し、「貧民ヲ救助スル為メ、我々生命ヲ擲テ尽力スル者ナレバ、現ニ貸付金高ノ内半額ヲ負債主へ与へ、半額ヲ年賦ニ償却セシメ、且軍用金トシテ当金千円差出スニ於テハ家屋ノ破壊ヲ止ムベシ」と申し渡す。
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この後、栄助は、近くに住む実姉深田イチを訪ね「永訣ヲ告ゲ」たという(「田代栄助裁判言渡書」)。
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午後8時頃、柴岡熊吉が、稲葉貞助は「金五拾円差出スニ付家屋ノ破壊ヲ免レタシ」と言っていると栄助に報告。
栄助は、「僅カニ五拾円ニテハ到底一般ニ対シ聴置キ難シ」と、交渉破談を決める。
この時、荻原勘二郎から「町内渋谷鉄五郎、浅見亥之助、逸見土用六等ノ家屋ヲ一時ニ破壊シ、続テ稲葉貞助ノ家屋ニ取掛りタル処、岩田東右衛門、黒沢常吉申スニハ「只今田代栄助ニ談判中ニ付破壊ノ儀ハ見合せ呉レ」ト、果シテ然ル事ナル哉」と問い合せが来る。
栄助は、「決シテ我ガ与リ知ル事ニアラズ、併シ同家ニハ誰カ味方ノ者居合セシヤ」と、調べさせると、副総理加藤織平が交渉中ということ。
織平を呼んで事情を聞くと、「先キニ稲葉貞助ノ家屋ハ弥破壊スル事ニ決シ、同家ニ臨ミタル処、金四百五拾円卜証書類一括差出シ、是ニテ勘弁ニ預りタシト歎クニ付、自分一了簡ニテ取計兼、倶ニ相談セント思フ折使ヲ受ケタリ」とのこと。
栄助が、「一等ノ貞助ニ対シ千金ヲ促シ、半額ニ満タザル金ヲ収メ、貞助ノ家屋ヲ破壊セザルニ於テハ、破壊シタル者ニ対スルモ義ニ背キ、死後ノ汚名ヲ如何セン」と述べると、織平もこれに同意。
栄助は、織平・小柏常次郎らを従え稲葉貞助方に赴き、「最初談判ノ内ナラバ兎モ角、己ニ二、三ノ家屋ヲ毀チタル上ハ今更中止スル能ハズ」と言い、織平が受取った450円と証書一括を岩田東右衛門に投げ返し、直ちに打毀しを命じる。この時、3日午前3時頃。
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20年間に5万円の財産を築いたという稲葉貞助は、11月11日には、いちはやく「賊難御届ケ」を提出。金額は2,284円50で、奪われた「金札」は448円とある(栄助供述の450円か?)。
また、これには、「但シ質物預り品之儀ハ追々取調更ニ御届ケ可仕候也」と付記される。
12月2日の「被奪取品御届」には、栄助が借りていた2件計153円の入っており、ガンドウ1個代金20銭も届けられている。
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3日午前2時頃、栄助は、坂本宗作・落合寅市に対し、「滝ノ上ノ高利貸高野嘉与吉、高野伊兵衛、同林蔵、同ふさ方へ至り、貸金高悉皆免償主へ与ル様談判ヲ遂ゲ、聞入ザル上ハ家屋ヲ破壊スベシ」と命じる。
実行後、坂本宗作らは、「隣家ノ延焼ヲ防ギ、高野嘉与吉外三戸焼慨シタリ」と栄助に復命(「田代栄助訊問調書」)。
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矢尾利兵衛「秩父暴動事件概略」が描くこの夜の困民軍動き。(改行を施す)
「午前弐時頃 当郷字上町高利貸渋谷鉄五郎宅ヲ兇徒等打砕ク、此時彼等少シク事ニ齟齬ヲ来タシ、狼狽シテ鉄砲ヲ連発セシ故、事情ヲ知ラザル者実ニ喫驚ス、当店衆中是ニ駭(オドロ)キ居レド、前刻ニ通告セシ事モアリ、又家ヲ出テ或ハ家根へ上り、横道ヲ過ル者ハ胡乱ノ者卜見受次第銃殺ヲナスト沙汰セシ故、詮方ナク一同恟々トシテ蹲踞シ、生キタル心チナク、家内故ニ寂莫タリ、
又暫時ニシテ浅見なを宅ヲ破砕ス、其音響劇シキニヨリ、本店ノ或ル箇所ヲ破壊セラルゝカト戦懐セリ、
午前三時頃、兵ヲ計ルト称シテ本店卜土蔵ノ間、即チ松本六歳氏門内へ、暴徒雲霞ノ如ク、轟々卜大勢込入ル、
又市中ニテ暴徒ノ隊長等従卒へ鉄砲ノ放チ方ヲ教導スルトテ、必至卜大声ヲ発シ、其間ニハ鯨声ヲ屡々揚ゲ、動揺一方ナラズ、
故ニ各家中ニ居ル者ハ実ニ危険ノ至リニテ、詞ヲサへ出ス者罕(マレ)ナリシ」。
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夜明以降も、高利貸打毀しは続く。
「十一月三日晴天
午前六時、当郷字東横町千歳屋幸吉宅ヲ破砕ス
前夜ヨリ今朝へカケ、市街ニテ破砕ヲ被リシ家左ノ如シ、尤モ孰モ家形ヲ残シタリ、其故ハ家ヲ破壊ナスト無辜ノ隣家マデ多少ノ害ノ及プヲ恐レテナリ、家形ヲ除クノ外ハ目ニ遮ルモノハ火熨斗ノ如キ些細ノ物ニ至ルマデ余サズ破却セリ、実ニ惨憺タル有様ナリ
渋谷鉄五郎 浅見ナヲ 金正庵土用六 同長家 稲葉貞助 宮前藤十郎 千歳屋幸吉
右六戸ノ中、稲葉貞助方ハ実ニ残酷ヲ極メタリ(矢尾利兵衛「秩父暴動事件概略」)
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高利貸の中には、初めから要求に素直に応じる者もいる。
加藤織平・井上伝蔵・柴岡熊吉らが井上政吉方で、「是迄他へ貸付アル金円ハ不残四十ケ年賦ニ致シ呉レ」と交渉すると、井上政吉は「四十ケ年賦ニ取極ムル上ハ到底返償ハ無覚束モノニ付、寧ロ貸金証書ヲ返戻致ス」と言って証書数十通を差出したので、これを妙見の森(秩父神社)に持ち帰って焼いたという(「加藤織平訊問調書」)。
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to be continued

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